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怠惰の遊撃戦(戯曲)

暗闇が明けると、狭い部屋の中に簡易的なデスクが一つ。肘をつく初老の男性が教授である。正面の窓から、満開となった桜の木が一本。
部屋の片隅には、わざとらしく『東北大学 我が誇り』という太い字で書かれた貼り紙。
それ以外に必要な物はない。間延びした音楽も要らない。
客席が静まったのを見定めて教授が咳払いをする。それを合図に、右手より二人の助手が登場する。

これは、その三人の会話である。
(教授)の台詞は抑揚が重要となる為、句読点は意識せずとも結構。
(助手I)(助手II)は冷静、冷淡くらいが丁度よい。


(教授)
 君には片付けねばならない仕事がごまんと残っているが、この私がそうである様に、決して弱音などを吐かない事だね。最近の若者と来たら、チラチラと周りを窺って他人と違う行動をしていると認識した瞬間に、まず身を小さくして目立たぬ様立ち振る舞いを治そうとするんだ。けしからん。そんな事で一体何が成し遂げれると言うのか、全く持って感心出来ない。君等にもその態度が見られるので、私は今見た目以上に腹を立てている。良いかな。いつまでもそうやって自分から逃げていたって、最終的に行き着く所は同じだね。後悔しか残らん。そりゃあ私だって若い頃はよく悩み、色々と苦労に工夫を重ねた。悩める青年時代を送ったんだ。だが君等とは違う。私は決して自分の意思を腹に隠したり、ましてや他人の考えに共感する為の努力などした事も無かった。自分の為さ。全ては自分の血となり肉となる様にただ机に向かった。君には唯の老いぼれが話す下らん説教にしか聞こえんだろうがね、私は君等の二倍は生きて来たんだ。経験が違うんだよ。そんな目で見たって一緒さ。

 私の学生時代に山中教授という方が居られてね、先生とは一晩でも二晩でも議論を交わして学を深めたものだ。今日に於いては先生にもなかなか顔を出しては戴けないが......。おや、君は以前に山中先生と面識が有ったんじゃ無いか。一昨年の学会では末端の席に座っておられたんだが、お話を頂戴しなかったのか。いや違うよ、それは笠井氏だ。末端の席と言ったじゃ無いか。少し長めの髭を蓄えていて眉を綺麗に揃えたあの格好はなかなかに目立って居たのに、何だってそんな曖昧な記憶しかないんだ。まぁそんな話は別にどうだって良い。山中教授は今でこそ地質学研究に於いて両手では数え切れぬ実績をお持ちで有るが、若い時は決してその様な名誉を望む人では無かった。現場に立たずして研究成らず、先生はそう仰っていた。その考えには私もすぐに感化されてね。その頃の我々は大きな括りで物事を考えず、特に鉱物学に興味を持っていた先生と私は、よく二人で採集に出掛けては夜の研究室で一喜一憂を繰り返したもんだ。そうそう、後にも先にも死を覚悟したのはあの時だけだった。あれはフィジー島の......いや、違う。それはボリビアでは無いか。私達が足を踏み入れたのは、フィジー島のワイレカ鉱脈だ。もう少し勉強をしたらどうだね。あれは復活祭の時期だったから丁度二月の暮れだったかな。君はイースターエッグというのを見た事はあるか。私が見た物は妙に原色がかっていて少し気味が悪かったんだよ。黄身では無い、気味が悪かったんだ。当時から先生との間にあった暗黙の了解でね、海外でどんな物を出されても必ず食するという物があったが、流石の我々も顔を見合わした。どう平らげたら良いかという具合だな。何も考える必要は無かった。寧ろ考えない方が良かった。彼方は何も食べてくれと卵を出した訳では無かったのさ。そんな風習も知らずに誰がフィールドワークを語れる物かと二人で大笑いしたのをよく覚えている。

