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最良の再会にする

先日、
私が中学生だったころの学友たちが集う
「還暦同窓会」が開催されました。
幹事となってお世話いただいたみなさんには、感謝の言葉しかありません。

学友のそれぞれが当時の面影を残しながらも、それぞれの経験によって刻まれた「シワ(!?)」を誇り合い、また、それぞれのここまでをねぎらい合うような、それはそれは楽しい会となりました。

当時の先生方も多く出席していただき、
そのお元気な姿に触れ、とてもうれしかったです。
恩師となる先生方の目には、
60歳となった私たちの姿はどのように映ったでしょうか。

『幸せになる勇気』(岸見一郎・古賀史建)には、
次のような「哲人」の言葉があります。

われわれに与えられた時間は、
有限なものです。
そして時間が有限である以上、
すべての対人関係は
「別れ」を前提に
成り立っています。
現実としてわれわれは、
別れるために出会うのです。
だとすれば、
われわれにできることは
ひとつでしょう。
すべての出会いと
すべての対人関係において、
ただひたすら
「最良の別れ」に向けた
不断の努力を傾ける。
それだけです。
いつか別れる日がやってきたとき、
「この人と出会い、
この人とともに過ごした時間は、
間違いじゃなかった」
と納得できるよう、
不断の努力を傾けるのです。

中学校の教師となっていた私は、
この「哲人」の言葉に出会い、深く共感したものです。

中学生にとっては、
長い人生の中のほんの「3年間」。
しかし、
教師にとっては、
その生徒に関われる貴重な貴重な「3年間」です。

別れるために出会う子らとの3年間において、「最良の別れ(=卒業式)」に向けた不断の努力を傾けよう。
そして、
いま、ともに、ここを真剣に生きることを大切にしよう
、と
「なりたい自分」の姿として、このことを深く胸に刻みました。

「教師」という立場ではなく、
一人の「教え子(教えられ子)」として臨んだ今回の「還暦同窓会」。

ある先生は、当時、先生になったばかりで、失敗の連続だったことを話してくださいました。また、ある先生は、こんな私の授業でいいのだろうかと悩んでいたことを告白されました。実は、この先生、明るくて涼やかなまなざしの先生で、中学生だった私のあこがれでした。
いずれも、私たち生徒が知ることのなかった学校の舞台裏の話です。
そして、先生方のそれぞれが、「とてもいい時代だった。」と、なつかしそうに話されました。
そんな話に触れ、当時の先生方は、
私たちに真摯に向き合ってくださっていたのだということを実感しました。

さらに刺激的だったのは、
先生方それぞれが、「今」を充実されていたことです。当時の美術の先生は、退職した今も作品づくりをし、個展を開き、海外へも出向くとのこと。町内の世話役として忙しくされている先生もいました。
そんな話に触れ、目の前の先生方が、どんどんあの当時の若々しい姿にもどっていくような不思議な感覚になりました。

「最良の別れ」を経て待っていたのは、
「最良の再会」であったといえます。
あの時があったからこその
このよき再会です。
別れたその先での出会い直しです。

「最良の別れ」をめざす生き方も大切ですが、「最良の再会」までをめざす生き方もまた私たち教師には求められているのではないか、と「なりたい自分」を更新できた幸せな心地でした。

私の教え子たちが、
もし同窓会を持つことがあり、
もし招待されることがあったなら、
元気な姿で出会いに行きたいと思っています。
その再会の日まで、
子らに負けない成長を
私も積み上げておきたいです。





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