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死者がおとずれる夏

こんにちは。橘吉次(きちじ)です。

今日は8月15日
終戦の日です。

毎年8月が来るたびに感じる「かなしみ」について書きます。




死者がやってくる夏


夏は、現世うつしよに死者が訪れる季節です。

お盆を仏教行事だと認識している人は多いです。

でも、お盆は日本古来から続く神道思想の「祖霊信仰」と仏教の盂蘭盆会うらぼんえが混じりあったものです。

神仏習合ですね。

日本国土に生まれた民族宗教である神道には、循環の思想がベースにあります。
巡るのです。

ですから、巡る季節の中では、対局にある時期に似たような宗教行事を行います。
・春(田植えの季節の祭り) ⇔ 秋(収穫の祭り)
・正月(年神様がやってくる祭り) ⇔ 夏(祖先神がやってくる祭り)

古い神道は、夏に帰ってきたご先祖様をまつる祭祀をやっていました。
夏の祖霊祭祀です。

この歴史は恐ろしく古いようです。

夏の盆踊り。
人々が輪になって、ぐるぐる中心を回りながら踊ります。

これは、中心に死者を埋葬し、その周りを一族が踊るという、縄文太古の記憶によるものだという仮説を読んだことがあります。


死者はケガレではない


神道では、死者は神になります。

「死」を穢れけがれと考える神道で、なんで死者が神になるのか?
「死者は穢れた存在なんじゃないの?」と
皆様思われることでしょう。

ここらへんを、多くの日本人は理解していないのですが…。

そもそも「死」のケガレとは、
ババッチイ、不浄という意味ではなく、
<生と死の接点は、非常に危険だ!注意しなくてはならない!>
<下手すると、こちら側の秩序が崩れるぞ!>
というニュアンスのもの
です。

吉次はそう考えています。

だから、かつてはお産もケガレだったのです。
あちら側とこちら側の接点ですからね。

命は、
こちらの世界に生まれ、生きて、
死んであちらの世界に帰っていきます

そして、またあちらの世界からこちらの世界に生まれてくるのです。

命は循環します
これが、太古から続く神道の死生観です。

ですから、死者はケガレではなく、単にあちら側に行ってしまった人です。
そして、半年に一度あちら側から訪れるものを、お祀りするのです。

それが日本の夏です。


夏空は哀しいほど美しい


二度と会うことができない別れが、死別です。
でも、死別した人が戻ってくる季節

それが夏。

だから、日本人は夏空に「懐かしさ」と「哀しみ」を感じます。
夏空は、なんでこんなに切ないのか…

強い日差し
蒼い空
白い夏雲

この力強い空に、哀しみを感じるのは日本人だけでしょう。

夏草や兵どもが夢の跡
(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)

松尾芭蕉「奥の細道」

太古から続く日本人が夏に感じる慰霊の感情を、芭蕉は31文字に収めました。

この感性に、戦争の痛みが重なります。
大きな飛行機事故の記憶も重なります。

ざわわ ざわわ ざわわ
広いさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が通りぬけるだけ

今日もみわたすかぎりに
緑の波がうねる
夏の陽ざしの中で

「さとうきび畑」作詞作曲:寺島尚彦

死者を悼み
懐かしみ
過ぎていく時や、渡る風に、生死の静けさを感じます。

ヒグラシの鳴き声が、
あちらの世界からの、お誘いの声に聞こえるのは
吉次だけではないでしょう。


送る夏

そして、現世を訪れた死者を、幽世かくりよに送り返します。
その行事が、日本の各地で行われます。

千鳥ヶ淵 灯篭流し
京都「大文字送り火」

これは、慰霊の行事です。

あの夏に逝ってしまった懐かしいあの人を思い出し、迎え、送る…。

このストレートな慰霊の気持ちには、
宗教だとか
スピリチュアルだとか
魂はあるとか、ないとか
そんな雑音が入り込む隙間はありません。

ただ、ただ静かな祈りです。

人間はあらゆる生物の中で、
唯一「祈る」をいきものです。

この静かな祈りを
吉次は大切にしたいのです。



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橘 吉次講師「ストアカ講座」

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最後までお読みいただきありがとうございました。

では、さようなら

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