#喜ばうんすVLOG4【キバのことだま】 ニューヨーク I 雪 I 郵便局へ I eBay商品発送 I 音楽 I タピオカミルクティー I 度重なるひとの死 I 反応しないという選択【ココロ実況】

ピッツバーグからニューヨークへ戻ってきた。

その次の日、この動画にある『キバのことだま』のモノローグ4回目用に声を録音した。

気持ち的には、訪れた主人の地元ピッツで今回感じたことを話したいのがやまやまだった。でも最近のワタシが意識して行動している『客観性』や『公平性』のことをフト考えた。それらがあきらかに欠落している自分には、時間や距離を置く必要があった。それで、あえてその気持ちをもう少し寝かせることにした。そうすれば、きっと納豆のようにより美味しくなっているハズ。

もうひとつ、ピッツの絵を使わなかった理由は、すでにこの雪の日の絵の編集が仕上がっていたから。そのうえ前後のバナーも出来上がっていた。そしてその動画を編集している時には、漠然とだったが話したいことも頭に浮かんでいた。それは、この1、2週間中に度重なったひとの死について。同時期に父の自殺を目撃した日のことを書いた詩を日本語訳に書き直していた最中でもあった。

ようやく日本で体験したことを日本語で伝えられる時がきたと内心、喜んでいたところ。一般的な集中力に欠けている私なので、あやうく、また注意散漫になるところだった。ほかの人の死がどうでもいいと言っているワケではない。コロナ禍で少しは慣れたつもりにもなっていた。でもフタを開ければ、長期戦に入った戦地で戦車からそっと頭を出して、やけのはらを眺めたときのような気分。

また脱線しかけた話を戻す。今のじぶんは、まず父の他界について明確にしておかないと、何もはじまらない気がしている。これを消化せずに人の死に立ち合うと「自己防衛」の本能がはたらき、やはり思考のブロックが作動してしまう。違うことばで伝えるなら、以前と同じ思考回路でもう「死」というものを受け止めたくないと思っている。

前向きな受け止め方ならリピートしても構わないのかもしれない。凍りついたままの記憶の部分を解凍する為、ワタシの場合は、故意に違う脳の使い方をしようと努めている。幸いにもこの「判断基準」が以前の自分が行っていた「好き嫌い」を超えたところで起こりはじめている。なので、あえて『受け止めない』ことについて書く。これはピッツの旅での体験から気づいたこと。またそれについては、ピッツでの動画を作ってから書くことにする。

「感受性が強い」という言葉と共に幼児期を過ごした。それが良かったのか悪かったのか、なんでも許容範囲以上に受け止めようとした。だから辛くなることの方が多かった。物事をスルーできなかった。モチロン、車両のなか、目の前で寝ている人達のサイフを盗んでいるスリをボーッと「見て見ぬフリ」するくらいのサバイバル術は、ニューヨーク育ちのおかげで身についていたが、、、。

お酒を飲むのをやめたひとつの理由に、ひとり夜中出かけ朝方安全に帰宅することがあった。それがじぶんの『サステイナビリティ』であるように、『受け止めない』ことが今までの私が知らなかった『存続』の可能性を見出してくれている。その効果はこれから体感していくことになる。

48歳から人生の本編スタート。「生きる」記録の断片を書く活動みならず、ポエム、版画、パフォーマンス、ビデオ編集、家政婦業、ねこシッター、モデル、そして新しくDJや巨匠とのコラボ等、トライ&エラーしつつ多動中。応援の方どうぞ宜しくお願いいたします。