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paradiseの外側へ行く

「最近のディズニーリゾートは混みすぎて入園前から地獄。園内は外国人観光客で溢れかえり金持ちと情報戦を制した者しか楽しむことができない」みたいなつぶやきをベッドの上でながめて、ディズニーよ、変わってしまったんだな。もう行くこともないんだろうねえ。なんて思いながらゴロゴロ。こういう怠惰な時間って最高にしあわせだとかみしめていたら、旧知の友人からLINE。明日、ディズニーシー行かない?空いてるっぽいから!と。えー本当かよ、と思いつつ快諾。突然のディズニー行きが決まりました。学生の頃は散々行ったんだけど、もう何年ぶりかわからないくらい久しぶりに。

というわけで6月のある日曜日朝9時半。友人と待ち合わせ。混んでるかなあ、どのくらい待つのかなとびびりながらゲートへ。ところが、並んでいるのはわずか3人。
3分後にはもう園内にいる!
SNSで見たあの光景は何?と拍子抜けする私。

そして園内。空いてる!ほんとに人が少ない。
だから言ったでしょとドヤ顔の連れは常日頃からアプリで待ち時間をを見て混雑分析をしているらしい。恐れ入りました。

たしかに情報を使いこなせると快適、とは思った。チケットはインターネットで購入。待ち時間やパスはアプリで確認。席に着いてからモバイルオーダーでごはんを注文とか、めちゃくちゃ便利だったな。

そこかしこにたたずむファストパス発券機の遺構を見て、切ない気持ちと懐かしい気持ちが同時に湧いてセンチメンタルに。あれを目指して園内を走り回っていた時代って、我らが青春だったんだなあ。

久しぶりのテーマパーク体験はとっても楽しくて、なんだ話がちがうじゃないか、と思いながら、気分良くおみやげを買い過ぎ、るんるんと帰宅。

家にこもってインターネットから喜怒哀楽を得ているわたしのこころの機微は、アルゴリズムに支配されている。それはきっと、より方向性の近い言葉にしか触れなくて、偏った情報に漬け込まれているということだ。

自分の世界の主導権を自分で握り続ける手段は、パラダイス(インターネット)の外側にしかない。用もなく街へ出て、五感で世の中に参加しなければならないらしい。


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