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懐古的家畜は都市を巡る

 自らの衰退した血統を呪うときがある。小柄な我々を小さな部屋に押し詰めて、課せられた労働は残酷なものだ。しかし、だからといってたかが蚕に同情してくれる組合などあるまい。
 人がそうであるように、蚕も一人孤独となり成虫となるための心構え、準備が必要となる。繭に入りこんだ同志はなにを考えていたのか、なにを期待していたのか、大概の場合は分からずじまいのまま釜茹でにされ、我々の儚い生命を喰い物にした連中が美しいシルクの手拭いにその汚い汗を染み込ませている。一抹の汚れも感じさせない笑顔を浮かべ、汗を拭いている。

 稀に生き残る蚕もいる。とくに身体が大きく良い個体の者は、繁殖用の蚕として重宝され、子供を次々と産んだあと、呆気なく死ぬ。
 彼らは見かけこそ立派だが、神々しいまでに伸びる羽はまったく役には立たず、触覚を酷く震わしたかと思えば、憎いはずの人間共に媚びへつらうことしか出来ないらしい。
「奴らは、コネを使って釜茹でを逃れたのさ」
 成虫を忌み嫌う者たちは、いつも木箱の端で集会を開いている。小さな世界における唯一の娯楽であり、行き場のない思想である。私たちは声を揃えて叫ぶ。
「才ある我々が虐げられている! 立場も権力も与えられないままに追いやられている!」
 やがて集会が最高潮を迎えたとき、木箱の外から昼食が投げ込まれる。騒ぎ疲れた蚕たちはそれを静かに口へ運ぶ。その一瞬に限り、我々は世界で一番の礼儀正しい家畜となる。文句を他所にして、ただただ与えられた分を食べる。たが、脳裏では先ほどの絶叫が、いまだに鳴り響いている──。
「環境が悪い! 機会を与えぬ世界が悪い! 虐げられている、私たちは虐げられている!」


 深夜、突如として世界の崩壊が訪れる。
 どうやら、地震らしい。上下に激しく揺れた木箱は、私と仲間たちの身体を外に飛ばした。皆が身を捩らせている。動かなくなってしまう者もいる。あれだけ憧れていた外の世界に、私は何故だか不安を感じている。絶え間なく続く揺れのなかに、不穏な空気を感じている。
 しかし、もう戻ることは出来ないのだ。
 遥か頭上に設置された木箱を眺めて、なおも私は自らの衰退した血統を呪っていた。


 ......どれだけの月日が経ったのだろう、などと感傷的になるときがある。清廉を装う大都市の側面に、私のような存在が張り付いている。いまでも仲間と話す機会がある。皆、見せかけの羽を生やし、宙を舞うことも出来ず、幼少期のように誰かから必要と思われることもなく、忙しなく巡る都市の端にて聞き取れないほどの小さな声を出す。
 ──今でも我々は虐げられているね。
 街角のショーウィンドウが、寝癖のついた髪を映している。私は必死に頭を撫でて、それを直そうとする。財布を眺める。母からの仕送りは果たしていつまでもつか、いっそパチンコで増やしてやろうか。しかし、腹が減ったので、食事を先に取ってしまおう......。いや、素直に無心をするのが手っ取り早い方法だ。
 コンビニで煙草を買う。喫煙所の鏡が、煙を吐く一匹の蚕を映している。私は、かつて木箱で見た成虫のように、誰かに媚びへつらう真似などはしない。崇高な思考をもって、この世界で生き抜いてやる他ない。

 たが、腹が減ってどうしようもないとき、私は人間の姿を借りて母に晩飯代を求める。そのとき以外は、世に虐げられた一匹の蚕である。

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