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社会や文化、習慣などと不可分な「言語」を英語・日本語・韓国語から追究
2024年4月に開設する国際日本学科に所属する(予定)教員にお話を伺う「先生インタビュー」。研究の内容はもちろん、先生の学生時代や趣味の話まで、幅広いお話を伺います。
第2回は、英語学の分野の授業を担当する朴育美教授です。
朴育美教授プロフィール
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朴 育美 教授
上智大学 外国語学部 英米語学科卒。ハワイ大学マノア校 教育学部大学院博士課程修了(Ph.D)、同大学院言語文学部韓国語言語学修士課程修了(MA)。2006年ハワイ大学マノア校東アジア言語文学部学部で韓国語学科初級コリアン、2007年甲南大学国際交流センターで留学生を対象とした授業Japanese Eductionを担当。2008年関西外国語大学へ。外国語学部講師、准教授を経て、22年に同教授。2024年4月より、外国語学部国際日本学科に所属予定。
言葉には社会や文化が反映される
朴先生は日本語、英語、韓国語の3か国語を話すトライリンガルだが、日本語以外は後発的に習得したという。
英語が好きで、上智大学の外国語学部 英米語学科に進んだが、第二言語として韓国語を選択できるところにも魅力に感じた。
韓国語は話すことができなかったが、自身のルーツである言葉をしっかりと勉強したいという思いから学びはじめ、その後、大学院でも同言語について学ぶ。
そんな朴先生の研究分野は社会言語学で、「言語を学ぶことと、その言語が話されている社会や文化について学ぶことは一体である」という観点から、言語にアプローチする。
言語は私たちの思考そのもの!?
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「言語はツールである」という言い方があるが、コミュニケーションを図るためだけの、無色透明で無機質なツールなのかというと、そうではない。
言葉は文化であり社会、風俗、習慣であると同時に、私たちの思考そのもののとも言えるのだ。
ーー言葉は文化的であり、社会的であり、人々の生活などと不可分のものであると。
朴先生:例えば、親族を表す言葉で、日本語だと「伯父」(両親の兄)、「叔父」(両親の弟)と対象者の年齢によって漢字を変えます。家族間の関係をより重視する韓国語だとさらに複雑で、
언니(オンニ)= お姉さん ⇒ 妹から姉を呼ぶ場合
누나(ヌナ)= お姉さん ⇒ 弟から姉を呼ぶ場合
といったように、家族内の呼び方も言葉として細分化されています。
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ーーなるほど。逆に、アメリカとかだと兄弟、姉妹の呼び方などはアバウトですよね。
朴先生:「This is my big sister」ではなく、「This is my sister」が一般的で、年齢差は重要視されていませんので、基本的にはファーストネームで呼び合います。またuncle やaunt、grandpaやgrandmaくらいは使いますが、親族関係を表す語彙は、日本語や韓国語のように豊富ではありません。
ーー「家」の関係を大切にする日本に比べると、アメリカは一般的に個人主義が強いと言われますが、それが言葉にも反映されている。
朴先生:そういうことです。一方で、韓国では家族間の関係を非常に重視するので、アメリカとは対照的に細かく呼び方を分けます。このように、言葉というのはその言語が話される社会の文化や風習と密接につながっているわけです。
また、社会の変化によっても言葉は変遷します。例えば、ジェンダーニュートラル(=男女の性差にとらわれない考え方のこと)の流れのなかで言葉は大きく変わってきました。
言葉が付与されることで「経験」が共有される
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ジェンダーニュートラルによる言葉の変化の事例としては、
看護婦 ⇒ 看護師
ベルボーイ ⇒ ベルパーソン
チェアマン ⇒ チェアパーソン
スチュワーデス ⇒ キャビンアテンダント
保母 ⇒ 保育士
など、少し考えただけでも数多くの言葉が浮かび上がってくる。
ーー今では一般的に使われていますが、ジェンダー問題への意識の高まりが、こうした言葉の変化にも表れているわけですね。
朴先生:長い間、女性の役割は家庭内とされてきたため、職業関連の語彙は圧倒的に男性を基準としたものになっています。「女医」「女流作家」「婦人警官」「女流棋士」という言葉は、そもそもそれらの職業に就く人が男性であることを前提として作られた言葉なのですね。
時代の変遷とともに、「現代の人権感覚や歴史認識を基準にすると不適切なニュアンスがある」と判断された言葉が言い換えられていっているわけですが、こうした取り組みのことをポリティカル・コレクトネスといいます。
ポリティカル・コレクトネス(Political Correctness)とは
特定の言葉や所作に差別的な意味や誤解が含まれないように、政治的に(politically)適切な(correct)用語や政策を推奨する態度のこと。
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朴先生:ただ、ジェンダー関連ではない言葉に対しても、私たちは無意識のうちに、言葉に隠されたイメージやメッセージを思考の枠組みの中に入れてしまっています。例えば、「野球、ダンス、かつ丼、ケーキ、ヒップホップ、クラシック、ギター、ピアノ」などの単語を聞いて、「男性と女性どちらを思い浮かべるでしょうか?」と授業で学生にもよく質問しますが、私たちはいつの間にか仕分けしてしまっているのではないでしょうか。
