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第3話 神武天皇お船出の巻


記紀きき〟には船出の詳細はしるされていませんので、地元伝承のルートを辿たどってみます。

Google map 皇宮神社〜立磐神社 現在の道を歩いて56.5㌔の距離


宮崎神宮・皇宮神社

宮崎神宮 ご祭神 神日本磐余彦天皇かむやまといわれひこのすめらみこと    相殿に 父 鵜草葺不合命うがやふきあえずのみこと玉依姫命たまよりひめのみこと
西都原遺跡さいとばるいせきから出土した舟形埴輪ふながたはにわを再現した「おきよ丸」。宮崎神宮大祭(神武さま)の行列で使われているそうです。
ご朱印


湯之宮神社ゆのみやじんじゃ

神武天皇が湯浴ゆあみみをし、休息した際に地面に突き立てた枝が芽吹き梅の木になったと言われる「湯之宮座論梅ゆのみやざろんばい」の伝承があります。

湯之宮神社 ご祭神 猿田彦命さるたひこのみこと


都農神社つのじんじゃ

神武天皇が東遷の折に立ち寄り、海上平穏や武運長久を祈ったと伝わります。日向国一之宮。都農神社の氏子には三輪姓の方が多いそうです。ご祭神からしても大和の大神神社おおみわじんじゃとの関わりが思い浮かびます。

都農神社 ご祭神 丨大己貴命《おおなむちのみこと》(丨大国主命《おおくにぬしのみこと》)
ご朱印


立磐神社たていわじんじゃ

お船出の地 美々津みみつ。境内には神武天皇が出航の際に腰掛け指揮したとされる「神武天皇御腰懸磐」があります。

立磐神社 ご祭神 住吉三神、神武天皇
ご朱印


美々津みみつ

駆け足で宮崎の神武天皇伝承地を巡ってきました。

日本書紀にほんしょきは、「その年の十月の丁巳ひのとのみ朔辛酉ついたちかのとのとり(5日)に、天皇はみずから諸皇子と舟軍をひきいて東征の途にのぼられた」

古事記こじきは、「日向ひむかよりたして、筑紫つくしに幸でます・・」

 どちらもさらっと書くだけで、どこから船出したか、どこへ立ち寄ったかは書かれていません。神武天皇の偉業をたたえて古くから地元に伝わるものなのか、〝記紀きき〟をベースに後付された伝承なのかはわかりません。

ただ、〝記紀きき〟が記す東征ルートから「日向ひむか」が現在の宮崎県・鹿児島県の一部を表していることは間違い無いと思います。(「日向ひむかとは日に向かうという意味で特定の場所を指すものではない」という解釈を以前何かで読んだ記憶があるのですが、神武東征の出発地点として使われる日向は、豊予海峡や宇佐より南にある日向国ひむかのくに(当時は現在の宮崎県と鹿児島県の一部を含めた区域)を表していると思います)

【日本書紀】 出発場所記載無し→速吸之門はやすいのと(豊予海峡)→宇佐→筑紫の岡水門おかのみなと
【古事記】  日向より発って→宇佐→岡水門

 〝先代旧事本紀せんだいくじほんぎ〟と〝古語拾遺こごしゅうい〟には、軍の総大将が大伴氏の遠祖とおつおや日臣命ひのおみのみことであることが記されています。

〝古事記〟では椎根津彦は吉備(岡山県)の高嶋宮を出発した後にある速吸門はやすいのとに登場するので、それは明石海峡であろうと考えられていますが、ここでは〝日本書紀〟に従って豊予海峡として書き進めます。

ランチタイム

日向市にある食堂みやこ家さん。魚が美味しいお店のようでしたが前夜海鮮料理食べたばかりだし、お船出ということで必勝祈願して昼はカツ丼にしました☺


次回は速吸之門から宇佐、岡水門への巻です。お楽しみに〜!

 






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