読む記事の数を減らしたら、コメントをする回数が増えました
こんにちは、ぱんだごろごろです。
ミイコさんに教えて頂き、記事に対するスキの通知が来ないようにしました。
それまで毎日のようにしていた、ルーティンのようなスキのお返しをしなくなった結果、自然に起こった変化がありました。
今日はそのことについてお話ししたいと思います。
三つの変化
まず、一つ目の変化として、フォローしているnoterさんの、一つひとつの記事を、前より「ゆっくり読むようになりました」。
前は、楽しむためと言うよりは、宿題をするような気持ちで、noterさんの記事を読んでいました。
読み終えた後は、すぐに次の記事を読むために、いつも急いでいました。
ひとつでも多くの記事を読んで、スキを付けたかったのです。
けれど、スキの通知が来なくなってからは、自分で読みたいと思った記事をゆっくり読むようになりました。
すると、一日に数本の割合で、執筆された方に向けて、語りかけたくなる記事に出会うのです。
今までは、時間に追われていたせいもあって、コメントをすることが少なかったのですが、今は、読んだら、スキを押して、コメントを書く、という流れになっています。
「コメントを書く回数が増えた」、これが二つ目の変化です。
ゆっくり読むようになった結果、コメントの内容が、自然に頭の中に浮かんでくるようになったのですね。
加えて、今までは、他の方のコメントも読んで、場の空気を飲み込んでから、自分のコメントを書くようにしていたのですが、今は、書きたい内容のコメントをただ書くだけになっています。
記事をゆっくり読みながら、作者の方に話し掛けるように、頭の中に出来上がってきた言葉を、そのまま外に出しているのです。
また、このnoterさんの記事にはコメントを書いたのに、この方には書いていない、などと思うことも一切なくなりました。
自分がコメントを書きたいと思うから書くのです。
その時々で、自然にコメントしたい内容が頭に思い浮かんでくる記事、こない記事がある、というだけです。
コメントしないからといって、私がその方の記事を大事に思っていないということではないのです。
ようやく、そういうことがわかってきました。
長くかかりました(笑)
目に見えるものがすべてではないのですね。
三つ目の変化です。
興味を引かれた記事が、読んだ結果、自分には合わない記事だと判断せざるを得なかった場合。
今までは、どうしても自分の信条と相容れない記事だった場合、スキは押さず、押さなかったことに対して、一抹の申し訳なさを感じ、そう感じる自分にちょっぴり不甲斐なさを感じていました。
今は、自分に合わない記事だと思った場合、そう思った時点で、読むのを止めるようになりました。
当然のことですが、スキは押しません。
自分に正直になった、ということだと思っています。
noteの街で暮らすに当たって、私の中で、遠慮がなくなった、ということかもしれません。
以上、三点が、ここ数日の間に起こった私の変化です。
この変化が、また時を重ねていくうちに違った形に変貌することもあるかもしれません。
それでいいと思います。
noterの皆様、これからも、ぱんだごろごろとのお付き合いをよろしくお願い申し上げます。
今週のお祝いボード
今週はお祝いボードを1枚頂きました。
以下はその画像と対象になった記事です。
スキを付けてくださった皆様、どうもありがとうございました。
今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
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