見出し画像

映画「ブータン山の教室」

映画を見て忘れられないワンシーンというのがある。
この映画はワンシーンというより、「ワンカット」。

重要な役割を担ったぺんペン.ザムという少女の笑顔が、見終わった後も頭から離れなかった。

美しい人間をみたーそういう感動が胸高鳴らせたのである。

「ブータン山の教室」は「世界一幸せな国」として知られるブータンを舞台に現代的な暮らしに慣れた青年教師と、秘境に住む子どもたちとの交流を描いた物語だ。

舞台はヒマラヤ山脈の氷河沿い、標高4800メートルにある人口56人のルナナという村。ルナナに行くには舗装された道路から山道を歩いて10日間。電気も水道も通っていない。
監督も撮影中の2か月半でシャワーを浴びたのは1度だけだったと。

生活は自給自足で、ヤクの糞を燃料にして生活している。

ほとんどの役を56人の村人に演じてもらったという。映画はもちろんカメラも見たことがないという人ばかり。

その中の一人がペン.ザムという少女だ。
このペン.ザムの実生活に合わせて、脚本も書き換えたという。
彼女は父が昼間から酒浸り、母は家を出て行ってしまうが、年老いた祖母を支えて生きている。
実生活そのままのストーリーで映画も展開する。

「彼女は苦労のそぶりも見せず人生の美しさと生きる喜びを全身で感じていた。生命からほとばしる混じりけのない輝きを生かすことを意識して脚本を書いた。」と監督が言っている。

その通り、監督が感じた感動がそのまま、作品の中に息づいた。
ペン.ザムのほとばしる混じりけのない輝きに、魅了された。
忘れられない作品だ。

感動


今まで私は何に感動しただろうか。
様々なことがある。演劇、音楽、卒業式、旅行、景色。
人生を彩る様々な出来事があった。

その中でも、「人」に感じた感動は、いつまでも、心に残っているなと思う。
辛い時、苦しい時、この人生が空しく思えるときが人生にはある。
そんな時、ふといつも思い出す。

インドの貧民街の家に私を招いてくれたその人。
私を信じて、無垢な笑顔を見せてくれた。
字も読めず、何も持たず、祈っていた。
その人の笑顔を思いだす。

人間は人間に感動するのかもしれない。
”ほとばしる混じりけのない輝き”の人間に感動するのかもしれない。


そんな人になれるのか。
俗世にまみれて、物質文明の中で欲を追い求めている自分がそんな輝きを持てるときが来るのだろうか。

監督は言う。

「私たちの周りには、何不自由ない暮らしを送っていても、人生の本当に充実感を味わえず、いつも不満をこぼしている人たちがいます。
ルナナの人々の生き方や生活の営みには、現代社会から失われかけていた清らかな人間の精神が息づいていました。
私たちは、どうしても目に見えるものばかりを追い続け、幸福の要因を自分の外に求めがちです。でも本当の幸せは、誰が与えてくれるものではなく、自身の中に求め、築いていくものですよね。それを周囲に反映して、自分の外にある世界も変えていくものだと思うのです。」


足元をみつめれば、感謝できることはたくさんある。
失って初めて、気づく愚かなことはしたくない。

身近な人々の”ほとばしる混じりけのない輝き”に気付ける自分でありたいと思う。

この記事が参加している募集

#映画感想文

68,192件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?