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人は「他人」を正しく評価できる!? 仕事に関する9つの嘘 その⑥

こんにちは。Kid.iAです。

今日は長男が保育園の遠足に行っています。やはり子どもにとっては遠足はいつもと違うちょっと「特別な日」。天気に恵まれて本当に良かったです。

さて、毎回「情報を軸とした問い」を立て考えたことを書いている本note「Toi Box」ですが、「世界最重要のビジネス書」として話題の「仕事に関する9つの嘘」の内容をまとめてきた本シリーズも7回目を迎えました。

⬇️ シリーズ過去投稿はコチラ


今回の問いは「9つの嘘」その⑥ということで「人は『他人』を正しく評価できる!?」です。

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パッと見て「え!?他人を評価するなんておこがましいにも程があるのでは…。」とか思ったりするのですが、よくよく考えてみるとビジネスや教育、スポーツなどの世界でも「普通に」行われていることなんですよね。

今回はビジネスの世界を前提に書きますが、果たして本当に人は「他人を評価」することが可能なのか?

早速「問い」に対する結論から書いていきます。

結論

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結論は「人は『他人』ではなく『自分の経験』なら正しく評価できる」ということです。

ではその意図するところは何かを今回は以下3点から説明し、私なりにまとめたいと思っています。

1.資質に「点数」はつけられるのか?

突然ですが、皆さん「トリプルトウループ」という名前を聴いたことはありますか?

氷のリンクの上で曲に合わせてパフォーマンスを行い、その採点で競い合う「フィギュアスケート」の「技(ジャンプ)」の一つです。

私も全く詳しくないのですが、実はこの「トリプルトウループ」という技、かなり明確に定義されているみたいでして、

「うしろ向きの足のアウトサイドエッジから、もう片方のトウをついて3回転し、踏んだのと同じうしろ向きのアウトサイドエッジで着氷する」

と定義されています。

驚いたことに、そこまで「厳密に定義されている技」でさえ「採点が分かれる」ことがあるのです。(冬季オリンピックでは、実際にある選手の評価が大きく分かれました。)

この話を読んだ上で、ビジネスにおける「他者の評価」について考えてみるといかがでしょうか?かなり難しく感じませんか?

そう。

他人の資質に「点数をつける」なんてことは厳密には「不可能」なんです。

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フィギュアスケートの採点のようなことが起こってしまう主な理由が、上記画像でもあるように3点あります。

1. 人は要素の一部が優れていると「全部も」そう見えてしまう。
2. 人の評価には「独自性」が必ず入ってしまう。
3. 基準が「曖昧」だと余計に自己流を促進してしまう。

また、ビジネスとなると、評価対象が「資質(ビジネススキル等)」という「かなり抽象的なもの」になるため、余計に評価者自身の特異性が反映される余地が拡大してしまうのです。

2.「人事評価」制度の問題点

次に、ビジネスシーンにおける「評価」といえば真っ先に出てくることが「人事評価制度」です。

人事評価制度は、企業がビジネスを持続的に行なっていく中で「かなり合理的に」設計されていることは事実であり、その制度には「良い点」も多数存在する一方「問題点」もあります。

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問題点1. 分布制限

企業に勤められている皆さんにお聞きしたいのですが、評価の時期に、これに似た言葉を上司から聞かされた経験はありませんでしょうか?

きみは本当は(5段階評価の)4に値するのだが、今年は『あなたの番』ではなかった。来年は4にできるように計らうから今回は飲み込んで欲しい。」

ちなみに私は昨年度、ほぼこれに相当する言葉を言われました笑。

こんなことが何故起こるのかというと、企業には、報酬を適切に差別化し、俗に言う「ハイパフォーマー(本当にそうかどうかは別ですが)」が得られるものが低パフォーマーよりずっと多くなるようにする狙いがあります。

これを「分布を制限する」と呼びます。

他にも人件費総額が予算上限に達しないようにする狙いもありますが、つまり、こと評価に関しては「自然な状態ではない」ということです。

問題点2. 一番「遠くの」人達による評価

また、問題はそれで終わることはありません。

一般的に上司の評価が終わってもその上と進んで、最終的なタレントレビューの前に「コンセンサス会議」や「評価調整会議」なるものが開かれます。

そこでは各部門に振り分けられた評価に用いる「評点の枠」を踏まえた評価の調整がなされるのですが、これの何が問題かというとコンセンサス会議に参加している人達はメンバーたちの普段の仕事を「あまり見ていない(見れない)上級管理職の方が多い」ということです。

被評価者からすれば、自分(の仕事)をあまり知らない多数の人たちに「最終評価」をされるワケです。

よく「群衆の知恵は正しい」と言われますが、それは「事情に通じた(群衆)」という修飾語が必要なことはあまり知られていないかもしれません。

3.自分のこととなると「まとも」になる?

では、一体どのような評価が「信頼できる評価」と言えるのでしょうか?

それを考える上でポイントになるのが「質問をすること」です。

誰に?

自分に」対する質問です。

例えば「今日の選挙、投票するとすれば誰にしようか?」という自分への質問に対する「その答え」は「信頼できる」と言えます。

これを「評価」にも当てはめてみるのです。

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あなたが「絶対に成果を挙げたい」と思う時に、「Aさんの力を必ず借りたいか?」という質問をしたときの「その答え」には「信頼性」があります。

ここで誤解しないで頂きたいのは「信頼性があること=正確であること」ではありません。

それはまた別の話なのですが、ここで言えることは人は他人を正しく評価することはできないが「自分自身の経験」は正しく評価できる、ということです。

まとめ

再度、結論を書きます。

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また上記とは違う言葉で端的に表すのであれば「『客観的な評価』より『主観的な感情』」とも言えそうです。

もしこの記事を読んで頂いた方で「他人の評価(しかもそれが著しく矛盾した評価)に苦しんでいる方がいたとすれば、そんなものは「無視」していいのではないでしょうか。

人は「他人」を正しく評価することは決してできないんですから。

もし記事に少しでも共感頂けたなら、「スキ」や「フォロー」をしていただけると嬉しいです‼️今後の創作の活力になります。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

(追記)以下、シリーズ全編をまとめています。


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