マガジンのカバー画像

伊藤佑輔作品集2002~2018

135
2002年から2018年にかけて書いた詩や小説やエッセーなどをまとめたものです。 ↓が序文です。参考にどうぞ。https://note.mu/keysanote/n/ne3560…
運営しているクリエイター

#小説

小説 歌のうまい女(2003年)

 すべての存在の層にあるプラットフォームの片隅で、清掃作業者たちが風に転がる紙くずたちを片付けていく―彼らはみんな同じ顔つきをしている。まったく同じ作業服を着ている。みな背が低い。みんな小人のようだ。俯きかげんに、ちりとり片手に小走りしていく。 「歌のうまい女が歌を歌った。だれにも聴こえない歌を。誰にもきこえない歌を歌っていた。彼女は自分が歌を歌っていた事を知らなかった。だが耳のよい人々たちは知っていたのだ―彼女が何かを見つけた時に、彼女に歌が拡がった。そしてその歌は他のど

小説 宝石箱の住人(2003年)

 こうして彼は彼女の指を切り落とす。まるで銀の針金でできた女の指が水銀のように融けていき、そこからサファイアでできた植物が生えていく。それはそのうちちいさな黒い実をつける。男たちはその果実を食べて、その全身を真っ赤なルビーに宝石化させる。すると宝石箱全体が光を放ち、伯爵夫人はその光を浴びることでその若さをたもっていく。  このような生態が伯爵夫人の宝石箱の中にある硝子のジャングルにおいて観察されている。だから彼女の誘いに乗ってこの宝石箱の中を覗いてはいけない。もしもあなたが

小説 庭園で(2003年)

 彼は空想の贋金製作者たちの機械が心の中に揺らめき立ちのぼっていくのを感じた。彩色された観念の動物園が口をついては飛び去っていく。かすかに甘い、花々の香りをとじこめて、さまざまな色彩の音楽が、風に運ばれ流れきていた。風は自分自身を愛していたので、あらゆる生きとし生けるものたちに自分の酷薄さを教えなければ気がすまなかった。  古い宮殿の崩れた石柱にもたれて、陶器でできた二足歩行の猫たちが、深い翡翠色の両目を光らせて―しゃぼん玉を吹いていた。その酷薄な―繊細で充分によく制御され

小説 蛇をテーマにした3つの短編 (2003年)

1 喫茶店の蛇 僕はペン先を休める。疲労のあまり僕はペン先を休める。するとその青い万年筆は揺らぎだし、子供のころに町はずれの道路で見た百足のように蠕動をはじめて、ついにはペン先は毒針を秘めた蠍の尻尾になって注射針のように僕の手首の青黒い静脈を突き刺した。すると僕の静脈は山脈のように、地殻変動による造山運動のように隆起し、蛇のように乱暴にのた打ち回ったと思うや、一瞬にして僕の腕全体に広がった。するとそのまま僕の右腕はうろこ状に真っ黒になって勝手に動き始め、体全体が一匹の黒い蛇に

小説 それでも彼女たちは充実していた(2007年)

 痛めつけられ、場合によっては踏みにじられて、台無しにさせられ――そうして自分たちの、いささか熟れすぎた肉体を、ぱっくりと破裂させられた状態ではあったが、それでも彼女たちは充実していた。天から墜落して、誰からも忘れられて。かつて彼女たちが長い時間と限られた空間を分かち合って過ごした、その柔らかくて透明な住居から、追放されて。そう、重力によって、あるいは墜落した時の衝撃によって、追放されてはいたのだが――そこから溢れて、流れでてしまってはいたのだが――それでも誰が見たってすぐわ

小説 失われたお菓子を求めて(2007年)

昼下がりだった。わたしは公園のベンチに腰掛けて、目の前のむき出しになった土色の地面を見るともなしに茫茫と見ていた。そこらかしこの隅々に、散乱したタバコの吸殻や、小さなビニール袋、中身の入っていたり入って居なかったりする、食べ残しのついた透明なプラスチックの容器などが転がっていた。乾涸びた百合の木の木の葉たちがところかまわず散らばっていた。オレンジ色の目をしている、鳩たちが、近くをぞろぞろ歩いていた。そのうちの二、三匹は、両翼を慌ただしくばたつかせていた。ふと気がつくと、二匹の

小説 冬の公園(2007年)

――その池のほとりのソメイヨシノは、痩せた体を包んでいた、しなやかで壊れやすいたくさんの緋色の衣たちを、地面にほとんど脱ぎ落としていた。蟲に食われた跡で一杯の紅葉葉たちを、ぽつりぽつりと梢に遺して。――この紅玉髄の小人たちのようにも見える無表情な薄片たちは、湿度の少ない風たちに自分をしずかに揺さぶらせていた。――そうして静かな水面には、今見たすべての一部始終が、陰になり、かすかにひらひら見えるのだった。 わたしは橋をわたって、中洲にある四阿(あずまや)の手すりから、目の前を

