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ここでおしまい 行き止まりです

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その日は仕事が早く終わって、それもすっきりと区切りよく、伊勢丹の煌びやかさに足を止めるほどだった。
急いでないとはいえ、来月は息子の誕生日じゃないか。
いよいよ社会人になるのなら良い時計でも買ってやりたい。

というのも私は高校のころ、父から時計を贈られたことがあり、そのことが今更ありがたく思えるからだ。
あの頃は過ぎた物だと緊張したが、今思えば、こんな物でも貰わないと、私の身だしなみに対する意識はもっと酷いことになっていただろう。
もちろん華美なタイプではない。
ただ軽くて丈夫で勝手もよく、高いだけの理由があるもんだと感心したものだった。

大きな老舗なので、どこの店舗に飛び込んでもその場で調整して貰えるのが有難い。
なにより"時計店"なんて場所が自分の生活にコネクトしたことで「大人になった」と背筋を伸ばすことができた。
父の狙いはそこだったのではないかと思う。
古い人の「大人」の区切りは当時の私にとって早すぎたが。

先輩にやられた悪戯を、3年生になったとき罪なき1年生に報復するように、息子には同じ店の時計を渡してやりたいのだ。

時計は今も困ったところなく、腕の上で回っている。
とはいえ、ごく正確に震える宝石を心臓にしていても、時計というのはだんだんズレてしまうものらしい。
何年もずぼらなメンテナンスをしていて1度も遅いと感じたことは無いが、良い機会なので自分の時計も預けることにした。

以前調整してもらったのがいつだったか、思い出せないくらいだ。

通勤の度この伊勢丹を通るのに、時計のためだけに寄る気にもなれないのか、何も買わないのが後ろめたいのか。
かといって私も妻もファッションには明るくないので買い物に行くこともなく、足が遠のいていた。

女は買い物が長いと言うが、妻はデパートに行くとめんどくさそうに「店員に丸々揃えてほしい」などと言い出すような人だ。
そのたび私はこらこらと笑いつつも、密かに共感していた。
服にも容姿にもあまりこだわりがなく、酒もやらない身軽なところが、妻と気の合う理由かもしれない。

ただ、そんな妻でも、レコードの事となると人が変わったようになる。
私には同じように見えるが、彼女にとっては大問題らしく、並べるだけでも物語があるらしい。
彼女の部屋の一角からはいつも紙が焼けたような古びた香りがしていた。

それがなんとなく寂しいのは、彼女の愛を一身に受ける無機物に対する嫉妬というよりは、自分が手に入れられない「愛しさ」を持つ彼女への羨望だろう。

みんな、1つは買い物の得意分野を持っている気がする。
しかし私には無いのだ。1つも。

ピカピカに磨かれたガラスに、外連味のない景色のような私が映る。
思うに、そうだろうか。
この靴は私の靴だろうか。

こんなことを思ったのは初めてのはずだが、今の今まで、それも生まれてから53年間、ずっと持っていた疑問な気もした。
言い出しにくかった質問をやっと投げかけられたとすら、やり遂げたとも、「やってしまった」とも思えた。

にわかに不安が浮かんでくる。
慌てて携帯電話に目をやると、青すぎて緑色のようになった液晶がぱかっと開いた。
私はiPhone Xを、持っていた気がする。
今手の中で、何が開いた?
小さな十字キーをかちこち器用に押し込んで、連絡帳を見てみた。

「ゆぅ」「お兄ちゃん」

やはり知った名前は無い。

それどころか、私は子供だ。
中学生くらいの女の子だ。

お菓子の匂いのする白い指が視界にチラチラ写り始める。
吐き気が一瞬でせり上がってきたように突然、俺は顔を上げた。

人間、動揺すると周りをきょろきょろ眺めてしまうのは何なのだろう。
別に今周りを見渡しても、何も解決はしないし、変わったところはない。
小田急線中央林間の、汚いホームが広がっているだけだ。

動物は物理的に周囲にあるもの以外、危険対象として想定していないから、こういう時でも半径10メートルくらいを無意味に確認してしまうのだろう。
滑稽すぎてガッカリする。

猫は自由な動物だから、街を歩いている方がいいと固く信じていたのに、「猫が一生に持つ縄張りの範囲はせいぜい50メートル」と知ったときのような、つまらない気持ちになる。

だけどそんなこと、どこで知ったというのか。
俺は今までそんな話聞いたことがないし、聞いたとしても全く興味がないから忘れるに違いない。

TVを観ると人類は皆猫好きということになっているが、俺は猫といわず大抵の動物が好きではないのだから。

なのに。

ポンとLINEの音がした。妻からだ。
「いつ頃帰る?今日鍋🍲」

いつのまにかマナーモードが切り替わっていたことに驚いて、iPhone Xを取りこぼしそうになった。
カバーを迷ったまま裸で使っているせいで、つるつると扱いにくい。
光る液晶に首を折る私が、GUCCIのウィンドウに映っている。

そうだ。

私は生まれて53年と4ヶ月だ。
私にとって据わりのいい数字ではないが、もしも、

もしも今日がキリのいい日なら?

大きな仕事をしていても、長時間座っていても、「じゃあ一区切りつけよう」となるような、据わりのいい数字だとしたら?

ああ、よく考えてみれば、60なんてとてもキリのいい数字とは言えない!

でも私たちは60と言われれば、神聖な円を思い浮かべて、一周したと言うじゃないか。

24時間なんて、どこが一区切りだというんだろう。

なのに24時間とみると、私たちは全ての作業を一旦止めてしまう。当然のように。

時計の針と針が重なったら、その境界から逃れられないんだ。

こうしている間も私は、私の年月は、指の先は、服の縫製まで、
刻一刻と、震えている?

違う、妻から電話だ。
さっきマナーモードを入れ直したんだ。
iPhoneはマナーモードにしやすいけれど、そのぶん誤作動を起こしやすい。

黒い高級感のある画面にゴシック体で浮かび上がる、妻への幼稚なあだ名を見ると、
崇めるようにテレビを囲んだ、暖かい部屋を思い出した。

今日は真ん中に鍋まであるのだ。

嫌がるだろうが、時計選びのことを相談しよう。
いくらシンプルなものといっても、息子の好みを知らなすぎて選ぶ取っ掛かりすらない。

別にサプライズというわけでもないのだから、息子を連れてきたっていいのだが…
目が飛び出るような高価なものを強請られたらどうしようか。

何年もお世話になっている店にやっとお金を払える喜びで「うん」と言ってしまいそうだ。
横で止めてもらうために妻も連れて、家族で出かけるのもいいかもしれない。

指をするりとスワイプさせれば、彼女の太った声が聞こえた。

「もうちょっとだけ保ってくれない?」

「あと1分でいいから、ほら」
「ちょうど一周でしょ」


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