写真_2017-04-28_14_55_05

小説 歌のうまい女(2003年)

 すべての存在の層にあるプラットフォームの片隅で、清掃作業者たちが風に転がる紙くずたちを片付けていく―彼らはみんな同じ顔つきをしている。まったく同じ作業服を着ている。みな背が低い。みんな小人のようだ。俯きかげんに、ちりとり片手に小走りしていく。

「歌のうまい女が歌を歌った。だれにも聴こえない歌を。誰にもきこえない歌を歌っていた。彼女は自分が歌を歌っていた事を知らなかった。だが耳のよい人々たちは知っていたのだ―彼女が何かを見つけた時に、彼女に歌が拡がった。そしてその歌は他のどの歌よりも―きれいな歌声だったのだ」

―いや、ここで正直に白状しておこう、けっして上手な歌声ではなかったのだ―むしろ誰にも聴こえないほど、彼女の歌声は完全な沈黙だと勘違いされかねないほどだったのである。しかし、人は知らないーというのも、よい歌声であるかどうかは、それが上手な歌であるかどうかを―そのまま意味したりはしないものなのだ。そしてもちろん完全な沈黙などというものはこの世界においてはまったく存在しえないし、してはならないものなのだという事実が―近年の最新歌学(かがく)研究において完全に証明されているのである。

「女が歌う―するとその時、人々は透明化した。人々は一瞬で、あるいは一瞬を忘れて―空気になって―空気になった耳を澄ました。―だが―ああ、哀しいかな!彼女の歌は、彼女の歌は、彼女の歌は、清掃作業のちりとりの―鉄の両歯にしっかりはさまれ―その他の歌たちの痕跡といっしょに・・・たいらげられて、しまうのだった」

「今日も彼女は―また別の歌声の響く街中を通り過ぎていく。すべての存在の層にあるプラットフォームの片隅で、清掃作業者たちが風に転がる紙くずたちを片付けていく」

俯きかげんに、ちりとり片手に小走りしていく。

(2002年)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?