「楽しそうだから」も立派な理由
―楽しそうだから。
就活時代にエントリーシートの志望動機欄に何度もそう書こうと思った。
だけど、それでは絶対に相手にしてもらえないからと、思ってもいないキレイ事をつらつらと並べモヤモヤとしていた日常。
結局第一志望の会社には無事に就職することが出来たが、仮染の志望動機を伝える時は、まるで自分という殻の中に、他人が入り込んでいるかのような感覚すらあった。
会社に入って同期等と就活のことを話して答え合わせ。
結果は皆ほとんど同じ。
"就活のために"志望動機を作った人間ばかりだった。
個性豊富な同期によって創造された動機は様々だったが、共通していたのは皆根底に「楽しそう」という気持ちがあったこと。
ここまで書いて自分の前職の人間が、「志望動機もろくに持っていない、中身のない人間」というようなネガティブキャンペーンを行っているようで、すごく申し訳ない気持ちになった。
先に断っておくが、みんな個性豊かで優秀な、いい意味でヤバイ人間の集まりだ。
おかげで、ドラム缶風呂や室内流しそーめんから、一週間でのアメリカ縦横断キャンピングカー旅行等、単純に「楽しそうだから」という自分の思いつきを実行することができた。
自分を動かすのは自分
就活でもそうだったが、「楽しそうだからやりたい」って単純に思っているのに、他人に納得してもらうために適当な理由を考えている人が多い。
そしてその理由を考える過程で、萎えて行動を諦める人も多い。
でも冷静に、自分の行動の決定権は自分にしかないということを自覚してほしい。
他人のために理由を考える義理などない
仮にもしあなたの周りに非難するような人間がいたとしても、そういう人間はどうしようもない人間なので無視していい。
そこに従う必要もないし、従ったところで楽しさは無い。
くり返しいうが、楽しそうと思ったならそれで十分な理由だ。
別に「自分探しのために」なんて、意識高い理由を考える必要はない。行きたいなら、楽しそうなら、インドでもアフリカでも行ってくればいい。
もしお金で困っているなら、ローンなりクラウドファンディングなり手段もあるし、時間が無いと言うなら仕事を辞めるなり、休学するなりの手段もある。
やろうと思えば可能性は無限大。
あとは他人を気にせず自分が楽しいと思うこと、自分が楽しいと思う人生を生きるべきだ。
楽しいだけでも立派な理由
私は自分の人生に後悔をしたことがほとんどありません。
どうしてかというと楽しそうと思ったことをちゃんとしてきたから。
・スカイダイビング
・日本バイク旅
・アメリカ横断
・オーストラリアラウンド
・無人島キャンプ
・アフリカ出張
などなど、あーやりたいなーと思ったことは迷わず全てやってきた。
多分これは幼少期の頃の父の言葉が影響しているように思う。
口数が多いわけでもない父がしきりに私に浴びせていたのは、「他人がどうとかじゃなくて、自分がやりたいと思った事をやりなさい」という言葉。
この言葉を守ってきたからこそ、後悔の無い人生を過ごせていると思う。
何かをする上で、理由や目的を探そうとしている人は、そんなに深く考えずに自分で楽しいかどうかで判断してほしい。
きっといい人生になると、私が保証します。
現在進行形で夫婦でワーホリ中ですが、ワーホリにきた理由ももとをたどれば「楽しそうだから」というもの。
まだワーホリも始まったばかりだが、自分が楽しいと思うことをひたすらやり続けていきたい。
また、ワーホリの期間に限らず、今後の人生でもきっと決断の連続だと思うが、この基準だけは変えるつもりはない。
絶対に最高の人生を過ごせると確信しているから。
今年で56歳になる父の誕生日前に、ふと昔に刷り込まれた記憶を思い出したのと、嫁に自分の思い切りの良さについていつも疑問に思われるので、文字に起こして自分の気持ちを書いてみました。
拙い文章で読みづらいですが、伝えたいことは一つ。
みなさんが楽しいと思う、最高の人生をお過ごしください。
ありがとございました。
皆さんのサポートは無駄にはなりません。