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こどもに戻ればストレスは消えるのか?〜舞台『こどもの一生』を観て

先日観た舞台『こどもの一生』。1週間以上経っても、観劇中の不気味な感覚が抜けない。

<公式HPにある簡単なあらすじ>
超わがままな製薬会社社長の三友と秘書・柿沼は、心のケアが専門の孤島のクリニックを訪れる。
共に治療を受けるのはデジタル庁勤務のエリート藤堂、コールセンター勤務の淳子、現役地下アイドルの亜美。
院長・木崎と看護師長・井手のもと、5人はストレスを取り除くため10歳の「こども」に返り、共同生活をすることになるが……。

https://stage.parco.jp/program/kodomo2022/

要するに、ストレスを解消するため、現実世界の社会的地位などをすべて忘れて、みんな平等で無邪気な「こども」になりきろう、という話だ。

本劇を観て、「こどもになりきる」というストレス解消方法、あながち間違いではないな〜と思った(劇中では、患者をストレスから救いたいという想いではなく、さまざまな思惑があってこどもに戻そうとするのだが)。

大人にあって、こどもにないものは「経験」だ。
「経験」がないから、こどもたちは相手の気持ちを想像できないし(しようがない)、他人と比べないし(比べようがない)、善悪の判断がつかないし、無限に想像(挑戦)できる

言い換えれば、こどもになれば、他者への気遣いがなくなり、自分のやりたいことに無邪気に挑戦できる。

他者への気遣いができない世界って、無遠慮な人が増えて生きにくそう感じてしまうかもしれない。だがむしろ、他者への気遣いが前提となっている今って実はかなり生きづらい社会なのではないかと思う。

何をするにも他者の顔色を窺って自由に行動できない今より、他人に構わず、自分のやりたいことに一直線になれたあの頃の方が、数倍生きやすかった。

他者への想像力は欠ける分、自分に対する想像力はものすごく持っていたので、一瞬でプリキュアになれたし、ポケモンマスターになれた。

今の社会を上手く生きるためには、「こども」のままい続けることは難しい。だが、心の中に「こども」を住ませて、しんどい時は「こども」として生きたい。

以下、劇を観て感じたことをバーっとまとめてみる。

<作品全体に対して>
コメディとホラーって共存できるんだ、と思った。クスッと笑ってしまう場面もあれば、ゾクッと鳥肌が立つ場面もある。脚本はもちろん、音楽やダンス、暗転のタイミングなど演出も不気味さを引き立てていると思う。30年前から上演され続けてきたとは思えないほど、現代版にアップデートされた内容だった。だがきっと、「コメディとホラーが共存できている」ということで、根源の部分は変わらないんだろうなと思う。

ずっと気になっていた『こどもの一生』というタイトルの意味、『こどもである一生』を表しているのではないかな。

<松島聡さんに対して>
松島聡さんが演じた柿沼という役は、「解離性障害」(自分が誰か分からなくなったり、複数の自己を持ったりする病気)を抱えており、心の中に「弱い柿沼」と「強い柿沼」が住んでいる。普段は(ほぼ)パワハラ社長の前でヘコヘコして謝ってばかりの柿沼だが、夜になると(もしくは、ストレスが一定を超えると)「強い柿沼」が登場し、柿沼の心を救う。この2面の演じ分けが見事だと思った。さらに、途中からは「こどもに戻る」ので、合計3つの面を持つことになる。セリフがない場面でも、表情や些細なリアクションで、松島聡さんが「今誰なのか」が分かったので面白かった。個人的に一番お気に入りは、「強い柿沼」が頭を壁に打ちつける場面。その行為に衝撃を受けたとともに、絶妙に演技が上手だったので、記憶に残っている(笑)。

松島聡さん、柿沼役を演じてくれてありがとう。

観劇してから1週間半経った今でも、『こどもの一生』のことを時々思い出してしまう。こどもについて、ごっこ遊びについて、「存在する」意味について。

しばらく、この余韻と向き合っていたい。

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