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誰もわかってくれない

世代が違うと、何を考えているのか、なぜそんな行動をするのか、理解できないということが、お互いにあるだろう。

たとえば、若い人たちは昭和の世代の行動を指摘して「わからない」と言い、昭和の世代は若い人たちの考え方を「理解できない」と言う。

そしてお互いがお互いを「相いれない」人たちだと決めて、お互い指をさして距離をとり、お互いにできるだけかかわらないようにする。

でも考えてみると、たとえ世代が同じでも、それぞれがお互いに理解しあえているかというと、そんなことはないだろう。長い付き合いの友達でも、一緒に暮らす家族でも、強い絆でつながった先輩後輩でも、この人のことを私はほとんど理解できますという関係は、おそらくない。

だって、自分でも自分のことを理解できないことがあるのだから、人のことを理解できるわけはないし、もし誰かに「君のことは理解しているよ」などと言われたら、「あなたに私の何がわかるのか」と思うだろう。

だったら最初から、人はお互いに理解できないことを前提にして、関係を作っていくのがいい。

もし「誰もわかってくれない」と感じることがあっても、わかってくれない周りの人が悪いわけでも、わかってもらえない自分の努力が足りないわけでもなくて、それはあたりまえのことであって、人間誰しもそんなものなのだ。

そしてだからこそ、人の話を聞いて、受け入れて、共感して、人のことをできるだけ理解しようと努めるのがいいと思う。最初から理解できないことを前提としているのだから、結果的には理解できないこともあるけれど、でも、どこか少しでも理解できないかとその人のことを真剣に考える時間を持つ。

そこから、人と人との関係が始まる。

何もしなくても理解しあえるなどという簡単な関係ではなくて、自分以外の人のことをまずは自分から理解しようとするところから、関係が始まるのだ。

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