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コンプレックスから自分をみつける

中学生を育てる友人が、
「将来どうなりたいか?が授業の課題で書けないらしくて、娘が悩んでる」
と話していました。

そんなことが授業で聞かれるのか。
先生に読まれちゃうのも、イヤだよね。

私もきっと、娘ちゃんと同じように悩んじゃうよ。
まだ中学生。
将来のことなんて遠い先だった。


キャリア教育は小学校から始まっている

文科省・キャリア教育で検索してみると、
平成11年あたりから議論され始めていたようです。
その一例として「将来設計能力」は、

小学校(中学年)
「将来の夢や希望を持つ。 計画づくりの必要性に気付き作業の手順が分か る。 学習等の計画を立てる。」

小学校(高学年)
「将来のことを考える大切さが分かる。 憧れとする職業を持ち、今、しなければならないことを考える。」

「キャリア教育とは何か」

と、中学よりも前、なんと小学校からスタートです。

そういえば先日、小学校3年生の我が子も
「キャリアパスポート」なるものを持ち帰ってきました。
「(3学期は)将来の夢に向けて行動できたか?」
という質問に対し、
回答は空欄でした。笑

アイデンティティの確立は青年期

確かに、自分と向き合うのは早ければ早い方が良い。
発達心理学者のエリクソンが提唱した8つの心理発達段階でも、
青年期(13〜19歳)はアイデンティティを確立していく時期、とされます。

青年期に自分の深い部分を整理しておかないと、
進学とか就職とか結婚とかの大きな選択後に
「あれ、これでいいんだっけ??」となる。
つまり、ここでどっぷり考えることを避けたとしても、
いずれどこかで、
自分と向き合うタイミングが必ず来る、ということのようです。

・・・就活の初面接がボロボロだった大学3年生のあの日。
大きな挫折感と共に「自分自身と向き合う必要性」に迫られ、
エントリーシートをゼロから書き直しました。
40代半ばになった今になっても
「自分とは何者か」と沼に陥ることがたまにあった私。
自分と向き合うことは、
たぶん一生、都度都度あるのだろうと思います。

さてさて、冒頭の中学生の娘ちゃんの悩みに戻ると、
ここでは「将来の夢を決めること」じゃなく
「自分について考えてみること」に意味がありそうです。
夢なんてそうそうに見つかるものじゃないし。
学校の提出物は、まぁ当たり障りなく書いておきましょう。

”根拠のない自信” を抱きづらい現代

自分と向き合うには、
いま「好きなこと」「興味のあること」から
掘り下げていくのが正攻法だと思いますが、

「好きなことも見つからない」
「好きは好きだけど、よくわからない」

と立ち止まってしまう人も多いようです。

それもそのはず、
YouTubeやTikTokには
その道を極めた先人達がうじゃうじゃいるんですから。
「私の”好き”なんて大したことない」ってなるのも当然だよね。
インターネットやSNSのおかげで、
広い世界を身近に感じられる一方、
「私すごいかもー!」みたいな”根拠のない自信”は
抱きづらくなっているだろうなぁ。

コンプレックスから掘り下げる自分

じゃあコンプレックスはある?と聞くと、あるあるいっぱいある。
誰しも1つは持っているのではないでしょうか。

私もコンプレックスの塊でした。
生まれてからずっと同じ土地、
ほぼ同じ顔ぶれの中、
同調圧力が強くて本心を吐き出せない学校生活。
入ってくる情報は周囲にいる彼らからか、
テレビ・雑誌などの極端にキラキラした世界だけ。
将来の自分と、夢や希望が全くつながらない。
世の中の広さを知らない私の脳内には、
他人と比べて劣っている点だけが山積みになっていきました。

「お尻が大きくて脚が短い」で動き出した

「あの子のようにリーバイスの501がカッコよく履けないのはなぜ?」

中学生のとき、
かっこよくジーンズを履きこなす友人を見て、
自分との違いに気づいてしまいました。
あぁ、私はお尻も小さくないし脚も長くないからだ、と。

ジーンズ店で試着して、これかな、という1本を買ってみました。
やっぱり、なんか違う。
再び店へ行き、置いてあるカタログを片っ端から読み、
試着しまくり、を繰り返すうちに、
自分のコンプレックスをカバーする脚のライン、
ポケット位置、染めによる生地の風合い、
ジッパーよりボタンフライの方が股上、腹部のフィット感が良い、
など細かなことが掴めてきました。

あぁ、洋服って面白い。奥が深い。
体型をカバーしながら個性を出すコーディネートがある。
鏡の前であれやこれや考えていると、
あっという間に時間が過ぎていきます。

地元のセレクトショップで、ハリウッドランチマーケットという魂のこもった日本の洋服屋さんに出会ったのは高校生の頃でした。
Tシャツ1つ取っても、
素材、形、デザインが計算し尽くされていて、
それを着るだけでかっこいい。
関東で一人暮らしを始めてからは、
片道90分をかけて代官山の店へ、
月イチで詣でるために長時間のアルバイトも頑張れました。

自分の手で作る、を始めてわかったこと

当然ながら、
大学生の1人暮らしで欲しい服を存分に買う余裕はないから、
安いミシンを買い、
古着のリメイクをしたり、
買った服から型紙を起こし
生地屋で買った安い布で作ったりし始めました。

無いならば、自分で作ればいい。
サイズが微妙に合わなくなったから、
ここだけ少し汚れちゃったから、
なんかちょっと似合わないから、と、
放置された服が生まれ変わる喜びも覚えました。
手を動かし始めると、
食べることすら忘れる自分にも出会いました。

いろいろ買ってみてわかったこと

社会人になると欲しい服が買えるようになり、
ブランド名と値段がそれ相応だとしても、
すぐ傷むもの、すぐ飽きるもの。
名も無い安価な服でも、
何度も手にとってしまうもの、
多種多様な世界を見ることができました。

そして、私の洋服欲を心から満たしてくれるのは、
いつも同じお店でした。
もう20年以上も履いている、
そのブランドのスカートやワンピースがクローゼットにあります。
洋服という流行り廃りの激しい類のものが、
20年もここで生きている。
生地や縫製の丈夫さは当然ながら、
着る側の年齢も重なり、体型も変わり、
似合うものは変わっていくというのに、
未だ手にとってしまう。
ここで出会った服はどれも、5年、10年、と着続けられます。

唯一無二の魅力を持つ服は、
身につけたときに自分を奮い立たせてくれます。
少し大きな声が出せる気がします。
強い目になれている気がします。
圧倒的なクリエイションの力に、感服です。

コンプレックスから見つかった人生の「柱」と自信

「お尻大きい、脚短い」コンプレックスは、
心の底から夢中になれる世界に自分を誘導してくれました。
いつのまにか「洋服LOVE」という人生の柱になり、
ここまでの日々を支えてくれました。
洋服の面白さを誰よりも熱く語る自信があります。
長い年月をかけての経験と、そこからの学びによる自信です。

人より劣っていると感じるものがあれば、
それは自分を知るチャンス
なのだと思います。

どうせ私は…と見ないフリをせずに、
解決策を探して行動してみる。
調べて、行動して、というトライ&エラーを繰り返すうちに
「学び」を得て前に進み、
そのうちに自分の「自信」に変わってくる
、という流れでしょう。

「行動しなければ、前に進まない」

前に進みましょう。一緒に。

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