【えいごコラム(BN51)】「そんだけんど」
『赤毛のアン』の続編、『アンの青春』で、著名な作家であるモーガン夫人がグリーン・ゲイブルズを訪れることになります。
夫人を迎える準備をしながら、ダイアナはアンに次のように言います。
ダイアナは、モーガン夫人の前で間違った言葉づかいをしてしまったらどうしよう、と心配しているわけです。
でも、この「そんだけんど」って何なんでしょう。
これは原文では “I seen” です。この表現についてある文法書は次のように説明しています。
このように、動詞の過去形と過去分詞を混同し、 “I saw it” と言うべきところを “I seen it” と言ってしまう人がいることが指摘されています。
英語の「規則変化動詞」では過去形と過去分詞が同形のため、両者を区別する必要がありません。
そのため「不規則変化動詞」においてこうした混同が起こりやすくなるのです。
これは教養のない人々による文法的な誤りの典型なのだそうです。
じつは『アンの青春』では “I seen” がもう1ヶ所出てきます。
それはグリーン・ゲイブルズの隣に住むハリソン氏のセリフです。
ハリソン氏は口うるさい妻にうんざりし、彼女を置いてアヴォンリーへ「逃げて」来たのですが、妻が自分の言葉づかいを直そうと躍起になっていたことについて次のように語るところがあります。
ハリソン氏の妻は、彼の飼っているオウムが悪態をつくのをやめさせようとしますが、それは、ハリソン氏自身が “I seen” や “them things” (正しくは “those things” )などの非文法的な表現を口にするのをやめさせることと同様、うまくいかなかったわけです。
ここで奇妙なのは、ハリソン氏が教養のない人物ではないということです。
彼は後にアンの大学生活や文学的創作についていろいろ的確なアドバイスを与えるので、少なくとも大学は出ているのではないかと思われますし、そもそも上記の一件についてアンに説明する彼のセリフには、文法的な誤りはほとんど見られません。
なぜハリソン氏はわざわざ “I seen” などと言うのでしょうか。
ハリソン氏の妻は彼を探してアヴォンリーを訪れますが、そのとき、彼の言葉づかいを直そうとしたのは自分の間違いだった、とアンに言います。
ここで彼女は、男が間違った文法を使うのはしかたがない、食料庫へ首をつっこんで妻が週にどれだけ砂糖を使っているかチェックしたりするよりはマシだ、と述べています。
文法と砂糖がどう関係あるのかよく分かりませんが、おそらくこの「砂糖の使用量のチェック」は、みみっちくて「男らしくない」行為の例として挙げられているのでしょう。
このセリフから私が感じるのは、どうやら文法の問題と「男らしさ」の問題は絡みあっているらしいということです。
非文法的な言葉を口にすることはある意味「男らしい」行為で、女性がそういう表現を避ける一方、男性はむしろ好んで “I seen” 、 “them things” と口にしたのではないでしょうか。
ハリソン氏を怒らせたのは、妻が文法に関する「女性的」な価値観を自分に押しつけようとしたことだったのかもしれません。
ところで、 “I seen” がなぜ「そんだけんど」になったんでしょう。
訳者の村岡花子さんは甲府の生まれですが、甲府弁には「ほうだけんど」や「そんだけんど」といった表現があるそうです。
東京の女学校で甲府訛りに悩んだ村岡さんには、ダイアナの不安がわがことのように思われたのかもしれませんね。
(N. Hishida)
【引用文献】
Good, C. Edward. A Grammar Book for You and I . . . Oops, Me!: All the Grammar You Need to Succeed in Life. Herndon: Capital Books, 2002.
Montgomery, L. M. Anne of Avonlea, 1909. New York: Bantam, 1998.
モンゴメリ、『アンの青春』、村岡花子訳、新潮社(新潮文庫)、1989年
(タイトルのBNはバックナンバーの略で、この記事は2014年6月に川村学園女子大学公式サイトに掲載された「えいごコラム」を再掲しています。)