小説 それでも彼女たちは充実していた(2007年)

 痛めつけられ、場合によっては踏みにじられて、台無しにさせられ――そうして自分たちの、いささか熟れすぎた肉体を、ぱっくりと破裂させられた状態ではあったが、それでも彼女たちは充実していた。天から墜落して、誰からも忘れられて。かつて彼女たちが長い時間と限られた空間を分かち合って過ごした、その柔らかくて透明な住居から、追放されて。そう、重力によって、あるいは墜落した時の衝撃によって、追放されてはいたのだが――そこから溢れて、流れでてしまってはいたのだが――それでも誰が見たってすぐわかるだろう、彼女たちは充実していた。ばらばらにこぼれた、黒いアスファルトの地面の上で。

 そう、充実したまま、彼女たちは、仰ぎ見ていた。夜明けの時刻に、薔薇色とすみれ色の淡いグラデーションが、空一面に広がっていく時の、ものといたげな、清らかな光の感触を。彼女たちの赤らんで、すべすべしている、まるっこい皮膚の上には、光のせいで、思い思いの色むらが宿って、おそらくはじきに腐敗していくであろう、お互いの瑞々しい若々しさを、無言のままで見せ合っていた。もしもだれかが彼女たちを味わおうとしたら、とても酸っぱくて爽やかな香りが、その人の脳神経に満ち満ちていったのがわかるだろう。実際のところ彼女たちは、自然に恵まれ、健康的で、美しかった。

 だからこうなってしまったのは、何かの手違いだったのかもしれない、いわば手元が狂っただけだったのかもしれない。けれども、数時間前に、自分たちを奴隷のように利用するために買い取った女主人から、彼女たちは見捨てられ、そうして悪態をつかれながらも、置き去りにされたことは確かだった。ひどい仕打ちだったとは言えるだろう。けれども彼女たちは自由になったとはいえるし、彼女たちには屈託がなかったし、そういうことを気にかけたりもしなかった。そもそもそうする必要もなかった。というのも彼女たちにはもともと、痛覚というものがなかったし、落ちてくる前から死んでいたからだし、買われる前から死んでいたからだった。

 それは多分、市場経済が広がっているこの国では、ごく当たり前にみられるような風景だった。というのは、ほかでもない、もしかしたら、これを読んでいる賢明なあなたは、途中で気づいているのかもしれないが、彼女たちは、道端で、プラスチックの容器からこぼれて、散乱している――1パック250円の、アメリカンチェリーの一群れだったからだ。

(執筆:2007年~2012年 その後加筆修正)

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