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ここでもう一度、留学って一体何なのか、ということを、シリーズで書いてみようと思います。 留学って、多くの人が抱いているイメージ通りのものなのか? 留学を考えるだけで、何かが変わるのか? 留学を決断し、留学をして、留学を終えると、一体何が変わるのか? 留学に興味がなく、人生で一度も留学をしない人たちと、留学をした人は何が違うのか? 実際の留学生活はどんなものなのか? 今までにどんな留学生がいたのか? などについて書いていきます。
日本がバブル経済真っ盛りのころには、24時間戦えますか、などという広告が流行った。 「24時間も戦えるわけないじゃないか!」とツッコミを入れながらも、そのくらい戦うことを目指すのもいいんじゃあないか、とジャパニーズビジネスマンたちは漠然と感じていた。バブルの頃は、そんな雰囲気があったのだ。 今、24時間戦えますかなどという広告を出せば、法律や倫理で激しく叩かれるか、壮大なギャグとして消費されるだろう。どちらにしても、今の時代にはそんな広告は受け入れられない。 でも、まだ
ニュージーランドで暮らしていて驚くのは、おそらく日本に比べて、より様々な文化やバックグラウンド、いろんな考えや宗教を持った人がたくさんいることだ。 こちらが当たり前だと思っていることを前提に話をしても、相手になかなか通じないこともあるし、なんだか話が噛み合わないと思っていたら、そもそも文化や考え方が違うことが原因だったりする。 そしてたまには、イライラしたり、わだかまりが残ったりすることもあるし、逆に相手を怒らせてしまったり、不愉快な気持ちにさせてしまうこともある。 そ
片付けることが苦手な人がいる。 その人の周りはいつも、いろんなものが散らかっている。机の上は、整理整頓という言葉からは程遠く、カバンの中も、ポケットの中も、いろんなものが乱雑に放り込まれている。 その人は、「片付けられない人」と呼ばれる。 でも、その人が意を決して、身の回りのものを片付けるようにすると、机の上も、カバンの中も、ポケットの中も、整理整頓された状態になる。 そういう人を見ていていつも思うのは、その人が「片付けられない人」だから片付けることができないのではな
最近、「ルールだから」と言われることが何度かあった。「ルールだから、それに従ってください」「ルールだから、それ以外のことはできません」 全く正論だ。ルールに従うのはあたりまえだし、ルール以外のことがいつでもできるのなら、ルールなどいらないだろう。 でも、ときには「ルールだから」を最優先することが最もいい解決方法にならないこともあるだろう。 コロナ禍で病院や高齢者施設での家族の面会が厳しく制限されていたとき、結局家族が面会できずに会えないまま亡くなったという話をネットでも
留学生たちを見ていると、自分がこれをやりたい、ということがあってそれに向かって進んでいる時には、わりとうまくいくし、そこからいろんなことを学んで成長していくように思う。 それに対して、誰かからこれをやりなさいと言われたり、やらなければならないと感じることをやっている時には、結果も思ったほど上手くいかないし、そこから学ぶことも少ないように思う。 これは留学生だけではなくて誰でもそうだけれど、自分が望んでいることに向かって取り組む時と、やらされていると感じながらやる時には、結
留学を始めた長期の中学高校留学生たちに聞くと、日常会話ができる程度まで英語力を伸ばしたいと言う。 確かに、「英語がペラペラ」のイメージは、日本語で友達としている話を英語でできるイメージと重なるのだろう。 でも、今までのたくさんの留学生たちや海外で暮らしている英語を第二言語とする人たちに聞くと、日常会話が一番難しいと言う。 日常会話の話題は、とても幅広い。その人自身の話から、昨日見たドラマや出会った人、そして暮らしている場所や国、教育や文化、政治や経済、歴史まで、いつ誰が
去年の今頃は、まだ、留学生はニュージーランドへの入国が認められていなかった。新型コロナウィルス感染拡大の影響で入国制限が実施されていたからだ。 ポストコロナ時代になって、最初に弊社の長期の留学生がニュージーランドにやってきたのは、昨年2022年の5月の末のことだ。そして今年は、ほぼコロナ前と同じくらいの新しい留学生たちが留学を始めている。 弊社では4年間、5年間、6年間など長期の中学高校留学生が比較的多いので、今年はまだコロナ前からずっと留学を続けている留学生たちもいる。
