生きるってなんだ
生きるって一体なんなのでしょう。
私たちは今生きているのでしょうか。
もしかしたら死んでいるのかもしれない。そう思えてしまった時が過去に何度かあります。
私は生きているような形をとっているけれど、本当は生きていない。
意識だけがあって実態はない。
この感覚があるのは厄介だ。
だって確実に私は今生きているはずだから。少なくとも生物学的には。
では本当の意味で私が生きていると言うにはどうすれば良いのだろう。
私の場合、考えて、それを表現して、苦しんでいる時、生きているような感覚が少しする。
逆にこれらが全くない時は私は生きているのだろうかと疑ってしまう。
さぁて、どうしたものか。
私は今ここに本当に存在しているのだろうか。
こんな訳の分からないことを考えてしまうのが私という人なのだ。
自分でもこの思考がなくなってくれればと時々思ってしまうが、なくなってしまうことは私の死を意味するんじゃないかとも思えてしまう。
また相反する感情だ。
どうやって折り合いをつけていけば良いのだろう。
果たして、折り合いはつくのだろうか。
まぁついてくれなきゃ困る。
ある程度普通に現実的に生きられないものかな。
しかし、普通という言葉もなかなかに引っかかるところがある言葉だ。
普通。普通。
どこにあるのだろうか。普通は。
誰が決めたのだろう。普通は。
そんなことを大真面目にじっくりと考えてしまうから現実のことに手がつかなくなる。
私が生きていないんじゃないかと考えると怖くなるし、ふわふわした不思議な感覚になる。現実から離れた不思議な世界を生きているかのように見えてしまう。
何なのだろうこの感覚は。
この感覚に囚われて、現実に立脚することだ出来なくなる。手がつかなくなる。
カウンセリングでは、五感から感じることを書いてみてと言われたけど、この五感というのもよく分からない。
この感覚は私の感覚なだろうか。私って何なのだろうか。
私には、私という実態はないように思えてしまう。
私という意識だけが私で、その他は私ではないんじゃないかと思えてしまう。
だから、体の死が本当に私の死なのか疑問を持つわけである。すると、生きることにも疑問がわいてくる。
考えている私は私として生きているけれど、考えていない私は生きていないんじゃないか。そんな風に思えてしまう。
でも、多分本当は違うのだろう。それは分かっている。私の体が死んだときが私の死のはずだ。だけど、やっぱりこの考えには疑問が残る。
さぁて、どうやってこの感覚、考えを直していこうものかな。というか直るのかな。この感覚。
でも直ってくれないとちゃんと生きられないよな…。
私、これからどうなっていくんだろう。
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