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読み書き豆鉄砲
鳩に食らわせる以外で豆鉄砲なんて撃たない。撃つのはよほどの物好きか、理由がないと不自然だ。今日、自分がその物好きであり
理由ある人間になった記念としてnoteに残す。
図書館へ
仕事が終わり、帰路の電車内。昨日まで読んでいた、近藤康太郎の著書三行で撃つを思い出した。著者が言うには
本を手にするのはどこか。それが、図書館だ。とくに、大都市圏に住んでいる場合は、自分の住んでいる地域の、最寄りの図書館を使い倒す。
とのことで、図書館の活用法が書かれていた。それを実践するつもりは無かったが、久々の図書館に嬉しくなり、向かった。
筋肉が
館内に入り、しばらく歩く。
中学生のころに読んだ芥川龍之介の著書が目に入る。久しぶりに読み直したら新たな発見があるだろうかと思いながら、ほかの本に目を移す。
目に入ったのは三島由紀夫。とっつきにくくて読んでなかった作家。楯の会と、自決のイメージが強くて避けていた作家。食わず嫌いは良くないと思い、小説読本を手に取って読んだ。
主義があり、意思が強く、きっと肉体も逞しいのだろうなと分かる文章。
「お前に小説家になれるくらいの才能と根性があるのか」と、ポージングで強調された筋肉を見せつけられている気がした。
別に小説家なんて目指してないし!
頭の中の声は早口だった。
幻滅する鳩
十数ページ読み、その本を棚に戻した。
また他の本に目を移す。さっきより背表紙がよく見える気がする。そればかりか、スルーしてた本にすら興味がわいている。何故。
ドイツ文学の棚に向かう、トーマス・マン。
ロシア文学の棚に向かう、トルストイ。
日本文学の棚に戻る、夏目漱石。
難解そうで、避けていた作家。
退屈そうで、避けていた作家。
読んだ気になっていた作家。
それらすべての、なんとなく読めないというモヤが払われた。
それは嬉しく、不思議でもあった。何故!
どうにかしてしまったのだろうか。
おそらく、三行で撃つで希望を持ち小説読本でその希望が砕かれたのだ。
まだ何にも書くことなどしていないに等しい程度な癖に。書くことに対して都合の良い夢を抱いていたのだ。
苦しくて泥臭いと言われていたのに!しかも、たった十数ページの筋肉にそれを見せつけられる。驚愕。撃たれたのだ。俺は撃たれた鳩だ。
書くことを説かれるはずが、自分の読み方の浅さを知ることになった。
幻滅がモヤを払ったのだ。
豆鉄砲を撃ち返す
読んでいるのが楽しいのか、文章を書くのを楽しむために読んでいるのか
今日読み始めた短編小説も
葬式で腿を抓っている気分になって楽しい。
こんなnoteを書いていても、
自分の毒素が増している気がして楽しい。
楽しみへの問いなんて
すべてどうでもよくなってきた。
今は、とにかく、撃ち返したくてたまらない。書きたい。トリガーハッピーだ。銃口は絶えず外に向いている。今は豆鉄砲だとしてもまたあの筋肉に蜂の巣にされようとも。
いつか俺は二行で撃つ。
まだまだこんなもんじゃない