ポン先生

私は、中学校の国語の教師。2024年3月に現場を退きました。今後は、授業や教室のノウハ…

ポン先生

私は、中学校の国語の教師。2024年3月に現場を退きました。今後は、授業や教室のノウハウをこのNOTEの場で広く公開することで、今、授業づくりで悩んでいる教員の皆さん、特に若手教員の皆さんのお役に立ちたいと考えています。いっしょに勉強しましょう。

最近の記事

おい、それでいいのか?

教員による不祥事事案がニュースになるたびに、心が痛くなります。 教育は、人と人との「信頼」をもととします。 その「信頼」は、 教員の「誠実」によって時間をかけて形作られるものです。 どの学校の職員室においても、 教員による不祥事を根絶するための研修をすすめていることでしょう。 さて、 どうすれば、 不祥事をなくせるでしょうか。 教員に限らず、 どのような職場においても、 深く考察していただけたらと考えます。 私が校長であった時に 職員室の先生方にお話ししたことを 次の1

    • なぜ、古典を学ぶのか?

      中学生になると「古典」を学ぶようになります。 「なぜ、古典を学ぶのか?」 このことは、 学習者である中学生にとって 学習の入門期にぜひ確かめておきたい大切なことです。 古人は、今も生きている 私は、 中学一年生の「古典」の学習のスタートの際に 次のように確かめています。 人気漫画『ワンピース』に登場するご存じチョッパー。 そのお師匠さんにあたるDr.ヒルルクは、 次のように言います。 「よう…人はいつ死ぬと思う? 心臓をピストルで撃ち抜かれた時? 違う 不治の病に侵さ

      • 初心

         私たちは、 「初心忘るべからず」という言葉を、 「それを始めたときの初々しい気持ちを忘れてはいけない。」 という意味で使っていますが、 本当は少し違うようです。 この言葉は、 「能」を大成した世阿弥が、 父である観阿弥から伝えられた芸の極意をまとめた『風姿花伝』の中にある言葉です。 まず、 「初心」の「初」という字は、 「ころもへん」と「刀」からできています。 よって「初」は、「衣(布地)を刀(はさみ)で裁つ」という意味を持つ字で、 まっさらな生地にはじめて刀(はさみ)

        • 一眼二足三胆四力

          一眼二足三胆四力 ( いちがん にそく さんたん しりき ) この言葉は、 「剣道」で使われる言葉のひとつで、 古来より剣道において大切とされるものを 重要なものから順に並べているのです。 一眼 第1に大切なのは「眼」。 剣道においては、相手の心とその動作とを見破る眼力、  洞察力が最も重要。 この眼力を養うことで、心と心の戦いを制するというのです。 二足 第2は「足」。 足はすべての動作の基本。 剣道においては、 「立合いは竹刀で打つな、手で打つな、胴造りして足で打て

        おい、それでいいのか?

          ひとしきり語れるだけの深い味

          「部首」いうものは、厄介なものです。 なかでも、 漢字の部首を正しく指摘する問題には、なかなか苦労をします。 たとえば、次の漢字の部首はそれぞれ何ですか?    枚  牧  財  敗  酒   「部首」について理解するには、 「部首はその漢字の意味と関係している」ということを 押さえることが大切です。 漢字の大部分は、 「発音を表す部分」と「意味を表す部分」とから成り立つ「形声文字」です。 このうちの「意味を表す部分」が「部首」である場合が圧倒的に多いのです。 枚 と

          ひとしきり語れるだけの深い味

          ともに学ぶということ

          この記事のタイトルの上に示した画像は 私の若かりし日の姿。 実は、あしたは、私の61回目の誕生日。 教師という「人を育てる」仕事を得て、 ここまでやってきましたが、 私自身は、私自身を学ぶ営みによって育てられたでしょうか。 静かに振り返ってみたいと思います。 ジャーナリストのむのたけじさんは、次のように言います。   学ぶ営みは、一人ではじめて、一人へもどっていく。   はじめた自分と、もどっていく自分とのあいだに、   たくさんの人が入れば入るほど、   学んだものは

          ともに学ぶということ

          「学習の振り返り」と子らの評価

          学習(授業)の主体は、「子ども」、つまり「学習者」です。 学習(授業)の主体は、「指導者」ではありません。 よって、 学習(授業)では、「子らの主体性の高まり」がポイントとなります。 簡単に言えば、 学習を子らが自分事としているか、 学習の調整・評価・方向づけなどを自覚的にすすめているか、 学ぶことの手応えを子ら自ら感じているか、 が大切になるということです。 これらは、 生涯にわたって学び続けるこのできる人づくりに 欠かせない視点です。 そのために、 指導者は、 「

          「学習の振り返り」と子らの評価

          発表の際の「指名」

          「たくさん手が挙がりましたね。では、〇〇さん。」 「ほかにありますか?」 このように、 教室では、 指導者が子らを指名し、 発言を求めるシーンがありますね。 私は、この「指名」の仕方を少し工夫することで、 教室は大きく変わると考えます。 どうすれば、いいでしょうか。 次のファイルを確認ください。 Befor → After の形でよりよい「指名」の仕方を示しています。 私の提案する指名の仕方を、「複数指名」と言います。 この複数指名のよいところは、次の3点です。

