入試・就活 問われる個性

 最近入試も就活も変わりつつあります。今までは、どちらも準備の中で、「ただ1つの正しさ」がありました。いまや問われるのは「個性」それもなかなかギリギリの個性です。

 たとえば。。。就活では男女ともほぼ決まった服装があるといいます。紺のスーツ、白いワイシャツetc ここには個性は不要?でしょうか。

 就職対策や入試対策と言えば、適性検査用の一般常識訓練。個別科目の知識暗記。が定番でした。もちろん面接や一部大学での論文入試などは知識暗記だけではありませんでしたが、やはりそれはほんの一部でした。ところが最近は、この暗記すればよい部分の割合、減ってきています。(なくなってはいませんし、いまだに一番大きな割合を占めているとは思います。)

 一方で、時事問題などに対して、あなたはどう思いますか?とか、あなたのやりたいことは?あなたはどんな人ですか? などその人の個性を問うケースが順調に増えています。これは良い傾向なはずです。ただ学生にとって難しさになってしまうのは、「個性を評価される」と考えなければならない、ということです。そもそも個性は評価されるものではなく、単純に合うか合わないか、という部分です。しかし、それまで正しさだけを基準に成長してきた子ども達にとっては、この個性、にも正しさを求めてしまうのです。そしてもしかすると、採用・合否決定する側(面談する側)もある種の正しさを評価しようとしてはいないでしょうか。

 こう考えると「個性」を作ることはただの拷問になってしまいます。自分がこうしたい、と感じること思うことを消して「私はこう思う」と耳障りの良いことを言う。でもそれは自分の思いではないから結局相手に伝わらず評価されない。ちょっと突っ込まれるとそれ以上言えない。もうどうしてよいかわからない。となるのは当然です。

 いま評価されようとしているのは「ギリギリの個性」だなあと思うのはここです。大学にしても企業にしても、まずは自分たちの「個性」をはっきりさせる。学生は、早いうちから自分は何が好きで、自分にとって大切なのかを考え探す習慣をつける。どちらにも個性を時間をかけて育てる必要があるのです。

 ここで大切になるのが、いわゆるPISAで評価されるような読解力です。事実として何が書かれているのか?それについて自分はどう感じ、どう考えるのか?考えていくことを繰り返す必要があります。これを繰り返すことでのみ、自分の考えの幹が育ち、個性が育っていくのではないでしょうか。でも、常に自分自身だけのことを考えるのはとてもキツイ作業です。そこで使いやすいのが「時事問題」ということになります。今目の前で起きている時事について、自分はどう感じるのか?それはなぜなのか?を考えることはいつでもできることです。私がベルギーに留学して驚いたのは、高校で、高校生が休み時間に芸能人の話と同じように政治の話をしていたことです。今になって思うとこれが彼らの思考を育てていたし、個性を育てていたんだと思います。時事について考えること、若い人の習慣にしていけたら、というのも私たちの「時事学」の思いです。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?