見出し画像

罪と美 | フォスター・ミックリー展

文:石井潤一郎
read in English

今日海岸線を歩くと、貝殻よりも先に目に入ってくるのはプラスチック・ゴミかもしれない。そして貝殻よりも先にプラスチック・ゴミに目を向ける方が、今日のコンテンポラリー・アートのムードであるかもしれない。

フォスター・ミックリーの言に従うならば、「貝殻の美」とは、注目されることによってはじめて発見される。ならば、わたしたちは社会の「美」に注目するよりも先に、社会の「罪」に注目する行為に「アート」という名前をつける時代に生きているのかもしれない。

海岸の冷たい現実に目を向けることはもちろん重要だが、その「罪」を眼前に並べ、嘆き、環境保護の重要性を訴えるだけでは間に合わないかもしれない。すでに多くが失われた、あるいはすっかり見えにくくなった、わたしたちの周囲の「美」に目を凝らし、それが見えるように力添えすることも、美術作家に課せられた重要な役割りのひとつである。わたしたちは、わたしたち自身が発見した「美」によって、そしてそれに魅了されることによって、自分自身の物語を獲得してゆく。そうして自分自身の物語を綴ることによってこそ、わたしたちは周囲の繊細な「美」に目を開いてゆけるのである。

「Wish Exchange」と題した作品において、フォスター・ミックリーの作品は自身が海岸で拾い集めてきた貝殻によって構成される。

作家は貝殻をひとつひとつ丁寧に、展覧会場の床に並べて観客を待つ。

会期中の毎日、ギャラリーが終了したのち、そしてオープンする前にも、ミックリーは会場で長い時間を過ごし、そして少しづつ、貝殻を彼自身が落ち着きの良いと感じる場所に移動し、配置し、整備する。朝、展覧会の開場時に現れるミックリーの「作品」には、明け方の海岸のような静けさがある。

最初の観客がやってくると、貝殻はゆっくりと移動を始める。そして一日を通してスペース内を動き回り、人が来るたびにその様相を変えてゆく。先ほど見かけた貝殻も、しばらくすると他の誰かの手によって別の場所で別の小さなアイデアの素材として使われている。つまり人々の想像力に従って、あちこちに小さなインスタレーションが発生する。そこに注目することによってスペースは無限に印象を変え、会場内に射しこむ自然光とともに時々刻々と変化してゆく。

その中央付近で、動きの少ないのが小さな砂の山である。展覧会場では意図せず踏まれたり落下したりすることによって貝殻が砕けることもある。ミックリーはその砕けた貝殻を、丁寧に砂山の近くに運ぶ。小さな破片は拾い上げるのが難しいから、観客に触れられる機会が少なく、必然的に移動も少ない。つまり見ようによっては、このインスタレーションは中央の砂山をコアとして、人々の想像力の波に揺れる作品なのである。

「何でもない」と思えば何でもない、しかしこの小さな「美」に集中するために、ギャラリーからは丹念に「不要なもの」が排除されている。情報を最低限に絞ることによって、わたしたちは自身の想像力に遊ぶ。そしてたまたま居合わせた来場者とそれを共有することによって、なにか、子供の頃に長い時間を他者と過ごしたような記憶さえ喚起されるのである。

ミックリーが制作したインスタレーションが大宇宙であるとすれば、一日の最後には、観客が生成した、無数のマイクロ・コスモスが発生する。そして日々淡々と、貝殻を整えるフォスター・ミックリーの姿は、まるで大宇宙の庭師か、あるいは延々と海岸線に打ち寄せる、波のようにも見えるのである。

画像2

写実主義の画家、ギュスターヴ・クールベ(1819 - 1877)は、1849年「歴史画」と称して « オルナンの埋葬 » と題した大作を発表した。

当時フランスにおいて「歴史画」とは、古代の神々、殉教者、英雄、王族などを理想的に描いたものを指していた。オルナンという山奥の田舎町での、名もなき村人の葬儀を主題として描かれた絵画に、「歴史画」と銘打つなど言語道断であるとして、クールベの作は非難された。

クールベはまた、1866年 « 世界の起源 » と題し、ベッドの上に横たわる女性の、性器を画面の中心に据えた作品を制作した。当時エロティシズムや猥褻の表現は、ロマン主義的あるいは幻想的に理想化されたもののみが許されていた。« 世界の起源 » は1988年まで一般に公開されることはなかったが、ここでもクールベは、当時の常識を逸脱した前衛的な作品を制作していた。

« 世界の起源 » の所有者でもあったフランスの精神分析家、ジャック・ラカン(1901 - 1981)は1974年、自身の精神分析理論において、「シェーマ RSI」と呼ばれる分類方法を使用した。RSIとはすなわち「le réel(現実界)」「le symbolique(象徴界)」「l’imaginaire(想像界)」の頭文字である。

