卒業によせて

今月、大学を卒業する。

大学の前半は学園祭をしていた。来場者に対する配布物・掲示物の設計と制作を専門として、グラフィックデザインの技術発展を担当した。状況が変わったのは言わずもがな2020年のこと。突然やってきた疫病の影響で、〈大量の印刷物と大量の来場者の接触の設計〉を取り上げられ、なにもできない虚無をまぎらわせるためにオンライン学園祭を提案・計画した。まわりの委員がこれほどついてこない学園祭も珍しく、しかしその気持ちは痛いほどわかるという中、コロナと共存する学園祭という存在を思考することそれ自体に耐えられなくなった私は、改善の兆しの見えない情勢を前に、それまで描いていたものを諦めて、最後の学園祭を前に委員会を去った。オンラインで学園祭をやろうなどと自分から言い出してしまったことに対する重圧と責任から一刻も早く目を背けたかったし、物理的な空間設計という営みを剥奪された手前、私の存在意義も分からなくなっていた。その帰結は平たくいうところの不完全燃焼である。印刷されることのなかった冊子のことを忘れることはないだろう。

学園祭と入れ違いに私の生活の中心になったのは研究室での時間である。高校1年生のころに講演会で出会い、私が東大理学部を志すきっかけになった先生の研究室に無事配属され、手当たり次第実験をしていた。専門は高圧力下での氷の新規相探索で、結晶学的その場観察の手法を学んだ。誰のためでもなく、何に役立つかも定かではない研究を、純粋な興味だけでいくらでもやってよいという環境が心地よかった。将来のことはよくわからないが、まだしばらくはここで研究を続ける予定だ。

授業はそれなりに受けてきて、順当に知識はついたが、かといって何かを学びとったという感はあまりない。高等教育が知の高速道路と呼ばれる所以を身をもって感じた。

大学を卒業する頃には、どんなにか賢い人間になっているかと思っていた頃もあったが、そんな期待はことごとく砕かれたし、きっと大学院を卒業するときもさして変わらぬことを思うだろう。なんのためになにをすればよいのか、もはや何もわからないまま、時間だけがすぎてゆく。が、それに焦りを感じることはない。将来のことは何一つ判らないが、今このときやりたいことを、やりたいようにやって過ごしていく。諦めること、期待しないことによって得られる何かを、微かに感じながら。

1億円くださった方の名前を論文の謝辞に記載させていただきます