見出し画像

こんな時だけど(だから)、精神の安寧のために(も)お弁当を拵えようと私は思うのだ。

ニュースを見ていると(予防的措置か封じ込めか)アゼルバイジャンと近隣各国を結ぶ空の便が、続々と停止になって、とうとう何か不測の事態が起こっても日本に帰るという術が、陸路、空路ともにほとんどなくなってしまった。もとより(このコロナ禍のためには)出国するつもりはなかったけれど、言いようのない閉塞感が押し寄せて、夫と軽口を言って笑おうとするけれど、自分の声が思った以上に乾いていてぎくりとする(本国に帰国した東南アジアや北米、欧州の友人もたくさんいて)。

とはいえ、われわれの暮らしは変わらず。
感染予防に気を配って、よく手を洗い、無用の外出を控え、友人たちとはハグとキスの代わりにアジアっぽく合掌して挨拶をし、よく食べよく寝て抵抗力を養って、粛々と毎日の日常を生きる。

画像2

そんなわけで、自家用車通勤、個別の執務室に缶詰になって仕事、という社内検疫状態の夫のために、この春からは、毎日お弁当を作ってあげることにした。実は主婦になってほぼ10年にして、初の試み。そもそもは、日本で魔法瓶になっているお弁当箱(スープも入る)を購入してきたので、冷たいご飯が苦手な彼も、喜んで食べてくれるだろうという算段だったのだけれど、副次的な産物である私のための家弁(ただガラスの保存容器に詰めてキッチンカウンターに放置する)が何より(私自身に)好評なのだ。

まず、日に三度料理をしなくてもよい。主婦のお昼ごはんなんてテキトウに済ませちゃうことが多いのだけれど、それでも。朝ごはんの片付けが終わって、昼ごはんを作って、また後片付け、と思ったらもう夕食の支度。なんの罰かと思う無限ループ。でも、私のためにもお弁当(家弁)があると、栄養のバランスもいいし、書き物をしていても、さっとお茶を入れるくらいで昼食が食べられて、しかも無為におやつを食べちゃうことも減るし、とてもよい。そして生活のリズムが整う。作り置きと朝にまとめて調理を済ませることで、夕方キッチンにいる時間も減り、有効に使える時間が増える。

画像2

お弁当づくりの手間自体も、想像よりも大したことがなかった。

週に一度か二度、野菜のおかずを作り置きするのは、以前からの私の習慣で、特に苦でもない。こつは必要以上に頑張りすぎないこと。かける時間は、だいたい1時間程度にして、品数にして6品くらい、オーブンで焼いただけ、茹でただけ、というものも多いのだけれど、その調理の手間をまとめてやっておくだけで、確かに朝の料理の手間が歴然と違う。

画像1

そして、意外と和食らしい味付けでなくてもよい。わが家の食卓には、そのほうが断然汎用性が高い。
バターとオリーブで煮込んだ紫キャベツ、オレガノをまぶして焼いた南瓜、ディルで和えた揚げ茄子、クミンを加えてとろとろになるまで炒め蒸しにしたズッキーニ。これに毎朝、肉か魚を焼いてお弁当箱に詰めるだけ。ごはんにも合うし、夕食にステーキや、パスタの付け合せに盛り合わせてもよし、ささっと一皿に盛り合わせて、夕刻、つめたい白ワインのお供にも。

(詳しいレシピは、Twitterのハッシュタグ、#作り置キキ、ご参照)

とにかく、ちゃんと食べる、よく寝る。
自分や家族の健康のために、できることを努めているという、心の充足感もそれなりに大事で、自分の心を温める。こんな時だけど(だから)、精神の安寧のために(も)お弁当を拵えようと私は思うのだ。

あなたがもし、この創作物に対して「なにか対価を支払うべき」価値を見つけてくださるなら、こんなにうれしいことはありません。