小説 プラル(2007年)

 わたしは自分が「プラル」だった頃のことを思い出している。体育の時間に「ヘレヘレ」を習った、きちんとできるまでに何年もかかった頃のことを。エメラルドの鉄棒に向かって、助走をつけて思い切りよく6本の後足を蹴って、勢い良く前足を巻き付かせる。その勢いでくるくると回転し、何回も廻った遠心力で、硬い甲羅で覆われている背中を反らして、向こうに向かってジャンプする。その時思い切り「べぎゃー!」と一声叫ばなければならない。その時のゼロコンマ秒の間で、如何に美しいフォームをつくって、飛ぶこと

小説 クラムチャウダー(2007年)

 新発見のアメーバみたいにひらべったい油の膜が浮き上がって、ぶよぶよに固まってしまった表面を震わせている、クラムチャウダーの水面に、焦げ茶色の枯葉が浮いている幻覚をみた途端、彼女の朝の食事は台無しになった。不愉快になった彼女の内面はタールのように真っ黒に変色して液状化してしまうのだった。そして何分経っても、何十分経っても、何時間経っても、液状化の勢いは止まなかったので、彼女はすっかりタールのような液体になって部屋を浸食してしまった。それは拡大し部屋中を自分で浸した。そればかり

小説 調布市の野川のスケッチ(2006年)

 昼下がりは、真鍮のような静寂を、空の青みと水音のせせらぎにそえあわせながら、自分ではどんどん希薄になって、遠のいていくようだった。気持ちだけ少し伸び過ぎた、目の前の前髪は、陽光のせいで軽やかに化学変化して、きらきらきらきら、光耀していた。まるでのどやかな温度がやわらかいうすものに変化して、あたりをつつみこんでくれているようだった。そうして、仕事の疲労に困憊しきっている、ほこりまみれのわたしの体は、ひとりでにうるおいを取り戻していき、しなやかな湿り気を、そこらじゅうから摂取し

小説 窓の向こうにある部屋(2007年)

 向こうの家の窓の中には誰がいるのだろう。小さな影が、どよどよと動いたり、波のように揺らめいたり、両手を変な風に広げて痙攣したり、しているのはなんなのだろう、たぶんあの窓の向こうには舞踏家が住んでいるのかもしれないと考えた、けれどももしかしたら動いているのは影ではなくて、窓なのかもしれない。そうでなければ、時々あの窓が、二つになったり四つになったり、増えたり減ったりしたりしている理由が分からない。思い返してみると、何度も何度も、電気がついたり消えたりするので、停電が起きている

小説 猫に助けられる(2012年)

 夕暮れの時刻だった。燃えているように赤い、まるでオレンジ色をした、液状化したトパーズみたいな黄昏だった。――この国の東の方にある東京の、渋谷の街に僕は立っている。スクランブル交差点の向こう側、街の大通りに面した、大きなビルには巨大なホログラム装置が置かれ、そこから中空に、ホログラフィーになった美少女アイドルグループが、カメラアングルを次々と変えながら歌って踊っていた。どうもこのアイドルたちは、人間ではなくて、CGか何かで合成されているらしく、観測する角度によって、色使いと硬

小説 躑躅の花と、存在しない一橋学園(2012年)

――するるするると、曲がりくねって伸びていく、蔓草たちに取り巻かれている、にぎやかな街角が、そこにあります。 様々に着飾った人々の群れを縫うようにして、どこまでもどこまでも歩いていきます。 そうしてそうして、曲がりくねった坂道を昇ると、濃い緑色のネットをかぶって、どこかの学校の校庭が、立ち並ぶ住宅街の、奥まったところに姿を見せます。 ――網目を透かして、グラウンドを走る幾人かの白いこどもたちの姿が、遠く遠くにぼんやり見えます。 たぶん何かの大会なのでしょう、徒競走をや

小説 石田三成とアセンション(2012年)

それは随分古い、昔の話だった。まだ帝(みかど)が京の御所におわして、けれどもこの国の権力は武家政権のものだった時代の、遠い話だった。時代の趨勢を決める、大きな合戦が関ヶ原で起きた。血と硝煙と、人馬と土ほこりとがあたりに立ち込め、悲鳴と怒号、剣戟の音と銃声の行きかう合戦は、五大老の筆頭、徳川家康を総大将とする東軍の勝利に終わった。西軍の総大将の石田三成は、落ち武者になった。今や敗軍の将となり、もうずいぶん長い間、迷路の中を、灯も持たずにさまよっていた。確か、本拠地の城まで帰るた