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新世界より(戯曲)

この舞台における人物は、たった一人ののみである。従って、特に断りがない場合には台詞としての表現を避けようと思う。
又 一貫して変化のない環境下である事から、暗転・行動・舞台進行の指示はごく最低限の記述のみとする。


(男)
 ここ最近の睡眠障害にて得た発想の数々。それは啓示により降りてきたような受身の産物ではなく、あくまで自らの思考に頼った物であると理解して貰いたい。真夜中の窓から差し込む月明かりを元にアイデアを得た物もあれば、台所から微かに聞こえる換気扇の音、一定の振動をもって自身に擦り寄ってくる何かしらの影から、苦しくも意味ある思想へと漕ぎ着けた物もある。崇高な思想というのは、得てして身近な環境より産み出される物なのだ。事実、先週の金曜日から今に至るまで、つまり四日と十二時間もの不眠は、断続的な興奮をもって自身の精気を向上させ、夢と現実の狭間から覗き込む見慣れた情景が、私に義務を与え続けている。寝てはいけない、まだ考えなければならない、という具合に。眠らない姿を非難する者や賞賛する者、または同情の眼差しを残し去って行く者......。
確かにこの状況を顧みれば、同情までは許せると思う。だが今の私に雑多な意見は言わせまい。働き疲れた街がいそいそと布団に入り込み、夢の世界で理想を語っている間(一概にそうとは言えないが)、私は以降に続くこの思考回廊の中を、たった一人で練り歩く権利を得たのだ。                  
妬むが良い、羨むが良い。あなたが生涯をかけて探し求める答えの一つは、既に私の手の中にあるかもしれないのだから。

 人類の発展と進化は常に睡眠に妨げられてきたに違いない。読んで字の如く、睡魔という魔物が現れては、有限である世界の持ち時間を無慈悲に奪って行く。巷を見よ、女性はダイエットという行為により食欲の抑制を図り、また私から受けた誘惑を涙をのんで受け流す事により、性欲の抑制を完全なものとしている。つまり三大欲求の内の二つについては、完全な自己管理への目処が立っているのである。流石の私も、女性諸君に対しての敬意を表さずにはいられない。しかし忘れてはならないのは、残る睡眠欲への対処であり、それを可能にした自身の強靭な精神は、神により選別された人間が賜る、いわば次世代への導き手としての使命を帯びて、私を先へ先へと押し進めるのだ。

 一つ断りを入れます。物事には順序があります。私が何故このような不眠世界に身を捧げるに至ったか。その理由を知りたい者もいるでしょう。知りたくない訳がない。冒頭でそれを説明するべきだと不満に思った方もいるかもしれないが、それに関しては容赦願いたい。何故なら、自分でもその道程が全く把握出来ていないのです。この四日と十二時間の内に、私の身に何が起こったのか。いや、冒頭から既に一時間が経過しているので、四日と十三時間という事になります。
ここまで酷いものではないにしても、元々不眠の虫は私の中に潜んでいて、何の兆候もなく私の鼻をくすぐる時がありました。そんな場合どうすれば良いか。簡単な事であります。医師から貰った睡眠薬を飲めば良いのです。安眠が約束された薬です。例えば、携帯で音楽を鳴らしながらその薬を飲んで寝床につけば、私は夢を見る事なく、思考の渦に巻かれる事もなく、ただ太陽の日差しの眩しさに憤りを感じながら、また一日の行動を始めようと上半身を起こすのです。そんな光景が今も脳裏に浮かんでは来ますが、その朝特有の匂いや身体を包み込む暖かい空気、近所の子供達が小石を蹴る音、それらを私の嗅覚、聴覚で再現する事はもはや不可能なのであります。
 処方された薬を飲んでいないだけではないか、と指摘する友人もいました。それに対して私は否定をします。「そんな訳ない」と、さりげなく一言。確かに私は薬を飲みませんでした。では何故、わざわざ嘘をついてまで否定をしたかと言うと、友人は本質を理解していなかったからに過ぎません。薬を飲まなかった事実と、私が大いなる使命を与えられた事実、それは何の因果関係もない。即ち、私は人類の導き手としての義務と権利、使命を与えられるべくして与えられた訳であり、その理由や根拠について説明する時間を作るほど下らない事はないだろう。何度も言うが、あなた方の時間は有限なのである。私の崇高な発想の数々を、ただ黙って聞く。そうすれば、例え凡庸な人間であったとしても、導かれる可能性はある。


 この思考が導き出した幾つかの答えについて、共通点があるとすれば、それは科学、哲学、言語、風俗を超越し、それはまさしく人智が到達してはならない物ではないかと、若干の恐怖を孕ませて私に問いかけるところである。『創世記』によると神は六日間で世界を創造して、七日目にその身体を休めたという。よろしい、私もそれに習い、あと二日間の内に皆を見事導いた後、目を閉じるとしよう。だが、自らの及ばない思想を畏怖の対象とする勢力は、いつの時代も存在するものだ。従って、時代が異なれば私は火炙りの刑にあう可能性があるし、また現代においても激しい糾弾を受けるかもしれない。しかし、そこで潔く腹を切るというのも、私には理解しかねる。繰り返すが、これは自分に与えられた権利であり、私だけに与えられた義務なのだ。世を扇動して争いを起こし、納得しない者を一人残らず粛清したとしても、皆を導かなくてはならない。その結果がもたらすものが、果たして世の理想郷となり得るのかは分からない。毎日のように思考を浸した、この月明りが消滅する事も有り得るだろう。または、絶えず振動を繰り返す換気扇が切れてしまうかもしれない。それでも今全てを語ろう。耳を澄まして、目を輝かせ、期待で胸が押し潰されてしまいそうな諸君の為に!


 そこまで考えると、私は珈琲をカップに注ぎ、三回に分けてそれを飲み干す。台所の換気扇は未だ騒々しい音を立てて、こちらに対し何らかの主張を続けている。久しぶりに席を立った私の身体は妙に重く、又嫌な気配が瞼から発せられている。少し油断をすれば、心地良い世界からの手招きが私の意識を支配してしまうような、そんな気配である。

(※Ⅰ)この場面に限っていえば、まだ自らの内心を完璧に表現する事は時期尚早である。見せ方によってはこの舞台を根本から覆す事となるので、やはり主役には普段より表情の少ない男が適当だと思われる。

 洗面台で顔を洗った。冷たい水を出したつもりが、何故だかこんなにも生温い。何故だ。私は、果たして使命を完遂出来たのだろうか。換気扇の振動は、こんなにも弱く小さいものだっただろうか。
いや、違う。私は人類の為、自身の為、この気高い思考をもって世界に語り掛けなければならない!急いで台所から居間へ引き返すと、演説会場の設営は既に完了しているようであった。

おい、皆は集まっているか。
ソファーの前で列を成すあの群衆がそうなのかもしれないな。
マイクの準備......。よし、声はよく通っている。
ならば、このソファーに座って演説を始めよう。
寝転んだ方が威厳が出るだって?分かった、従うよ。
ここからの眺めは見事だな、人がわらわらと......。
さて、何から話せば良いのやら。
悩んでいる暇はない。皆の時間はあくまでも有限なのだから。
おい、見てみろ、この眩しい光を。
群衆から見れば、私に後光が差しているように見えるだろうね。
......やけに眩しいな。何故だろう、どこか懐かしい匂いがする。
そろそろ始めようか。
これが新世界の幕開けとなるのだ
な。


-終演-

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