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【第2話】 優等生の証「ピオネール」に憧れて (1982年〜1985年)

▶︎第1話は こちら

〔前回までのあらすじ〕
私の名前はアセリ。ソビエト社会主義共和国連邦を構成する15の国のひとつ、キルギス・ソビエト社会主義共和国のアク・チューズという地図に載っていない秘密の町で1974年に生まれた。この町は鉛やレアメタルなどが豊富に採れる鉱山があり、ソ連の国家戦略的に非常に重要な町だった。私はここでのびのびとした子ども時代を過ごした。

私が7歳になった1982年の9月、学校に入学した。
学校の名前は「アクチューズ第一学校」。この町に学校は1つしかないけど、1つしかなくても「第一」と付いていた。当時の学校は10年制。一度入学すれば、小・中・高校というくくりはなく、卒業する10年生まで同じ校舎で同じ同級生と一緒に勉強をする。

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(写真)  私が通っていた学校の校舎。山の麓の自然豊かな環境だった。

町の真ん中の私の家から学校までは徒歩5分。とても近かった。
学校へは、制服を着て登校する。
女の子は黒いワンピースの上に白のフリルがたっぷりと付いたエプロン、男の子は白いシャツに黒いズボンと黒のブレザー。
制服を着るということは、社会の一員としてしっかりしなければいけないという意味。7歳の子どもながらにも、気が引き締まる思いがした。

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女の子の制服の襟は、常に真っ白でシワひとつない状態でなくてはいけない。これが確実に出来ているかは、学校で毎日チェックされる。
この白い襟は糸で縫い付けられていたので、学校から帰ると毎日糸を外して洗ってアイロンをキチンとかけて、そしてまた針を使って縫いつける。これを毎日繰り返す。面倒くさいなんて思わなかった。それが一番正しくて誇らしいこととされているから。
低学年の頃は母親にやってもらっていたけれど、やり方を習って、いずれ自分でも出来るようになった。

他にもチェック項目がいくつかあって、例えば爪。きちんと短く切ってあって汚れていないかどうか。それから、制服の白い袖が汚れていないかどうかなど。
チェックするのは最初は先生だったけれど、そのあとはクラスの中で選ばれた子が3人が、教室の座っている席順で列ごとにチェックをするようになった。

私の同級生は30人いた。私たちは1年生になると、1917年にロシアの首都ペトログラード(そのあとレニングラードになって、今はサンクト=ペテルブルクという)で起きた「十月革命」にちなんで、「オクチャブリョーノック(10月の子)」と呼ばれる。オクチャブリョーノックは皆、赤い星のバッジを左胸に付ける。真っ赤な五芒星のそのバッチの真ん中には、子どもの頃のレーニンがいる。

レーニンはその「十月革命」を成功させて、史上初の社会主義国家を樹立した偉大な人だ。「レーニンのような立派な人間になりなさい。」と学校の先生はにもちろん、周りの大人たちが繰り返し何度も言う。

子どもの頃のレーニンは、常に正しいことしかしなかった、と学校で習った。

「レーニンは、クラスメイトがいたずらをすると、すぐにその子に注意をする。宿題はいつもきちんとやって、忘れたことは一度もない。たくさん勉強をして8カ国語を話せるようになった。家では親の手伝いを良くやって、洗濯物は自分の手でキチンとたたんだ」など。

私も子ども時代のレーニンのように、正しい行いをする子どもになりたい。そして、社会を助けて、先生や大人たちから認められたい。もっと褒められたい。そんな一心で、学校では宿題はいつも忘れなかったし、授業中は積極的に手を挙げて発言したり、クラスのリーダーも出来る限り引き受けた。
学校以外でも、お年寄りが道で重たいものを持っていると自分から進んで持ってあげたり、自分より小さな子どもや他にも困ってる人がいれば助けてあげたし、痩せた野良犬がいたら餌をあげたりした。

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(写真)アク・チューズの学校の先生たち

学校の先生たちは、皆とても知識が豊富で思慮深くて人間的にも崇高だった。いつもシワひとつないスーツやセーター、綺麗なボタンの付いたブラウスやカーディガンを着ていて、女性の先生はメイクも上手にしていたし、その存在自体が世の中の正しさ全て体現しているようで、私たち子どもは皆、先生のことを尊敬する。そんな尊敬する先生に褒められたくて、子どもは競い合うように勉強し、レーニンのような子どもなることを目指した。

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(写真)アク・チューズの町のレーニン像

「オクチャブリョーノック」の1つ上のランクに「ピオネール」というグループがある。正式には「全ソ連ピオネール会」という。これは、選ばれた優秀な子どもだけのグループで、ソ連の考え方を熱心に実行する国家的にも重要なグループでもあった。
ピオネールの目印は、なんといっても首に付けている赤いスカーフ。

アク・チューズの学校でも、ピオネールに選ばれている先輩達は、私が左胸に付けている赤い星のバッチのかわりに、赤いスカーフをしている。
この赤いスカーフに、私は強く憧れた。なぜ憧れたのかはうまく細かく説明出来ない。世の中の大人たちが皆それを誇らしいことだと信じているし、信じることに理由があるかどうかなんて考えたこともない。