私もそうだけれど、留学生たちの中にも、自分で何かを決めたり行動したりするときに、「周りの人たちはどうしているのか」を基準にする人がいる。 何かのイベントに参加するとき、他には誰が参加するのか聞いてから自分が参加するかどうかを決める。何か大きな買い物をするときに、他のどのくらい多くの人がそれを買っているのかの情報を得てから買う。人生の大きな決断をするときに、他の人がどう言うのかどう考えるのかを聞いたり予想したりしてから決断する。 当然だろう。自分が持っている情報や自分で考え
最近日本のニュースやSNSなどをみていると、以前にもまして「コスパ」を求める人が増えているように思う。 確かに、コスパは大切だ。お金だけではなくて、時間やエネルギー、人やものなどのコストをかけたからには、それに見合うパフォーマンスを得ることを目指すのはうなずける。 でも、何もかも「コスパ」を基準に判断し行動すると、何かを間違えるように思う。 そもそもコストをかけた見返りとして求める「パフォーマンス」とは何なのか。 お金をかけたからには、その分それ以上のお金が見返りとし
よく考えてみると、誰かと話をしているときに、目の前にある現実を話題にするよりも、過去や未来、そこにいない人や、そこにないものについて話をすることの方が多い。 「昨日こんなことがあった」「来年はここに行こうと思う」「あの人はこんなことをした」「そこに行けばこんなものがある」 そんなことをいつもいつも話している。 「今食べているものは美味しい」「あなたのきている服は似合っている」「この店を気に入った」などという話は、ほんのわずかだ。たとえそんな話をしていても、いつの間にかま
キウイハズバンドという言葉がわりと昔からあるように、ニュージーランドでは、性別に関わらず家事をする。 ホームステイをした留学生ならわかると思うけれど、毎日の食事はホストファザーが作るというお宅も多いし、掃除や洗濯もホストマザーだけがいつもしているというわけではない。BBQなどは「男の仕事」と言われてきて、ホームパーティで男性がBBQを焼いている間に、女性陣はワインを飲みながらくつろいで歓談している風景もよく見かける。 ニュージーランドで家事をしていて思うのは、家事はマネー
日本からニュージーランドにきている中学高校留学生たちに、「どうしますか?」と判断を促すと、「他の人はどうしているのですか?」とか「親と相談してみます」とか「どうすれば良いでしょうか」とか、そんな返事が返ってくることがある。 確かに、他の人がどうしているのかを参考にするのも良いだろうし、親御さんと相談して決める必要もあるだろう。また、判断が難しい時には誰かの判断を仰ぐのも一つの方法だ。 でもその前に、「自分はどうしたいのか」を自分自身に問いかけることがとても大切だ。 その
今はネットで世界中から日本のニュースや情報を手にいれることができる。 日本のニュースや情報の多くは、いわゆる「標準語」で発信されるものだろう。書いてある文章はもちろんだけれど、動画なども標準語で語られるものが多い。 でも、私も含めてそうだけれど、子どもの頃に標準語以外のいわゆる「方言」を身につけた人は、大人になってもその方言を使って話すことが多い。よく言われることだけれど、関西弁を使う人は、東京に行っても、北海道に行っても、パリに行っても、アムステルダムに行っても、関西以
世代が違うと、何を考えているのか、なぜそんな行動をするのか、理解できないということが、お互いにあるだろう。 たとえば、若い人たちは昭和の世代の行動を指摘して「わからない」と言い、昭和の世代は若い人たちの考え方を「理解できない」と言う。 そしてお互いがお互いを「相いれない」人たちだと決めて、お互い指をさして距離をとり、お互いにできるだけかかわらないようにする。 でも考えてみると、たとえ世代が同じでも、それぞれがお互いに理解しあえているかというと、そんなことはないだろう。長
先日、留学5年目の中学高校留学生と話をしていたら、「もう話すのは、英語のほうが簡単に感じます」と言っていた。 もちろん私とは日本語で普通に会話をするし、日本語の読み書きも問題はない。けれど、中学高校の年齢をずっとニュージーランドで過ごしてきた彼は、英語のほうがコミュニケーションがしやすいという。彼にとってはもう英語が第一言語で、そして完璧なバイリンガルだ。 これからの時代を生きていく若い人たちは、英語でのコミュニケーションができたほうが絶対にいい。 10年くらい前までは
以前にもブログで書いたかもしれないけれど、一つの問題にはそれぞれ正しい一つの答えがある、と無意識に考える人が増えてきたように思う。 複数の選択肢から一つを選んだり、これから先どうするのかを決めたり、何が重要なのかを考えたり、いろんなシチュエーションがあるけれど、そんなとき、「何が正しい一つの答えなのだろう?」と考えてしまう。 What?とかHow?とかWhen?とか、そんないわゆるオープンな質問をされたときでさえ、何が正しいのか、その一つの答えは何なのか、と瞬間的に考える