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気持ち悪い/いい感じ

イギリスのコメディアン(おじさん)が日本を旅して異文化に触れまくるというシリーズ物を掻い摘んで観たことがある。

で、あれは秋葉原だったろうか?

メイド喫茶を紹介され、是非入りましょうとガイドの日本人男性に誘われていた際、心底の嫌悪感を丸出しにしながら、俺はそんな気持ちが悪い(変態な)性的嗜好を持っていない!無理だ、嫌だ!絶対に入りたくない!!って、半ば素で怒り、結局入らなかった。

それをふと、思い出した。

欧米の大半の男性にとって〝もはや侮蔑混じりの嫌悪感丸出し〟な感覚の性的嗜好が、所変われば、というか日本では〝カルチャー〟の一つになっているというの、けっこうな異常だなと思うけど、ポップ化される(=大衆化される)とは、そういうことなんでしょうね。

その国のカルチャーにはカルチャーになるだけの固有の歴史背景や国民性などあり、その独自性は尊重されるべきというのはロジックでは分かるんだけど、その内容がこんなんで良いのか??とは思う。

Podcastでプロパガンダについての特集があって、この手のドキュメンタリーや本などは結構漁ってきたような気がするけど、また夢中で聴いた。戦時中などにもっとも洗脳・誘導されやすいのは〝教養が低く情動的な人〟とのデータが出ていた。

教養が低い人とは〝物事の色んな知見やパターンを知らず、比較したり多角的に見られない、自分の頭で判断・思考できない人、だから盲信しやすい人〟と添えられていた。

推測するに、おそらくそれはマジョリティのことだろう。だって、マジョリティにプロパガンダに扇動されない個別の判断・思考能力があればホロコーストも起こらなかったろうから。

とにかく、そういう風に盲信しやすい×感情的な人は、劇的で分かりやすく、情緒に訴えられるものに乗せられ共鳴しやすい。物語に酔い、乗っかりやすい。

実際の戦時下でそういう人をコントロールするのには〝楽しくて、一見気が付きにくいが巧妙に仕掛けられた概念や道筋の刷り込み・情動操作がある物語〟がテキメンなそうで。

ナチス体制下ではひたすらヒトラーの理念に基づき制作された〝プロパガンダを無意識に信じるよう組み込まれた映画やラジオ〟が放出されまくったのだったか。

その国に広まって認められている〝ポップ(大衆の)カルチャー〟って、だからつまり知らない間に無意識に受け入れさせられている可能性は大ってことでもありますね。カルチャーがその国の価値観・世界観・民度、、、をそのまま反映しているってこと。日本国民(のマジョリティ=大衆)はロリコンを受け入れて支持している、ということになる。ねえ、これで本当に良いの、、、?!

タイ人の友達に、バンコクには日本人専用のロリコン系の風俗街があるんだと昔聞かされた。10代前半の子を買いに来る日本人のサラリーマンのグループは少なくないんだよ、って。そのことを話す時の彼・彼女らの言葉や表現・表情には、やはりちょっとした侮蔑混じりというのか呆れなのか、そういうものが確かに混ざっているなと感じる。

そう、イギリスのコメディアンにしろ、こういうことにしろ、何故それを思い出したかというと、今日、出張先の近くのコンビニに、アジアの風俗の裏ガイド本、裏話本、みたいなものが売られていたから。

きんも〜!!!!!!!!!!
てか、こんな国、他にありますかね笑??

言わずもがなだが、敢えてここら辺に興味を持ち関わろうとする〝大人〟の人生を想像してみてくれ、、、。

そのセンス・価値観・民度・世界観、、、わたしはとうてい関わることは無さそうだけど(何故なら関わらないから)、まあほんと、同じ日本人でもいろんな人がおりますね。

付き合う人や影響を受ける人を自分から選ばないという人もいるそうだけど、ここら辺の人から1ミクロンも要らないわ、わたしは。ああ、人付き合い、ほんと選んでナンボだね!!

でもこういうことに無駄に引っ張られる人が存在するのも分かる。

自分の価値観や状態すら理解してなくて、暇で、満たされてなくて、判断や思考を他者に依存する人、、、そういう人が環境とか状況、出会いやタイミングによっては、暗い世界に引っ張られたり加担するようなことになるんだろう〜。

なんか気持ち悪いな、とか、これはわたしの世界観ではない、みたく、安全や品性をキープするためのセンサーが正常に働いていない=思考停止状態、だと言えるかもしれない。


パン屋を営む友人夫婦の手!

良い夫婦が良いパン作る。我が家はここの角食の常連!



手にも出る、話し方にも、顔にも、服にも、雰囲気にも、部屋にも、、、その人の、その人らしさが。

今、何をして、どんな姿勢で、どう生きているか。

どんな表情をして、どんな言葉を使い、どんなふうに他者に接しており、説得力はあるか(言ってることとやってることは伴っているか)、、、。

余裕や品性はあるか、愛はあるか、どんな文化や哲学を得てきているか、どんなふうに世界を見つめているか、、、!

生きてゆくことはバレること、そう、生き続ける限り、他者にすべてバレ続けてゆくもんです。


嘘や矛盾や自己愛など、見る人が見たらすぐに見抜かれる、そんなバレもあるけど、その人の見た目に、外見や雰囲気や気配・佇まいとしてバレるようなものまでありますね。

人間って不思議です!

で、それが〝いい感じ(多くにいいね!をもらえるのとも違う)〟かどうか。

そこが、肝心。

しかも〝わたしにとって〟の〝いい感じ〟として醸し出されているかどうか。

自分が感じる〝いい〟には自分の価値観が顕れている。

自分の世界観が反映され、そこに少なからず〝アガる〟こと=琴線に触れる〝いい〟がある、ということでしょう。


だからわたしにとっては、肌がアトピー、とか、服が流行り、とか、広くモテそうである、とか、気になるのはそこら辺のことじゃないんですよね〜!

自分にとっての〝いいね〟をキャッチ出来るアンテナが鋭いってことは、自己理解のクリアさの顕れでもありますね。

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気持ち悪いこと、と、いい感じ、について。

今日、出張の合間にスマホに書き殴ったメモ、2篇でした。

一日おつかれさまでした♡

春眠に暁を覚えられない、
Kicoより。

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