最近の記事

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Nightie Night

    • 海外に行ったよ

      淡い色のnoteを目指してトーン制御しているのですが、明るくて軽くて中身のない記事もたまには書いた方がいいですよね。 8月、オーストラリア・メルボルンで開催された結晶学の国際会議に参加しました。それが楽しかったよという話です。時系列に書くと後の人の参考になったりするのでしょうが、そういう人はもっと参考になる記事を見つけてください! 英語 自分でいうのもアレなのですが、英語は得意な方だと思っていました。田舎の公立中学校のふつうの教育を受けていただけですが、幸い先生に恵まれ

      • アカデミア炎上あるある

        Twitterをやっていると、アカデミアの人々が頻繁に同じような話題で炎上しているのを見かける。炎上したくないのであまり人が見ていないところに書いておくが、これもTwitterで誰かが拾い上げると炎上してしまうかも。実際突然noteが炎上するのもよく見てきた。そうなったら悲しいね。こわいなあ。 ( この記事は何ヶ月か書いては下書きに入れ、書いては下書きに入れを繰り返していた。なぜこんな現実的で夢のないことをここに書こうと思ったのか、最初の動機は覚えていないが、最近、なんとな

        • 星空への好奇心

          皆既月蝕があった。化学本館の玄関の前で、1時間くらい月を見ていた。人が来て、帰って、また静かになって、その間に月の上を影が動いていくのを見ながら、時間が流れるのを感じた。 星の名前をひたすら覚えていて、月2回欠かさず天文台の一般公開に通っていて、買えもしない望遠鏡のカタログ集めをしていて、フリーの宇宙旅行ソフトでずっと遊んでいた、小学校1〜2年生の頃が、私の原点なのかもしれない。あのとき天文台で、何もわからない小学生にたくさん星のことを教えてくれた大学院生や先生たちの姿から

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        Nightie Night

          研究室にまつわる難しい問題

          最近、ふともの悲しい気持ちになる。研究室が〈研究する場所〉の雰囲気ではないような気がするからだ。 わたしの研究室にはコアタイム(何時から何時には必ず研究室にいること、のようなルール)はない。進捗報告のセミナーも年に2回割り当てられるだけだ。特に毎週のグループミーティングのようなものもない。学生はかなり自由にさせてもらっている。 わたしも朝は苦手なので、大学には少し遅くいくことが多い。そのぶん夜の活動時間がほんの少しだけ長めになっている。体調が悪ければ休めるし、授業が忙しけ

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          卒業によせて

          今月、大学を卒業する。 大学の前半は学園祭をしていた。来場者に対する配布物・掲示物の設計と制作を専門として、グラフィックデザインの技術発展を担当した。状況が変わったのは言わずもがな2020年のこと。突然やってきた疫病の影響で、〈大量の印刷物と大量の来場者の接触の設計〉を取り上げられ、なにもできない虚無をまぎらわせるためにオンライン学園祭を提案・計画した。まわりの委員がこれほどついてこない学園祭も珍しく、しかしその気持ちは痛いほどわかるという中、コロナと共存する学園祭という存

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          曇り夜の都市

          満月より眩しい曇り夜の都市は重く軽くて均一な青

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          新しい Twitter UI をまじめに分析してみた

          Twitter の UI デザインが変わった、とユーザーの間で話題だ。「改悪」との声もあるが、デザイナーとしてはまずそのデザインの意図を汲み取ることを目指してみたいものである。というわけでそれを試みてみる。 ------------------------------------------- 欧文書体の変更欧文書体は Twitter 社が Grilli Type Foundry と開発した Chirp という書体に変更されました。Twitter 社のクリエイティブディレ

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          本が読めない

          なやみごとをつらつらと書き連ねるだけのnoteは初めてかもしれない。 最近、本が読めない。最近というのはここ1年くらいの話だ。実用書は読める。デザインの本の鑑賞もできるし、化学の教科書を読んで勉強もできる。読めないのは小説とか、新書とか、そういういわゆる活字の本だ。たとえば小説を読んでいても、登場人物の名前や特徴が頭に入ってこない。次のシーンにうつる頃にはもう前のシーンで何が起こったかを何も覚えていない。「この人、誰だっけ……」を繰り返していると、とても〈読書〉どころではな