ーージェンダーを意識しなくていいところにまで「男性的」「女性的」と、無意識のうちに世界を分けてしまっていると。
朴先生:はい。ですので、ジェンダーレスの活動は男女の区別をなくすというよりは、社会に蔓延する「男性的」「女性的」という区切りをなくそうということなんですね。逆に言うと、言葉のイメージから無意識に「男女を区分けする」思考を私たちは抱いてしまっているわけです。
また、ひと昔前だと、小学生の女の子の憧れの職業として「幼稚園や小学校の先生」「花屋さん」などがよく挙がっていましたが、当時は女性の社会進出が今ほど一般的ではなく、無意識のうちに将来の進路のロールモデルが限定されていたと考えられます。この事例からも、「言葉で作られる思考」の一端が読み取れます。
言葉は体験的に身につけていく
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「エスペラント」という言葉を聞いたことがあるだろうか? いわゆる人工言語で、国際補助語としての活用を目的に考案された。
エスペラント (Esperanto)
(Esperanto エスペラント語で「希望する人」の意) 人工国際語。ポーランド人ザメンホフがインド‐ヨーロッパ語族の言語に基づいて考案、一八八七年に公表。日本では明治三五年(一九〇二)頃から関心が持たれ、同三八年日本エスペラント協会が設立され、月刊誌を発行した。また、二葉亭四迷がエスペラント語の教科書「世界語」を出版するなど、二、三年流行するが、その後下火になった。
比較的簡単にマスターできる言語だが、広く世界に浸透しなかったのは、言葉の背景に文化がないからだとも言われている。
朴先生:ある学者の言葉ですが、「言葉というのは生活様式である」と。つまりその言語の話者の間で共有される、状況や場面、文脈に埋め込まれたルールに沿って言葉の使い方を覚えないと、身につかないということです。
英語のテープを延々と子どもに聞かせても、単語くらいは覚えるかもしれませんが十全に話せるようになりません。一方で、国際結婚をした夫婦が子どもにそれぞれの母語で話しかけるとバイリンガルに育ちますが、状況に応じて言葉を話すので、実践を通じて子どもが学習していくわけですね。
ーー身体性と連動しているというか、言葉がそれぞれの文脈と紐づいている。
朴先生:そういうことです。一方で、先述したように私たちは言葉に拘束されている部分もあって、言葉のイメージに思考が影響されます。また、例えば「セクシャルハラスメント」という言葉が浸透する以前から、似たような事象は社会の中で起こっていたわけですが、言葉が付与されたことによって共通の経験が共有されます。
ーー言語化されることで、概念が明確されるわけですね。
朴先生:そうですね。セクシャルハラスメントでいうと、それを体験した人は「なんだか嫌だ」という感情を持つ。でも、その気持ちを表す言葉がない。言語化できないことで「この経験は自分だけのもの」と抱え込んでしまうわけですが、言葉が一般化することで、その個別の経験が共有され、社会的に認識されるわけです。
ーーそれはマイナスな事象だけではなく、例えばある批評家が書いていましたが、「美しい」という概念は小説に書かれた(言語化された)ことで認識されるようになった。だから文学なんて今どき役立たないという意見もあるけど、最初に言葉ありきというか、人の新しい概念を生み出すようなすごい媒体なんだと。
朴先生:私も人文学擁護派です。なぜなら、どれだけ科学技術が発達しても、孤独感とか胸の痛みとか、そういう感情って昔から少しも変わらないじゃないですか。ITなどの分野は日進月歩で、10年経てば80%くらいは役に立たなくなると言いますが、人文学で扱っている内容は神話や古典の時代から不変です。
例えば歴史を学んで追体験したり、神話や文学を読んで人間の本質に触れたり、そうした人文系の授業のアプローチを通じて、変わることのない人の思い、感情を追体験することは大切で、決してその分野を学ぶことはムダではないでしょう。
さいごに
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高校生の皆さんへのメッセージをお伺いした際に、朴先生から出てきたのが、「自分について考える」「自分を知るためには他者を経由する必要がある」というキーワードだ。
その話題の事例として挙がったのが、村上春樹のエッセイの話で…。
朴先生:自分について書けと言われたらうまく書けないけど、エビフライについて語れと言われたらスラスラと書けると。それを読んだら、結果的にその人となりが伝わるという話だったんですけど、つまり自分を表現するために別の対象をもってくる、「迂回する」ということですね。
ーーそれが「自分を知るためには他者を経由する必要がある」という話につながるわけですね。
朴先生:はい。国際日本学科でも、「英語で日本の文化や社会を発信する」のが学びの軸のひとつになっていますが、そのためには英語や海外のことだけでも、日本のことだけを学んでいてもダメで、相互的なアプローチが不可欠です。
同様に、自分のことを知ろうと思って、一人で自分について考えてもうまくはいきません。いろいろな人と関ることで、相対的に自分のことが明確になってきます。それを実践できるのが大学の4年間で、ぜひ多くの人と出会い、さまざまなことに取り組んでもらいたいですね。
ーー本学の場合、学内での学びはもちろん、留学制度も充実しています。
朴先生:英語の科目を担当する者として、ぜひ留学にはチャレンジしてもらいたいと思っています。国際日本学科だと、「英語のスキルは身につくの?」「留学に行けるのかな?」と思っている人がいるかもしれませんが、しっかりと勉強すれば大丈夫です。担当者として英語学習のサポートは十全に行いますので、一緒にがんばりましょう。
【国際日本学科・特設サイト】
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