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死にたい気持ちと生きること

私は死にたい。そう思っていることが多々ある。

このまま消えてしまいたい。スッとどこかへ行けたのなら。

そう思ってしまう。


この気持ちは、厄介だ。私の人生がこの感情にかかりっきりになって、他のことができなくなる。

事実、私は今、やっておくべきことが出来ないでいる。でも、ここにnoteを書いている。

私はなんとかして生きていたいのかもしれない。こうやって、思っていることをここに書くことで少しでも消化して、もう一度生きよう。そう思いたいのかもしれない。


私が初めてこの感情に出会ったのは、小学3年生の頃だ。

私は、いじめといじりの違いが分からなかった。

いじめ調査もあったけれど、学校はいじめはないと言うから、私の受けているあれぐらいのことではいじめなんて言っちゃいけない。そう思ってた。

もっと辛い状況の人がいると思えばその時はなんとか生き延びることが出来た。


それからは断続的にこの感情と一緒に生きている。

私自身はこういう感情が私の中にあることに何の違和感も持たずに生きてきた。どんな人も抱いているものだと思っていた。

しかし、どうも辛い。体も動かないし、頭も回らない。このままでは大変なことになると思っていたら、朝全く起きれなくなった。

起立性調節障害だった。

その前に今まで経験したことのないストレスにさらされていたのもあって、もう全てがどうでもよく思えた。


なる様になってしまえって。


学校が私は大っ嫌いだった。型にはまっていて全く柔軟性がない環境が嫌いだった。

それから、ずっとベットの上で過ごした。

何も出来ない日々だった。

本も読めないし、音楽も聴けない。


このままどうかしちゃうんじゃないかと思った。


でも、それからもなんだかんだ生きている。

自分を自分で傷つけた事もあった。

今でも感情が嵐のように吹き荒れて、それを吐き出して落ち着くためのノートが手放せない。ないときはスマホのメモになぐり書いている。


何で私は生きてるんだろう。

生きる価値ってどこにあるんだろう。

生きるって何?

そもそも、私は今生きてるの?


そんな風に混乱して、どうかしちゃいそうな日々が続いた。

今は、少し落ち着いている。

だけど、ただ時を過ごしている事しかできないから、もっと能動的に、私が私らしいなと思えるようなことをしていきたい。

時間がかかると思うな。

一歩。踏み出し続けていたいな。

上は私の過去の一歩を考えた記事。

出来るかな。

出来ないよな…。

どうしよう。

思考と感情が大きく揺れる。

やりたいことは考える事だけど、それはとっても苦しいし。

苦しいけど、考える事を手放したら、私が私じゃなくなってしまう気がする。

考え抜く強さが欲しい。

苦しさに耐えられるようになりたい。

感情を受け止めてあげたい。

心を、私を大切にしてあげたい。


これから私はどうしていけば良いのだろう。


悩みは尽きないし、考える事は苦しいし…。


絶望の中に希望を見いだせる力を保ったまま生きていけるだろうか。


混沌の中で私らしいダンスを堂々と踊っていられるようにしたい。

まだまだ道は長いな。


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