 すまない、話が逸れたね。兎にも角にもだ、我々がワイレカを目指すには、大きな問題が一つあった。鉱山の袂から延びる大森林を如何にやり過ごすかという問題だ。君も知っての通り、当時のボリビアには......いや違う。君が変な事を言うから頭がこんがらがって来た。我々が訪れたのはフィジー島だよ。口を挟まないでくれ。当時のフィジー島ではそれこそ金山から採れる金の現物的価値など見向きもされていなかった。詰まる所が、苦労して鉱脈の開発などを行う金銭的余裕なんて無かったんだ。当然道なき道を進むしか手段の無い私達ではあるが、大森林をそう甘く見てはいけない。山中先生は基本的に現地調達に拘ったが、私はそれに反対だった。あくまでも私は必要最低限の物を準備して、今後の憂いをなくそうと主張した。先生の持論に拠れば、森林を横切る河川や鉱脈の洞泉から水分補給は出来るし、その土地柄食料にする物にだってまず困らないとの事だった。勿論、最初は抵抗したんだがね、結局我々は鞄に入るだけの乾パンと湯沸かしの火種、地圧計や方位磁針のみで、生きる為に揃えた道具はほとんど皆無と言っても過言では無かった。だが得てして計算違いというのは起きるものだ。鬱蒼と繁った薄暗い木々の中で、一夜を過ごせる自信など我々にはなかった。それをするのは我々の様な研究畑から出てきた人間には余りにも無謀な事さ。君にも想像して貰いたい。辺りがだんだんと暗闇に包まれ、やがてその身に感じるは獣の吠える声だけだ。不思議と寂しさは無い。何故だかは分からんがね、そこに孤独な感情という物は一切存在しないんだ。いや、存在する余地すらも無かったのかも知れないね。眠ってはいけないよ、と囁きかける先生を前にしては、私も弱気になる訳にはいかなかった。一度油断をすれば、這い寄る毒虫の影にまみれる事になる。月の光がよく差し込んだ広場を見つけた私達は、そこで朝になるまで火を焚べた。よくもまぁ体力が有ったものだと今となっては笑い話だが、二度と経験したくない物だね。背後から気配を感じたと思えば、左右の延びた羊歯から奇妙な音が聞こえるんだ。何かを咀嚼する音が。そして呼ぶ声がする。死が私を呼ぶ声だ。先生も同じ事を考えていたに違い無い。死が我々をすっぽりと隠してしまう様に......。それはいとも簡単に訪れる。身体が理解をしてしまうんだな。あぁ、もうすぐ私は死に取り込まれてしまうんだという感覚を。君には分からんだろうね。いや、止めよう。君等を恐がらせた所で意味は無いからな。先程想像してみる様に指示したが、やはりそれも意味は無い。実際に体験してみないと理解出来ないものなのだから。

 しかし、少なくとも君等には私の考えが、理解出来るものだと思っていたのだがな。もし仮にだ、視界を多い尽くす程のゲルマン人が、君の目の前を歩いていたとしよう。私はポーランドでその民族大移動を目撃したんだ。オーストリアとの境に私は立っている。この様な場面に於いては何をすべきか、断言する事が出来るよ。正にカール大帝の如く、貴方は掃除を、また貴方には食料を、ご婦人貴方はゆっくりとおくつろぎ下さい。役柄を一人々々に与えてやるんだ。右手には番号が書いた衣服、左手には権威を表す王冠だ。それだけで彼等は私に感謝し、また救いの主に当てられる多くの眺望がどれほどまでに快感に成り得るかを知る事となる。いつしかそれは信仰の対象となり、互いに興味が生まれる。それが良いのか悪いのかは別としてだが。この広い世界に存在する全ての生物は、何らかの形で信仰の対象を持っている。君には信じられるかね。どんな未開の地で有ろうとも、服さえ厭わぬ原人であったとしても、イエスとヤハウェの名を知っているんだ。この話を私が聞いた時に、ナザレからひた歩くイエスの姿を想像した。ある種の威光を放つその人物の後ろで、付き添う様に裸族が着いて回る。とんでもない事だ。だが違うんだ。イエスはそんなに歩いたりしない。良いかな。信仰心と云うのは空気で周りに伝わっていく。その力が作用するのには知性や人柄など関係が無いんだ。実際に、私が信じる色々な物は君にも伝染しているだろう。それなんだよ。つまり、君等にもこの様な高い思想を持って研究に臨んで欲しいんだ。分かったかい?



(※Ⅰ)以降、二十秒程の沈黙。暗転の必要はなし。


(助手I)
分かりました、教授。

(助手II)
分かりました。


-終演-

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