「過ちと夢見ることを恐れるな」byシラー
固定記事としての文章を書くこと、にチャレンジ。
人生を、長いと見るか短いと見るか、それは人それぞれ。私には少し、長いかなと思っています。
退院後。私は私なんだけど、体と意識の周りを、大きなオブラートに包まれたまま生きているような感覚でした。橋の上から車ごと川に突っ込めば、見つけてもらいやすいかなとかね。死にたいとは思わなかったけど、死んだら楽だろうなとは思っていました。今となっては、笑っちゃう思い出です。
恋い焦がれて暮らした東京で、私は大きく転びました。一人でなんでもかんでも、できると思い込んでいました。そうならないのは努力が足らないのだと思っていました。全てうまくいくはずだと過信しました。加害者でもあり被害者でもありました。
限界を見ました。
親の存在というのは、居る居ない、要る要らないにかかわらず、やはりどんな子どもにとっても大きな存在かなと思います。何度も何度も、入院先の病院に、二人そろって面会に来てくれましたね。素晴らしいご両親だと、口々に言われました。その通りだと思いました。
大学に進む前に猛反発していたのが嘘のように。ようやく親の大事さに気付くには、遅いかもしれないけれど。いやきっと、遅くないのだろうな。毎日毎日を、大切に過ごしています。
好きな人は色々いたけど、恋人は片手の数に収まります。これからどんな出会いがあるのか、はたまた既に出会っているのか。ずいぶん長く恋愛から距離を置いていましたが、ようやくちゃんと恋愛しようという気になれています。
立身出世、世に名をあげることが最重要事項だと、長らく思い込んできました。やるからには徹底的にならないと気が済まないのは、昔も今も変わりません。
Dare to be wrong and to dream.
— Friedrich Schiller
(ドイツの詩人、歴史学者、劇作家、思想家。ドイツ古典主義の代表者)
「過ちと夢見ることを恐れるな」
私の人生の指針は、その一言に尽きます。
東京時代、発症前。「自分のために頑張るのには限界がある。誰かや周りのためにと考えて力を発揮しなさい」と、大好きな人に諭されました。その通りだなぁと、今は思えます。
「応援してもらえる人間に、自分はなっているだろうか?」と、ようやく今。
巡り巡って帰ってくるしね。それは本当。
お天道様に恥ずかしくない生き方をする。
自分の人生も、他人の人生も大切にする。
みんなに無限の可能性があると理解する。
私にできる精一杯を価値にして提供する。
私の楽しいが、誰かの役に立てばいいな。
その上でやっぱり、過ちと夢見ることを恐れず、進み続けたいですね。
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