「リアル」すなわちこの「現実界」の定義は、クールベ以降の「写実主義」を評する際にしばしば引用される。そしてまたクールベの「写実主義」は、表現の限界を押し開いた、近現代アート史のひとつの要としても知られている。

ラカンよりおよそ200年ほど遡る18世紀末、ドイツのイマヌエル・カント(1724 - 1804)を始めとする哲学者たちは、「美」と「崇高」を対立する概念であるとして論じていた。すなわち「美」を「有限な世界における多様性の美しさ」とする一方、「崇高」を「無限な空間や力によって引き起こされる凄ましさ」とし、これらを対置させることにより美学上の概念を検討していた。

ラカンは、「美」を「想像界(the imaginary / イマジナリー)」の機能とし、「崇高」を「象徴界(the symbolic / シンボリック)」の機能であるとした。

「想像界」とは、イメージに媒介される二者関係、例えば微笑み合う母と子、水鏡に恋をするナルキッソスの陶酔、対象に自己を投影して、そこに天国を視る美しさである。しかし鏡像に恋をして、湖に溺れるナルキッソスの陶酔の果ては、「死」という悲しい現実である。

一方の「象徴界」とは、言語とそれに基づく社会秩序、例えば「父」という「掟」の象徴としての第三者である。ここには「象徴すること」と同時に「象徴しきれない」という葛藤がある。

母との天国的な蜜月を阻害する父は、厄介な存在ではあるが同時に、陶酔に溺れ、地獄に落ちることを防ぐかもしれない。天国的な同一性が言語によって引き裂かれる痛みを引き受けることによって、人は天国でも地獄でもない、「生」という、いわば煉獄にとどまり続けるのである。

イメージへの陶酔を「美」であるとするならば、シンボルへの象徴化は「崇高」である。しかし、例えばいくら「死」をイメージしたとしても、それは「死」そのものではない。そして例えどれほどの言葉で「死」に言及してみたとしても、それは「死」そのものではない。「死」とはただ「死」それ自体の、永遠に冷たい「現実」である。

精神分析家ジャック・ラカンは、この「空虚で無根拠な、決して人間が触れたり所有したりすることのできない世界の客体的現実」を指して「現実界」と定義した。爾来、アートの世界も写実化した。20世紀の美術史を振り返るところ、「美」であることよりも「真(まこと)」であることに比重が移行して、発展してきたようにも思えるのである。

フォスター・ミックリーの作品を考えるにあたって、どうしても切り離すことができないのが、この「美」というキーワードではないだろうか。近現代のアート史の中で、ともすれば軽んじてこられた「美」という概念が、ミックリーの作品には溢れている。しかしこのことは、彼の作品が前近代的である、ということを意味しない。90年代から注目を集めるようになった「リレーショナル・アート」の言葉を借りて、むしろミックリーの作品は、「美」から「崇高」、そして「現実」へと展開した前世紀の創作の歴史を経て、人間の興味・欲求、すなわち「アート」を批評する意識の基準が、ふたたび「美」に近づいていることさえも予感させるのである。

ミックリーの作品は、観客に贈られる「美しい」「ギフト」である。そしてこのキーワードとなる「美しさ」とは、現代アートにとって今日、あらためて問われるべき主題ではなかろうか。

「美」であることとは都合よく、感傷的で幼い、浅はかな人間の期待なのだろうか。機械的で冷たい「現実」は、かつて思われていたように、人間の未来を豊かな調和に導くのだろうか。「現実」的であろうとする熱心な努力が、素朴な「美」の感覚を置き去りにしたまま、コミュニケーションのさらなる断絶を招いているような今日、ミックリーの作品は、個々に分断された人々の「現実」間を、「美」の想像力によって、満たしてゆくようにも見えないだろうか。

美——それは、前時代に退けられた単なる「網膜の快楽」ではなく、なにかしら心に浸透するもの、観る者が人生を通して獲得してきた、それぞれの物語に雄弁に語りかける、もっと直感的で、もっと根源的な感覚なのではないだろうか。

画像2

Foster Mickley exhibition « Wish Exchange »

2021.07.16-18 / 07.23-25 / 07.30-08.01
Open 12:00 - 18:00 at KIKA gallery

2021.08.28-29 / 09.03-05
Open 11:00 - 18:00 at Tsubomido

Curation : Isabelle Olivier / Philippe Bergonzo / Jun'ichiro ISHII
Cooperation : Jama Gallery / Tsubomido / KIKA gallery


石井潤一郎(いしい・じゅんいちろう)
https://junichiroishii.com/
1975年生まれ。美術作家。2004年よりアジアから中東、ヨーロッパの「アートの周縁 / インターローカルな場」を巡りながら20カ国以上で作品を制作・発表。2020年よりICA 京都(Institute of Contemporary Arts Kyoto)で、レジデンシーズ・コーディネーター としてAIRのネットワーク作りを行う一方、KIKA galleryのプログラム・マネージャーと してアーティストの展覧会作りにも関わっている。京都精華大学非常勤講師。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?