見出し画像

民俗学から見る紀伊路 川を境目に変わる文化圏(吉村旭輝/和歌山大学准教授)

和歌山大学の紀伊半島価値共創基幹で、民俗学や芸能史を研究している吉村旭輝准教授は、これまで何度も紀伊路沿いの地域でフィールドワークを行ってきました。
2023年11月に「紀伊路SCAPE」のメンバーと一緒に紀伊路を歩いたことで、「いつもと違った視点で地域を見ることができて、地域の良さがわかりやすく浮かび上がった」といいます。見方によって異なる表情を見せる紀伊路や、民俗学の観点で見た紀伊路などについてお話を伺いました。

――我々とは、紀伊路の内原王子神社(日高町)から叶王子社跡(印南町)を一緒に歩きましたね

そのあたりはこれまで車で何度も通ってきた場所でしたが、車が通らないような細々したところも歩いてまわれたので、いつもより地域の良さがわかりやすく見えました。

調査する際は1つの街や集落の中だけを歩き回り、複数の街を横断して歩くことはあまりないので、良い経験になりました。
道中では王子(※熊野古道沿いにある神社・お社)にいくつか立ち寄りましたが、調査では神社やお寺を訪れるのは祭礼が行われて人出が多いときばかりなので、ゆっくりと静かに見て回れるのも良かったです。
道中で立ち寄った田中神社では急に自然に囲まれて、都会ではなくなるような感覚がありました。

――紀伊路の一部分を歩いて、民俗学の観点から何か感じたことはありますか?

川を越えると、街の雰囲気や文化が変わるなと感じました。
川伝いに両岸で文化圏が異なるケースは、今でも全国的に結構残っています。かつては農業を行う際に水利が重要だったので、川の北岸と南岸にそれぞれ水を引きやすい地域が固まりとなり、村や組が形成されていったんです。江戸時代には、水をめぐる争論も多々あったそうです。

あとは、農村と都市(街中)の違いを感じましたね。
1300~1600年代の中世にかけて、それまであった農村や漁村とは別に、門前町や寺内町といった都市が新たに形成されました。今回歩いた区間だと、道成寺や本願寺日高別院の周辺地域が該当します。他にも、田辺や新宮などの城下町とか、紀伊路のような街道沿いだと宿場町も生まれていったんです。

農村は農業、漁村は漁業を生業としていますが、門前町や城下町などの都市では商工業が中心となって栄えていきました。そうすると、街によって人々の生活スタイルが全く別物となり、違いが生じてきます。
現代でも街のつくりの根底には、その頃の名残があるんですよ。

――昔の街が基盤となって、現代にも受け継がれているんですね。歩いた中で印象的な場所はありますか?

入り組んだ入江が見える展望台や、難破船の供養塔があったところですね。
和歌山県で最も古いお寺で、歌舞伎や能の演目にもなっている有名な安珍・清姫伝説の舞台になった「道成寺」にも寄りました。お寺が所有している江戸時代の古文書を整理する作業をずっとやってきたので、調査で何度も通ってきた馴染みのある場所です。
安珍への愛憎から蛇になった清姫を埋葬したとされる「蛇塚」も、道成寺近くにありましたね。

民俗学の視点から言うと、季節ごとに訪れたらもっと違いを感じられて、地域に根付く文化が色濃く見えてくると思います。わかりやすい例だと、お正月・お盆・秋の収穫前後とかにそれぞれ来たら、祭事や自然の変化がわかります。
秋祭りとか良いですよ。一度歩いただけだと静かな地域でも、「こんなに人がいたんだ」と、住んでいる人々が見えてくるんですよ。どこからともなく太鼓の音が聞こえて来たりと、にぎやかです。

――吉村先生が感じる紀伊路の魅力を教えてください

他の熊野古道のルートと違って世界遺産に認定されていないために、整備されないままの場所も多く、地域性や文化のコントラストが道沿いにしっかりと残っていることですかね。
大阪と和歌山だと、領主の違いによってコントラストがはっきりわかれていたりとか。和歌山県内だと、みなべ町あたりで和歌山(紀北)から熊野に文化圏が変わりゆく様子が見て取れます。

「紀伊路SCAPE」では、紀伊路という道だけではなくて、その周辺部にどんな街があって、どんな人が住んでいるかというところまで掘り下げてもらいたいです。宿をつくる際には、地元の方とのつながりが大事になると思います。地域は人間の営みあってこそなので。

あとは、失われた食文化の復活もできたらいいですよね。
本学の元学生が昔は有名だったものの、今はなくなってしまった「粉河のこんにゃく」について調べていまして、そうしたものも紀伊路で発掘してもらえたらなと。

《プロフィール》
吉村 旭輝
和歌山大学 紀伊半島価値共創基幹(紀州経済史文化史研究所)准教授
研究分野は民俗芸能、芸能史、祭礼史、博物館学。

中世芸能の経済的基盤となる寺社と芸能者の近世での交渉史を研究している。また、全国各地で行われている祭礼での民俗芸能の研究にも着手しており、本人も2010年の復興に関わった和歌祭御船歌の継承にも尽力するとともに、地元泉大津市のだんじり祭りにも参加している。
直近では、熊野街道における小栗判官関連の史跡とその生成についての論文を発表した。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?