古い物を捨てると、未来が明るく見えてくる
こんにちは、ぱんだごろごろです。
この一ヶ月で、洋服四枚とハンカチ五枚、バッグを三つ処分しました。
これらのものを捨てた結果、わかったことは、
古くなったものを手離すと、目の前がすっきりして、視界が明るく見えてくる、ということ。
古くなったことに気付かず、いつまでも、かつてお気に入りだったから、と言う理由で使い続けていると、知らず知らずのうちに、自分自身がくたびれてくるのですね。
服やバッグに蓄積された疲れが、それを身に着ける自分自身に返ってくる、と言えばいいでしょうか。
ですから、古くなったものを、定期的に手離してあげることは、
健康上も、重要なことだと思うのです。
タイトルを、「古い物を捨てると、未来が明るく見えてくる」としたのは、そういう訳からです。
私の場合、洋服は、お店で購入してから、資源ゴミとして、古着リサイクルに出されるまで、
前半生と後半生の二つの人生を生きることになっています。
前半生は、お出かけ着としての、華やかな人生です。
今回処分した服も、友人たちとの会食や、家族と出かける際などに活躍してくれました。
ただし、出番はさほど多くはありません。
真珠のネックレスやパンプス、綺麗なバッグと一緒に出掛けます。
後半生は、通勤着として、働きます。
出番も増えます。
週に二回、着てもらえることもあります。
お供は通勤バッグに、歩きやすいスニーカー。
初老の女性は、舗装されたアスファルトの歩道でも、
何の意味もなく、つまずいて(アスファルトに引っかかって)よろけるため、
毎日の通勤には、かかとのあるパンプスよりも、
命を守る運動靴がぴったりなのです。
手にするのは、やはりかつてはお出かけ用だった、トートバッグ。
新しくて、傷ひとつなかったバッグも、
年月が経つと同時に、後進に道をゆずり、
実用的なバッグに早変わりするのです。
今回、処分したバッグは、三つ。
①と②は、お出かけ用のバッグとして、前半生を送った後、通勤バッグとして、一日の半分を、狭いロッカーの中で、過ごすことになりました。
満員の通勤電車の中で、揉みくちゃにされるという経験も積んだあと、
人生の静かな幕引きを迎えたのです。
一方、③は、単調な一生を送りました。
あまりにシンプルな型だったので、近所に出掛ける時にしか、使われることがありませんでした。
こういう場合、あまり出番がなかったバッグに同情して、もう少し引退を遅らせてやりたい、と思うものですが、
うっかりそれをしてしまうと、冒頭に述べたようなことになります。
出番がなくとも、経年劣化は避けられません。
確実にバッグは、年を取っているのです。
バッグの老いを我が身に引き受けて、自分がくたびれるのは、御法度です。
そういう訳で、三つのバッグは、その役目を終えました。
付け加えて言うなら、
洋服は、後半生を通勤着として働いたあとは、引退です。
部屋着になることはありません。
部屋着になる服は、最初から部屋着として我が家にやってきます。
購入先は、ランズエンドかユニクロです。
息子のお下がりを、部屋着として着ることもよくあります。
特に、息子はパーカーはいっさい着ないため、うっかりセールの時に、高校生の息子用にと思って買ったパーカーは、以後8年間、私が着ることになりました。
*ランズエンドが、今年中に、日本から撤退することになりました。
(日本ランズエンドは12月で閉店します)
残念です。撤退前に必要なものを買っておこうと思います。
**タイトル画像は、ちょこ@40代ぐうたら主婦のイラスト日記さんからお借りしました。
ありがとうございました。
今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
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