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【油の匂い】

公園横のバス停で最終バスを待つ5分間。
その間、彼女にメールを打つのがお決まりのルーティーンだ。
「バイト終わったよ。
 今日はめちゃ忙しかったし、早く風呂入りたい」
今日も業務終了と今最も欲していることの報告メールを打ち終わる。
お互い実家暮らしということもあり、生活リズムは逐一お知らせしないと共有できない。早く親元を離れて同棲でも始めたいと思っているがお互いフリーターなこともあり、将来への底の見えない不安と、実家の究極の安心感が親離れを阻害している。

私のバイト先は、この辺りで唯一ある偏差値高めな大学のすぐ近くの居酒屋。彼女のバイト先はそこからバスで5つ先のお好み焼き屋。メールを送ると5つ先の停留所で、賄いを食べ終わった彼女が乗り込んでくるのがお決まりだ。

送信ボタンに指を掛け、ふと我に返る。
彼女とは3日前に別れたばかりだ。
つい癖で報告書を提出するところだった。これじゃまるで未練たらしい男のようだ。誤解を招かないように言っておくと、お互いに納得のうえ別れたのだ。5年も付き合ったのだから、全く寂しくないとは言わないが、直近のこの1年は終焉の空気を互いに感じながら付き合っていた。なので未練よりも、お互いの為に一歩進めたことへの嬉しさが勝る。

ただちょっと、体が5年の歳月に取り残されていたようだ。

少し待つとバスは来た。乗客は私以外に3人ほど。恐らくみんな3つ先、地下鉄の駅の近くで降りるのだろう。乗り込んですぐの席に座り、タバコ臭いリュックに顔を埋めるとバスはすぐさま発車した。
今日は格別に忙しかった。近所の大学の新歓コンパのせいだ。いくら勉強が出来ようが、所詮は20歳そこらの若者ども。酒を飲めば、社会偏差値30の行動をとるのが彼らの習性だ。それでもあと5・6年もして私と同じ歳になったとき、彼らは私よりも立派な社会人になっているのだろう。窓の外で騒ぐ楽しそうな彼らに、謂れの無い劣等感と恨みを抱きながら、バスは進む。

気づけば地下鉄の駅も過ぎて、乗客は私一人になっていた。明日は久々に休みだし、今日は朝まで部屋で酒でも飲もう。つまみは・・・ニラが冷蔵庫にあったな。それと卵を拝借してニラ玉でも作るかな。何だかワクワクしてきたぞ。録り溜めていたドラマも一気見出来るな。

「次は坂之下2丁目、坂之下2丁目。
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元・彼女のバイト先の停留所だ。当然、この最終バスは避けて帰るだろう。
私としても今会っても相当気まずい。

案の定、元・彼女は乗り込んでくることは無く、代わりに酔っぱらった学生の男女が乗り込んできた。私のすぐ後ろ、優先席に堂々と座ると、男の方が何とか女を持ち帰りたい一心で、自分の部屋が如何に居心地いいかのプレゼンをしている。
醜さと少しの微笑ましさを感じながら、窓の外を見る。
元・彼女と大学生くらいの男が楽しそうに一緒に歩いている。

一瞬頭が真っ白になる。
直後怒りが込み上げそうになるが、冷静に考えれば私に怒る権利は無ければ、彼女にも怒られる理由はない。関係の無いことだ。そういえば別れる少し前、バイトの新人に男の子が入ってきたと話していた。仕事は出来ないけどいい奴だ、と彼女が話す横で私は何をしていただろうか。思い出せないが、恐らく漫画を読んでいたか携帯をいじっていたか。
いずれにせよ、適当に聞き流していたのだろう。
久々に見た彼女の下品な大笑いは、将来有望な若者の物になっていた。

後ろの席の男から油の匂いがする。お好み焼きでも食べてきたのだろう。
最終バスに乗り込んでくる彼女と同じ匂いだ。
リュックに再び顔を埋め、タバコの匂いでかき消した。

     「つづく」 作:オナイ

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