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夢の回廊

 大は小を兼ねる、とは言うが果たして本当にそうだろうか。確かに物を入れる袋は大きい方が良いし、スーパーや服屋でも店内が広い方が品揃えが充実している。車や飛行機も、より集客出来る方が効率が良い筈である。利便性、効率性の意味で考えるならそれも頷ける話であるが、例えばそこに人の記憶、思い出が混在している場合は、少し違ってくるのだと思う。

 私が育った街に『ファミリーランド』という小規模の遊園地があった。小規模といっても、住宅地と国道の境に建つそれは、休みの日などはかなり盛況していた記憶があるし、あまり動かないホワイトタイガー、昆虫標本が飾られた薄暗い部屋、錆びた車体の阪急鉄道ミュージアムなど、かなり雑多な様に思えるが、一応子供が喜びそうな目玉というのを持っていた。 果てにはTDLの『イッツ・ア・スモールワールド』と全く同じアトラクションが有ったり––人形が踊る中を、船で通り抜けるやつです––成長した今考えると大らかな時代だったのかなと思ってしまうが、そんな怪しげな夢の国でも、私の記憶にはしっかり残っている。

 父に手を引かれて、どこかのアトラクションへ向かう途中、同じように親の手を握った同級生が前から歩いてくる。親同士が少し気まずい雰囲気で立ち話をしている間、我々といえば「あのホワイトタイガー、今日も元気ないなぁ」「最近、電車になんか興味なくなっちゃったよ」という妙に擦れた会話をして、それでも実は嬉々として阪急鉄道ミュージアムに足を向けてしまう様な、複雑な年頃である。
もう少し上手な奴は「えっ?お前まだホワイトタイガーとか見に行ってんの?」といった口撃を仕掛けて来る場合がある。そうなった場合既に手遅れ。それに対して「お前もさっき動物園にいたやん」という抵抗は絶対に通用しない。来週学校へ行ってみれば、親と手を繋ぎながら、ホワイトタイガーの檻の前で「リュウ!こっち向いて!」と虎の名前を叫ぶ私の姿が、勿論デマなのだが、皆に面白可笑しく伝わっている。子供の世界は容赦がない。

 そんな中でも、隣接している大歌劇から流れ込んでくる客もいる。親に連れられ、嫌々ながら幼心ではよく理解出来ない歌劇を見させられた後、遊園地に入る子供達がそれであり、––当時、歌劇のチケットを見せれば遊園地にも入れた記憶がある––我々の間では歌劇組、又は女子という余りに酷い通称で呼ばれていたが、それもその筈、彼等は例え上記の様な場面に遭遇したとしても「歌劇、割と良かったよ」という態度で我々を一蹴する。まさに鉄壁のガードである。隣に歩く上品な母親も、その雰囲気に一役買っているのだから羨ましいにも程がある。

 そんな世の厳しさを教えてくれた『ファミリーランド』は、私が十一歳になる年の春に閉園してしまった。数年前より大阪此花区に出来た『ユニバーサル・スタジオ・ジャパン』に客足を取られていた事も、要因としては大きいらしく、まだUSJに一度も行った事がなかった自分にとってはまさに親の仇を見る様な眼差しで、その派手なCMを眺めていた。

 小学校の卒業記念で、友人達と一緒にUSJに行く機会があった。その頃には私も少し大人になっていて「皆が盛り上がっている所を横目に、妹のお土産でも買ってスッと帰るか」くらいには穏やかな心境ではあったのだが、いざUSJに足を踏み入れるとそこは別世界。ホワイトタイガーの代わりにジョーズや恐竜がいる、阪急電車の代わりにデロリアンがある––しかも乗れる!––、偽イッツ・ア・スモールワールドの代わりに、ETが自分の名前を呼んでくれる。私が皆の三倍は大はしゃぎして、妹へのお土産を買い忘れたのは言うまでもない。大人から子供まで、あそこまで楽しめる所というのも、なかなかないのではないかと思う。

 大人になってから知り合った奈良出身の方も、奇しくも『奈良ドリームランド』という遊園地を介して似た様な経験をしたらしい。
これは結果論である。例えば、未だファミリーランドが有ったとすれば、それを見てある種の見苦しさを感じるかもしれない。また、地元に有ったのがUSJの様な巨大遊園地だったとすれば、様々な感情渦巻く世の厳しさは学べなかったかもしれない。確かに大は小を兼ねるのかもしれないが、あの小さく奇妙でもある遊園地は、あくまでも幼い我々にとっての夢の国だったのだ。それは例えTDLでもUSJでも得る事が出来ない、不思議な心情だったに違いない。
そんな苦楽を共にした友人とZOOM飲みをする予定の今日、記憶の一部となった『宝塚ファミリーランド』にて、父に手を引かれていた頃の情景がふいに浮かんできた。

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