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なぜ、古典を学ぶのか?

中学生になると「古典」を学ぶようになります。
なぜ、古典を学ぶのか?
このことは、
学習者である中学生にとって
学習の入門期にぜひ確かめておきたい大切なことです。

私は、
中学一年生の
「古典」の学習のスタートの際に、
いつも、次のように確かめています。

人気漫画『ワンピース』に登場する
ご存じチョッパー。
そのお師匠さんにあたるDr.ヒルルクの言葉をまず紹介します。

よう…人はいつ死ぬと思う?
心臓をピストルで撃ち抜かれた時?
違う
不治の病に侵された時?
違う
猛毒キノコのスープを飲んだ時?
違う
人に、忘れられた時さ

この言葉を紹介した後、
子らに次の言葉を投げかけます。

私たちは、
「古典」の学習において、
柿本人麻呂、清少納言、兼好法師、松尾芭蕉…、
これら多くの古人が残した作品と
出会うことになります。
いまだに忘れられていない人たちです。
これら古人は、
このDr.ヒルルクの言葉に従うなら、
古人は、今も生きている。
作品を通じて
生きて私たちの前に
その姿を現すのだ、と言えます。

さらに、
兼好法師の次の言葉を紹介します。

   ひとり、灯(ともしび)のもとに
 文(ふみ)をひろげて、
 見ぬ世の人を友とするぞ、
 こよなう慰むわざなる。

         
  日が暮れて、
  明かりをともして独りで本を開く。
  その文に触れると、
  いにしえのまだ見ぬ人たちと
  心の友になる心地がして、
  とても心が満たされるものだ。

(『徒然草』第13段)

兼好法師は、
いにしえの文章に触れ、
文字の向こうにたたずむ古人たちを
目の前にしているのですね。
そして、
古人は、その作品を通じて語りかけてくるのです。

時空をこえた「出会い」であり、
「交流」であると言えます。


今も生きる古人たちを友とできる学習。

これが、古典の学習なのです。

私は、この話をした後、
「古典」を学ぶ意義について
次の2つを子らに示します。

①     日本文化の源流に触れ、
  国際人としての基盤をつくること。

②     古人の思いやものの見方に学び、
  今を生きる自分を見つめ、
  自らの生き方のヒントを得ること。

特に、②は大切です。
学習者が「古典」と向き合う必然性の部分だからです。

高等学校での古典の学習では、
やれ古語の意味、やれ助動詞の種類など、
上記の➀➁からは程遠いものになりがちです。
「古典の面白さ」に迫れる授業でありたいと考えます。


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