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          電子手帳が苦手

          コロナになってあまりに単調な毎日なので、そういえば今年の手帳をまだ買っていない。いまどき珍しいかもしれないが、わたしはスマホのカレンダーアプリがどうも苦手で、いまだに紙の手帳を使っている。 PCと同期ができて、リマインドができて、種類ごとにラベリングもできる。機能性だけを考えれば明らかに電子手帳の方が優れている。し、わたしはそうやって集約的かつ系統的にものを整理することが嫌いじゃないから、電子手帳は向いているようにも思う。にもかかわらず苦手なのは何故なのか、よくわからないま

          電子手帳が苦手

          昔書いたらしい小説

          伽藍とした電車内。窓に映った自分に目が合う。君に向き合うときの目をしてみたら、私の知らない私が不思議そうに覗き込んでいた。「思ってることがあるなら言ってよ」と君の声真似をしてみた刹那、仕事のメールが届いた。パスコード解除の画面の中で、私が私に戻ってゆく。また、素直になれなかった。 1ツイート分、140字で小説を書いていた時期があった。大学に入った頃だったと思う。140字小説、で検索するといろいろ作品が出てくるが、それの真似事をすこしやっていた。 ひょんなことでその頃の作品

          昔書いたらしい小説

          グラデーション

          目に見える周りのものを観察してみると、大抵のもの、というかすべてのものの境界はグラデーションでできていることがわかる。つまりこの世のすべてのものは、曖昧な境界で自他を区別されている。どれくらい曖昧であるかで、そのものが鋭いのか、やわらかいのかが決まる。 ものの表面を観察すると、光の当たり方はどこひとつとして均一ではない。均一に照らされていると思っても、そこには微妙なグラデーションがある。だから、ものの「写実性」を判定する重要なものさしとして、わたしは、それが内在するグラデー

          グラデーション

          つぼ型交友関係

          昨日あるきっかけがあって思い出した話。 随分前の話になるが、友人に「きみの交友関係はつぼ型で、大多数の人は浅い付き合いで終わってしまうが、ごく少数の人とはとても深い付き合いをするので、その深い付き合いの対象になると噛めば噛むほど面白い」と云われたことがある。たしかにそうだなぁと思って彼の言語化能力に感心したのを覚えているものだ。 私の交友関係は狭い。顔が広いと云われることもあるけれど、「つぼ」で云うところの入り口のあたりの人が多いだけで、それは知り合い程度、それは少し話し

          つぼ型交友関係

          わたしといいたい

          書きものの主語は高校生のころから「私」「わたし」だが、チャットのメッセージとか話し言葉はいまだに揺れる。ほんとうは「わたし」といいたいけれど、21年日本で生きてきたので、どうしてもいろいろなことが頭をよぎってしまう。主語を発話するとき、まず主語を省略することができないか真っ先に考える。省略できないとなった場合、そこだけ改まった感じでですます調になる。日常的に敬体で話していても特に不思議に思われることはない振る舞いをしてきたのでそれがすごく嫌ということはないが、その一瞬が、その

          わたしといいたい

          音楽とわたし

          知らず知らずのうちに「努力すれば大抵のことはできるようになるはずだ」と思ってしまう自分がいる。それが小中高と続けていたピアノの影響なのではないか、と最近思うようになった。 先生に勧められて初めてピアノの全国コンクールに出たのは小学5年生のときだった。そのときは地区予選を通過できたのだけれど、地区本選ではあがってしまってボロボロになってしまった。 それまでは街の音楽教室みたいな場所だったが、先生を音大にも勤務している先生に変えた。以前の場所では予選を突破するだけで随分と褒め

          音楽とわたし

          2021年とデザインと私

          デザインと短歌が制作の二本柱だったが、昨年から短歌を作ることはなくなってグラフィックがメインになってきた。いろいろな理由があるはずだが、なんとなく言葉の方は作るより味わいたいと思う時間が増えたように思う。日常の中で接する様々な〈もの〉からビジュアルを学ぶ素養が養われてきた一方で、他人の書いたことばに触れる時間がとれなくなっていったということも大きいと思う。 2020年は誰にとっても「大変」な一年だったと思う。その一年を生きる中でグラフィックデザインという行為についてもいろい

          2021年とデザインと私