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子どもが出てくる映画の話をしよう。その8 レバノン発『存在のない子供たち』

『存在のない子供たち』は、2018年制作のレバノン映画だ。

ナディーン監督というレバノン出身の女性が撮った作品で、アカデミー賞外国語映画賞、カンヌ国際映画祭のパルム・ドールも受賞している。・・なんてことはどうでもいい。映画を観たのは2019年。冷静に、と斜に構えてみていたけれど、泣いてしまった。

冒頭、ゼインは裁判所にいる。彼は訴える。自分の親を。この国の大人を。子どもが親を訴える、というこの裁判がショッキングなのではない。

この裁判にいたるまでの道が、こうなるしかないと納得させられるような状況なのがあまりにつらいのだ。

物語は中東のスラム。貧しいうえに子だくさんの家で生まれた12歳の少年ゼインの生きざまを描いている。ゼインは出生届をだされていない、存在のない子供。学校にいくこともできず毎日手伝いなどをして小銭を稼いでいる。でも11歳の妹が金銭めあてで年上のおやじに嫁がされると、ゼインも家を飛び出し放浪の日々に。そしてある赤ん坊連れの女性と知り合うが・・。

映像はまるでドキュメンタリーのようで、私たちは少年の後姿をひたすら追いかけるだけ。一人乗るバス。しのびこむ遊園地。行方をくらました赤ん坊の母親。守りたいけれど守り切れない。やがてあんなに嫌っていた裏の仕事にも手を染めて。歩いても歩いても、その先に明るい未来はない。

だからゼインは訴える。なぜ、自分たちを産んだのか。なぜ、子供を産むのかと。

映画の話をしよう。この少年ゼインがめちゃくちゃいいのだ。もう、なんなんだってほどいい。疲れても怒っても、どこか遠いからっぽな空間を見据えているような表情。動き。最後の最後でやっと笑顔を見せる。一度きり。この少年は実際にシリア難民で、街中で監督たちがスカウトしたという。今はノルウェーにゆき学校にいっているという。

そしてゼインがつれまわす赤ん坊。この子がまためちゃくちゃいい。赤ん坊だから演技じゃないんだろうけど、一挙一動すばらしい。ほかの登場人物たちも、ほとんどずぶの素人で、監督自身も映像に登場している。

ナディーン監督は、たぶん相当の思いと覚悟をして撮影したんだろうな。大人として。映画人として。“語る”ということは、そういうことなんだろう。

こちらはアジアのニッポンの映画館で、これを観て、胸うたれた。知らない国の知らない物語が、ここに届いている。主題について思いめぐらす。すぐにではないだろうけれど、残された。まずはここから。映画ってやっぱりすごいね。

タイトル画像はお借りしました。Thanks.写真はチュニジアだそうです。









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