          発表の際の「指名」

          「つぶやきを大切にする」を勘違いしない

          小学校で授業を参観する機会がありました。 子らが勝手がってに自由に発言し、 指導者がその声をもらさず拾おうと頑張り、 小さなつぶやきにも注意をこらしている姿がありました。 「うちのクラスは、活発に発言ができ、積極的です。」 という指導者の声が聞こえてきそうな授業です。 私は、このような「教室」をよしとしません。 おそらくこの指導者は、 先輩の先生からも「子らのつぶやきを大切にしなさい。」とアドバイスされてきたのでしょう。 実は、このアドバイスを勘違いすると、 「荒れる

          「つぶやきを大切にする」を勘違いしない

          「発表してくれませんか?」って、おかしいでしょ

          授業の中で、とても気になる教師の言葉があります。 それは、 「発表してくれませんか?」という教師の言葉です。 おそらく、 授業の中で、なにげなく発してしまっている方も多いのではないでしょうか。 私は、この言葉がとても気になります。 なぜなら、 この言葉に、指導者としての「授業観」「学習観」が色濃く表われてしまっていると考えるからです。 授業中に、 指導者が子らに向かって言う「発表してくれませんか?」は、 まったくもって「教室」にふさわしくありません。 どうしてそう言える

          「発表してくれませんか?」って、おかしいでしょ

          考え方のクセ

          人には、それぞれ考え方のクセがあるものです。 ある人は、常に楽観的な考え方をするクセを持っていたり、 ある人は、目の前の事象に対して「こうあるべき…」ととらえがちになったり…。 その考え方のクセは、 その人そのものの形成を大きく左右するものであることから、 よりよく改善ができるようでありたいものです。 次のファイルには、 私が心に宿している、 私が心の中に育てている「4人衆」です。 考え方のクセを形成する要素と考えてみてください。 みなさんは、心の中に「どんな人物」

          考え方のクセ

          授業をこう変える!

          授業改善が各学校で進められていますが、 「何をどう変えるのか」という視点が大切です。 改善の方針は、 「学習の主体は子らであり、 子ら自らに生涯にわたって学び続けられるような力を身につけさせること」です。 改善の具体的な方向性について 次に示すファイルに 「Befor」→「After」として示しました。 参考にしてみてください。    ※それぞれの解説について、今後投稿できるようしたいです。

          授業をこう変える!

          人として精一杯生きること

          今から千年ほど前、中国の胡寅(こいん)という学者が、 『読史管見(とくしかんけん)』という書物の中で、 次のように述べています。      人事(じんじ)を尽(つ)くして天命(てんめい)を待つ 「人間としてできるかぎりのことをしたら、あとはその結果を天の意思にまかせる」というのです。 たとえば、中学生が努力して勉強し、高校への入学試験に臨んだ後、その合否が発表されるのを待っている時など、こうした表現を使ってその思い・心境を言い表すことがありますね。 しかし、これに対して

          人として精一杯生きること

          「思いやり」がもたらすもの

          「コロナ禍」の中で学んだすてきな言葉があります。  『 三尺(さんじやく)三寸(さんずん)の箸(はし) 』という言葉です。 「三尺三寸」とは、約1メートルの長さのこと。「箸」とは、もちろんみなさんが食事の際に使っている「おはし」のこと。まあ、なんて長いおはしでしょう。使うのにひと苦労しそうですね。 この言葉には、次のようなお話があるのです。 舞台は、「地獄」と「極楽」。 まずは、「地獄」。大きなテーブルには、おいしそうな料理が山ほど並んでいます。そこに用意された箸が、こ

          「思いやり」がもたらすもの

          よし、やってみよう!

          「よし、やってみよう!」 指導者なら、子らにこう言わせたいものです。 次に紹介するものは、地域でのボランティア活動に自ら取り組んだひとりの中学生が、私に語ってくれた言葉です。 「実は、これまで、(ボランティアを)やろうとも思わなかった。でも、やってみたら、すごく楽しいし、またやりたくなった。もっとこうしたらいいともわかった。ゲームをしていた休日とはちがう過ごし方を見つけたんです。」 子らの中には、 「行動をしようとは思っている。でも、できない…」という思いを持つ子らもい

          よし、やってみよう!

          「やればできる」以外の言葉で

          「やればできる」の残酷 「やればできる!」という言葉。 学校では、子らをはげます言葉としてよく使います。 しかし、この言葉は、時に子らへのとても残酷な言葉となることがあります。 なぜなら、「いくらやっても、できない…」こともあるからです。 では、指導者は、子らにどんな言葉がけをすればよいのでしょうか。 為末大(ためすえだい) さんの言葉 400Mハードルの日本記録保持者でもあり、北京オリンピックにも出場された為末大(ためすえだい) さんは、次のように言っています。

          「やればできる」以外の言葉で