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「賞罰指導」は終わりがないのでは、という話。

今日は、私の指導についてのスタンスをお話しします。
賞罰的指導ってどう思う?っていう話。

この記事を書いている人:
現職教員としてはたらく20代。教育改革や職場改革に奔走するも、心身不調により休職経験あり。教育についての自分の経験や科学的情報、心身安定に関する情報を発信しています。


できてないなら帰せません。

補習やりたくないんだったらちゃんとやる!


それに対して生徒が叫ぶ。

今日、補習なんですけど本当に嫌だ!!!


こういう言葉たちをどれほど耳にしてきたでしょうか。
使われがちな言葉たちですが、実はこの賞罰的な声かけ、つまりネガティブなモチベーションだけをつかった指導は、終わりがないという欠点があるのです。


例えば、宿題をやらないと叱られる

例えばよくある子供の姿に、宿題をやってこないと言うものがあります。
その理由は様々で、忘れてしまっていたかもしれませんし、わかっていたけれど手が回らなかったかもしれませんし、嫌で嫌でやりたくなかったのかもしれません。

本当のところはわからないせよ、こんな叱る声があると思います。

どうしてできなかったの?
宿題やってこないとだめじゃん。
居残りしてやってください。部活にもいかせないよ。

子供は早く帰りたくて、部活に行けないのが嫌で嫌で、仕方なくその場しのぎの宿題提出をします。

宿題を出すことで「早く帰れる」と言うことを目的にやってしまうのです。


***


この指導の怖いところは、出せたからとりあえずOKと思っていても、しばらく経つと子どもが同じことを繰り返す確率が高いということなのです。

なぜなら、部活に出られない、早く帰れないというネガティブなモチベーションは、そのネガティヴな状態がないと発動しないから

恐ろしいことに、その状態になって切羽詰まらないと始められないのです。


確かに「締め切り効果」というものはある。

ここまで読んでみると、切羽詰まったり、「嫌だ」と思うことから逃れるために一生懸命やることが「悪」のように聞こえてしまうかもしれませんが、決してそういうことを言いたいのではありません。

人間の脳が集中する瞬間の一つに、何か物事を取り組んでいる最後の方や、締め切りギリギリの時があると言います。よくこれを「締め切り効果」などというそうです。これを自分で選択して効果的に創出するのであれば、有意義なのでしょう。


しかし、これが「教育」の世界の中で、大人が子どもに働きかける方法として使うには、ハイリスクなのではないかと思うのです。
なぜなら、これらのようなネガティブモチベには依存性が高く自分からの学びに到達するのを邪魔してしまう可能性があるのです。


課題をやる目的は、提出することではなく、自立した学習ができるようになること

ここで確認しなければいけないのは、

それでも出せるようになるんだからいいじゃないか

という意見の検討です。

わたしは、その意見を元に指導することは、手段の目的化を助長することなのだと考えています。

その宿題は「出せるようになること」が目的なのか。

いや、「自立した学習するための段階的なサポート」のためではないのか。

(そもそも、その目的に見あった手段が「自宅宿題」なのか、という問題はあるかと思いますが、それは今はとりあえず傍においておきます。)


まとめ

ということで今日は、賞罰的な指導についての一意見をお話ししました。

ここまで書いてきたことは、実は、私自身がかつて実際にやってしまったことから学んだことなのです。賞罰的な指導は短時間に簡単にできるから、つい頼ってしまう。その気持ちや忙しさからくる余裕のなさは何よりもよくわかっています。

だけど、もう、その方法には頼りたくない。
その方法をしているときの子どもの苦しそうな顔が耐えられないのです。

それ以上に実りがあれば、続けていられたでしょう。
しかし、現時点で実りがあったなと感じたことは、私はありませんでした。

では、どうしていけばいいのか。

その問いに今はチャレンジしている段階です。


🖋あとがき

ここまで記事を読んでくださった方、ありがとうございました😊
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< 自己紹介 「7つの習慣と教師とわたし」>


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