私のどこが好き?って聞いてくるヤツ。
ねぇ、私のどこが好き?
そういや妻からそういう質問をされたことがない。もちろん私からも「俺のどこがいいと思って結婚したの?」と聞いたことがない。
みなさん、私のどこが好き?
我々夫婦は、お互いに認め合っている2人というわけでもないが、それぞれが我こそ世界最高の男・女、と思い込んでいるフシがあるから、他人からの評価を必要としていない。
外出するときの妻を見て「ずいぶんな美人が家にいるなと思ったら、君かぁ」と驚いてあげると、妻は真顔で「あたりまえだよね」と言う。
ごくたまに、私の仕事の成果物を妻に見せることがある。スマホ画面を見せてあげて「これ、いいセンスしてるでしょ、俺が全部やった」と言うと、妻は真顔で「悪くないね、でも、もっとできる気がするけど。ほらこことか」と答えるので「うるせぇな」と言う。
外に出て、だれかとある程度仲良くなると「イトーさんの奥さんは、どんな人なんですか?」と聞かれる。既婚者ならよくある話。
「どんな人?」と改めて聞かれると困る。
妻はどんな人だろう、と考えながら生きていない。ステレオタイプな16の個性のどれかに落とし込んで、妻にラベルを貼ったこともない。だから見た目の話をするしかない。今まで見てきた人の中で最も美しい人だ、と話すしかない。
ねぇ、私のどこが好き? と聞かれたことはない。だから答えたことがない。これからも妻からそう質問されることはないだろうから、答えを用意することもない。
…
そういや、脳の外側、いわゆる大脳新皮質は言語をつかさどる。ここは言語、理屈、損得みたいな処理が得意だ。人間の脳の構造においては比較的アタラシイ場所、それが大脳新皮質。言語化を得意とする場所。
一方で脳のよりコアな部分、つまり内側、ここは大脳辺縁系と呼ばれ、言語を扱えない。情動、本能、記憶をつかさどる。大脳新皮質よりはるかに古い場所で、より原始的な場所。
こういう場合は、本能的な大脳辺縁系が納得できていないし、言語的な大脳新皮質が情報を処理しきれていない。だからこそ「言葉にできない」という表現が生まれる。
…
ねぇ、私のどこが好き? と妻から聞かれたことはないから、答えたことがない。この質問をされたとしても、即座に答えは浮かばない。
つまり言語化できていない。
妻のことがなぜ好きなのか、なぜ一緒にいるのかを説明できない。言葉で説明できないのに一緒にいる。これは不思議だ。
プロポーズのときにも「好きだから結婚しよう」だけだった。「君との素敵な未来が想像できるから」とか「君といると僕が楽しいから」とかそんなことは言わなかった。
なので恋だの愛だのに、言語は不要といえる。大脳新皮質は眠ったままでいい。
そう考えると、小田和正の名曲『言葉にできない』は、大脳辺縁系ソングだということになる。
何度も「言葉にできない」を連呼して、最後には「ラーラーラーララーラ♫」って、マジで言葉にしてこない。あれは大脳辺縁系だけで歌ってる曲なんだな。
第一、この大脳新皮質がきちんと機能して「私のどこが好き?」にパチっと答えられたとする。それはたとえば、
とか、
とか、
とまぁ、こんなところ。
くっだらね。あほくさ。ばからし。
私は思うのだが、こういう「どこが好きなのか?」を言語化できている、ということは「替えがきく」ということになるのではないか。
料理上手で、ニコニコしていて、お願いを聞いてくれない我が道をいく系、ってことになるわけだから、これは替えがきくでしょ。代わりになる人を探そうと思えば、いくらでも探せそうだ。
つまり、言葉にできた瞬間、妻は代わりのきく存在に格下げになってしまう。
どこが好きなのか? をきちんと言葉にすることも大切なんだろうけれど、もっと脳の深い部分、感情や本能の部分。
「なんか言葉にできないんだけど、好きなんだよね」くらいが恋や愛の分野では1番いいと思ってる。
「イトーさん、なぜそう思うんですか?」という理由を尋ねられたら、それこそ言葉にできない。
こういうのは理屈屋の大脳新皮質ではなく、より感情的な大脳辺縁系に任せておけばいいってことだね。
ですからいいですか、恋する諸君。
大脳新皮質で屁理屈をこねくりまわさず、
大脳辺縁系で人を愛しなさい。
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