ピオネールになるには成績優秀で品行方正で先生の言うことを良く守る子どもであることが条件で、選考は学校の先生たちが行っていたようだ。一番早くて4年生の秋からピオネールに入ることが出来る。
私も早くピオネールになりたい!!どんな時も思っていた。

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そんな私が4年生になった1985年10月のこと。
学校の授業が終わりかけの時間に担任の先生が、「今から、このクラスの中でピオネールに選ばれた人を発表します。」と、何の脈絡もなく突然言った。教室がざわめく。

何人かのクラスメイトの名前が呼ばれ、そして続いて「アセリ。」と私の名前が呼ばれた。
その瞬間もう、嬉しすぎて気が動転してしまった。結局、クラスメイト30人のうち、7人だけがピオネールに選ばれた。そのうちの1人になれた!なんということだ!!
「来月、11月7日にピオネールになるための式典があるので、それまでに準備をしておくように。」

ピオネールだけに許された憧れの赤いスカーフを母に買ってもらって、式典の日まで大切に大切に持っていた。アイロンを丁寧にかけて、シワひとつないスカーフにした。

そして11月7日の式典の当日。

学校の大きな体育館の中で、学校の先生や生徒が集まって、選ばれた私たち7人が前に立っている。みんな、高揚感でものすごく興奮している。
校長先生と教頭先生が体育館に入ってくると、いっせいに静まり返る。特に校長先生は、生徒にとってとても遠い存在でとても偉い人なので、緊張する。

セレモニーが始まると、ピオネールの先輩たちがやってきて、私が左腕にウエイターのナプキンのようにかけていたシワひとつないピカピカの赤いスカーフをとって、私の首にかけてくれた。赤いスカーフの結び方は決まっていて、それも同時に教えてくれる。

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かしこまった挨拶をする時や国歌を歌うときは、いつも右手を胸のラインに合わせるのだけれども、ピオネールになると、右手を頭の高さまで上げることが出来る。
はじめて右手を頭の高さまで上げた時の高揚感を味わう余裕もなく、赤いスカーフを初めて首に付けた私たち7人は、ひとりずつ一歩前に出て、体育館の高い天井まで響いて反響するほど大きな声で「ピオネールの誓い」を言った。

“私、アセリは、ウラジミール・イリイチ・レーニンの名のもとに、全ソ連ピオネール会に入会し、同志たちの前で誓います。
 祖国を熱く愛し大切にします。そして、偉大なレーニンが後世に伝たことや、共産党の教え、そして、ピオネールの約束を守り、生き、学び、戦います。“

そして、7人一緒に、
「誓います!誓います!誓います!」
と唱和すると、最後に先生が私たちに向かって
「ピオネール達、共産党の大義のための闘争に備えよ!」
と力強い声で言うので、今日たった今ピオネールになったばかりの子ども7人は、
「いつでも準備よし!(всегда готов!)」
と、ピオネールのスローガンを最大限の力を込めて言って、式典は終わった。

キルギスでは冬の訪れは早く、11月のアク・チューズの町は標高が高いこともあって、いつも気温は氷点下、雪が降って真っ白だった。
式典の日の学校からの帰り道、赤いスカーフをはじめて身につけることができた私は、嬉しくて誇らしくて、白いシャツに真っ赤なスカーフをしているのをひとりでも多くの町の人たちに見てほしくて、コートもブレザーも前を全開にして、口から真っ白な息を吐きながら歩いた。高揚感いっぱいで、寒さなんて感じない。

今日11月7日は社会主義革命の日の記念日で、ピオネールの式典があることを町の人はみんな知っている。すれ違う人たちはもちろん皆、遠くから私の赤いスカーフを見かけた人たちも「おめでとう!ピオネールになったんだね!頑張ったね!」と祝福してくれる。嬉しい!すごく嬉しい!

私が念願のピオネールになった1985年は、ソ連の第8代最高指導者としてミハイル・ゴルバチョフが就任した年でもあった。
このことについて、周りの大人達がざわざわとしてたことを何となく覚えている。

何かが変わり始めるのではないか、という空気感はあったのだけれども、モスクワから4000kmも離れた自然豊かな山深いアク・チューズの町ではいつも通りの日常が流れていた。
まさかこのほんの数年後に、この日に熱く愛し大切にすると誓ったばかりの国がなくなるだなんて、私も誰も想像していなかった。


---------  第3話へ続く  ---------

第3話:  民族のお祭りの日の美味しい思い出と無宗教

※この文章はアセリの記憶の中の物語です。事実と異なる内容がありましても、予めご了承下さい。


【おまけ】
文中に出てくる「ピオネールの誓い」のロシア語原文です。

“Я, (фамилия, имя), вступая в ряды Всесоюзной пионерской организации имени Владимира Ильича Ленина, перед лицом своих товарищей торжественно клянусь: горячо любить и беречь свою Родину, жить, учиться и бороться, как завещал великий Ленин, как учит Коммунистическая партия, как требуют Законы пионеров Советского Союза.”

大人になってもどんなに歳をとっても鮮明に思い出します。子どもの頃に覚えたものは一生忘れませんね。

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ところで、ソ連の子どもたちだけでなく、日本でも有名なチェブラーシカもピオネールに憧れていました。このフィルムの中に赤いスカーフをしたピオネールの子どもたちが出演しています。チェブラーシカがピオネールになりたくて一生懸命頑張っています。


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