ニギハヤヒの伝承地を訪ねる⑦ 磐船大神社と鴨習太神社
これまで主に生駒山地の伝承地を訪ねてきましたが、生駒山地は大和川で区切られ、その南は金剛山地となります。金剛山地は明神山、二上山、岩橋山、葛城山、金剛山などから構成され、中でも葛城山は古代、葛城襲津彦を祖とする葛城氏の拠点であり、それよりもっと前の時代は、鴨氏や神武東征の論功行賞で葛城国造となった剣根命、そして尾張氏の本拠でもありました。
生駒山地と違い、金剛山地には饒速日命の伝承地はほとんど見当たりません。ただ、大阪側、大阪府南河内郡河南町に岩船大神社(栂の宮)と鴨習太神社という神社があって、どちらも饒速日命を主祭神としているというので訪れました。
磐船大神社(栂の宮)
交野市の磐船神社同様、饒速日命が天磐船に乗って天降ったという伝承が伝わります。境内にはそのことを示す舟形の巨石もあります。ただ、神社の歴史はそんなに古くはなくて、江戸時代に高貴寺の僧 慈雲 が開いた両部神道「葛城神道」の根本道場として建立したのが始まりとされます。その後、明治政府の神仏判然令によって高貴寺から分離し磐船大神社を称したそうです。
高貴寺
役行者の創建と伝わります。弘仁年間に空海が来往し高貴寺に改称。高野山真言宗となります。山号は神下山、本尊は五大明王。
鴨習太神社
延喜式神名帳に「河内国石川郡鴨習太神社」と記される古社ですが、中世には神仏習合などの影響もあって衰退し、所在がわからなくなっていたものを明治時代になって現在地に再興したようです。
葛城と河内を結ぶ水越峠越えの道は古くから人々の往来があります(現在の国道309号線)。地理的にも、社名からしても本来は鴨氏が祖神を祀っていたもではないかと思われます。長らく途絶えていてたものを、饒速日命を主祭神として再興するようになったのは、磐船大神社(葛城神道)の影響かも知れません(私の推測です)。
饒速日命を祀る神社は全国に約200社程あります。全てが主祭神として祀られているわけではなくて、多くの祭神の中の一柱だったり、摂社末社にひっそりと祀られていたりします。何より同一神ともされる天火明命を含めた数字ですので、分けて饒速日命単独ならばもっと少なくなります。
※天照国照彦火明櫛玉饒速日尊という別名から、天照国照彦火明命(天照玉命、天火明命)と同一神とされる場合があります(『先代旧事本紀』や一部氏族の系図、神社由緒等)。一方、『新撰姓氏録』は、饒速日命は「天神」、彦火明命は「天孫」に区別し、別の神であると記します。
「祀る人々が居てこその神」という考えからすると、祖神を祀る神社の分布は、物部氏や天火明命を祀る尾張氏、海部氏らの子孫の分布とも言えます。ただ、各地にある物部神社と冠する神社には饒速日命が祀られていません。(祀るのは2社のみ)。それと物部氏の総氏神として知られる石上神宮も実は饒速日命は祭神として祀られていません。
天火明命と同神かどうかは後にして、まずは石上神宮を紹介しつつ、次回、物部氏と饒速日命について考えてみたいと思います。
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