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20240407_花見

大阪に移住して初めての春。
今日は桜を見に行った。

人も、散歩している犬も浮かれていた。
春ってこういう季節だよなぁと少し萎える。
静かに花を見るなんて、風情にかけるもんな。

季節を誰かと共有すること
それは余程感性が合わないと出来ないこと
 今年はどんな出会いがあるのか楽しみになった

爆音のEDMをかけて踊り狂ってる大学生の集団、それもまた一興。その見境のなさはある程度の度胸がなきゃできないこと故、何だか見てて楽しかった。

とんでもなくモフモフした犬がとんでもなく幸せそうな顔して散歩してた。見物客全部ポメラニアンにならないかなぁと思った。

溢れかえるほどのあの人の数だけ春がある、花を見に行ったのか、人を見に行ったのかよく分からなくなった。

平日の暇な時にカメラを担いで1人で写真を取りに行こうと思った。

春の空気は取り留めのない、よく分からない気持ちにさせられる。己の感受性を呪う。
春はハッピーでいたいものです。

何だかよく分からないまま、フワフワ生きるよりは文字にした方が良かろうと久しぶりにnoteを書いてみる。
前書いたのはえらく昔のようで、読み返してみて、よく書いたなぁと感心する。多分その後、あのクオリティに合わせてちゃんとしたの書かないといけない!と思った途端、筆がとんでもなく重くなったのを覚えている。
結果として、感じたものをアウトプットせずいたせいで自分が良かれと思って見に行っているものを「消費」している感覚にまで陥っている。良くない良くない。
その場で出力される言葉は前もどこかで似たことを言っていて、馬鹿の一つ覚えみたいな単語の羅列になっていて過去の短文は読めたものでは無い。もっとその言葉のもうひとつ奥、そこがかけてない感じがする。薄っぺらい。
そう考えると「書くぞ!ちゃんとしたものを!!!!」という気概で筆を執るのはとても大事。
難しすぎる。
グルグルしている頭の中の言葉をそのまま文字にするのはできる。 
まずは怠っていた文字を書くという習慣を思い出すか…と、歩きながら今これを書いてる。
言葉に出すのは苦手だからやっぱり自分には文字が必要。
文章くらいは素直に書きたいものです。
独り言に世間体意識し始めたら終わり。
きっと自分はずっと文字を書きながらじゃないと自分の内側を探れないし客観視できない。

そう、noteを書く前に「しずかなインターネット」というサービスを少し触った。それでいたたまれなくなってnoteに来た。
しずかなインターネットというサービスは、誰もいない草原で独り言を呟いて満足するような、他のSNSとは触感が全然違うものだった。
他人の反応とか気にせずに何かをこぼしたい人にはとてもオススメしたい。
自分は多少なりとも他人が見るという感覚がないと、気持ちを形にしたり出来ないなと思ってnoteにきた。しずかなインターネットもたまに使うと思う。

その場しのぎで感情を蔑ろにした結果、フワフワと足が浮くような気分になることが多くなった。
自分の形を保つために思想があり、文字がある。
「言わなきゃ分からないよ!」を自分に言い続けている。自分に言うには、鏡に叫ぶか文字にするしかないのだ。前者は精神的に心配されそうなので後者を採る。
自分から1歩身を引いて、ぐちゃぐちゃとした部分を整える作業。それを怠ってたなと反省している社会人3年目の春。
続けます、取り敢えず。
本当に日記って続かなくて困ってる、続けたい気持ちはあるのに。
なんだか言い訳ばっかりで自分に嫌気がさす、ちょっとは言い訳せず、自分を信用できるようになりたい。
春のエモーショナルで有耶無耶にせず己に向き合う術をつけたい。
そんな4月、繁忙期終わり

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