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小説 蛇をテーマにした3つの短編 (2003年)

1 喫茶店の蛇

 僕はペン先を休める。疲労のあまり僕はペン先を休める。するとその青い万年筆は揺らぎだし、子供のころに町はずれの道路で見た百足のように蠕動をはじめて、ついにはペン先は毒針を秘めた蠍の尻尾になって注射針のように僕の手首の青黒い静脈を突き刺した。すると僕の静脈は山脈のように、地殻変動による造山運動のように隆起し、蛇のように乱暴にのた打ち回ったと思うや、一瞬にして僕の腕全体に広がった。するとそのまま僕の右腕はうろこ状に真っ黒になって勝手に動き始め、体全体が一匹の黒い蛇になるまで2秒と時間はかからなかった。この蛇は大声で叫び声を叫声をあげると喫茶店の椅子からそのまま転げおちた。と、僕の体のコーヒーの中に溶けていく白いクリームのようにどろどろになって溶解を始めた。

 7、8人ほどの店の客たちはあまりの出来事にただ呆然とそれを眺めていたが、僕がついに深い青色のどろどろになって、すこしだけ腐ったバニラとペパーミントの崩れたような奇妙に甘いにおいを発するようになるやいなや、彼らはみんな我慢ができなくなっていっせいに飛び掛って、この塊にむしゃぶりつき始めるのだった。甘い、甘いと口々に、まるで嗚咽を漏らすかのような喚き声を上げて。しかしそれよりも液状化した僕の、もう目ともいえないような目のなかに焼きついたのは、どこからきたのか、いつのまにやら3匹のまったく同じ顔をした一つ目の黒犬が、血のように紅い舌をだらんと垂らしたまま、窓ガラスに顔をへばりつかせてぎょろりとこちらを見つめているところなのだった。それからその3匹の化け物じみた犬の息が、窓ガラスを曇らせているのを僕は見た。それから犬の背後では、そろそろ夕暮れに沈んでいく町の中を群集が普段どおりになぞめいた言葉で、何かをしゃべり続けながら行き交っているのが僕には見えた。

 するとその時喫茶店のドアが開いて、新しい客がこちらに入ってくるのがわかった。どこかで見たようなきがすると思ってそれをずっと凝視していたところ、どうやらそれは僕自身のようだった、と、思ったところで目が醒めた。

2 蛇喰い蟲の巣について

 この巣はほとんど球形をした灰色で遠くからは滑らかな石灰岩のように見える。中央には巨大な口が空いていて、近くを通りがかる蛇を飲み込むようになっている。この巣は嫌なにおいがする。この穴は蛇の大きさに応じて緩慢に伸縮する。この穴は一つのトンネルになっていて、その壁と言う壁は格子状の部屋部屋に分節化されて、組織化されている。一つの部屋のなかには蛇喰い虫の雄が住んでいて、その鋭い歯で蛇の肉を齧りとっていく。齧りとられて消化された蛇の肉は雄の精巣に分泌されて、無色無臭の液体が部屋の室内にしみこんでいく。それは紆余曲折を経た後で最終的には巣の一番奥深くにある蛇喰い虫の雌の部屋部屋にまで到達する。到達していくにつれてその部屋の壁にひびが入っていく。それが何千びきもいるへび喰い虫の雌の部屋で響き渡るために共鳴現象が発生し、蛇の巣は極めて倍音の豊富な、しかもそれでいて耳障りな音をたてる。とにかくこの振動に反応して雌たちは壁に入ったひびの中に無数の卵子を産み落とす。こうしてこの皹のなかで受精現象が発生する。飲み込まれる蛇の性質のせいで生まれる皹の形状も色彩も発する独特の臭気もその住人たちの雌雄の比率も異なり、蛇喰い虫の巣の形態と音響は極めて多様であり、これが蛇喰い虫たちの好事家の市場がわれわれの街に存在するゆえんである。

 アレクサンドリアで失われたトリトギメス書によれば蛇喰い虫の巣というのは地球の隠喩であり人間の隠喩であり即ち賢者の石の別名であるが、初めは拷問用具以外の有用性は全くないとされた。というのも蛇喰い虫の巣を人間が食する事は勿論可能なのだが大変味が悪く、しかも巣を破壊された蛇喰い虫が人体に侵入し、特に大脳の皮質を食べ荒らしてしまうからである。当然蛇喰い虫を食した人間は発狂し、思考を停止し、最終的には精神病院や薬物治療施設などにおいて時折見られる重度の廃人と全く変わらなくなってしまう。以上の理由によって蛇喰い虫の巣が拷問用具として使われたのは極めて短期間であり、最終的には第7次ローマ帝国の退屈な航空貴族たちの嗜好品として愛用された。特に気の狂った奴隷や芸術家や霊媒師にこれを食べさせると実に奇妙な音声を発したという記録が帝国の廃墟から最近になってから発見された。という記録が第七バビロニア王朝の宮廷文書の中に残されている。勿論これらの帝国はどこにも存在していない。

3 天空の海蛇

 黄昏を伝える生ぬるい風の中に湿った腐臭が漂ってくる季節になると、この地方では、海蛇の群れが空を埋め尽くすという。青白い菫色から朱色にそまっていく鱗雲の中を、何百匹もの隊列を組んで遊泳する。蛇たちの全長は30cm程度から大きい物は1m前後まであって、全く似たような紺色で、ところどころの皮膚が深緑色の斑模様になっている。その眼は血のように赤く、がらがらした声を出して鳴く。

 時折何匹かが、巨大な群れの中を離れて地上近くまで降りてくることがある。彼らの仲間が、海の中で獲物を見つけた時にいつもそうしているように、一瞬で標的の場所を見定めて、黒い流星のように滑り降りてくる事がある。そして標的となった人間頭の中を通り過ぎるのである。もちろんただ通り過ぎていくだけではないのだ。その瞬間に頭の中に通行人たちのゼラチン質の魂を少しだけ齧って、一飲みする間に空の波間へ、仲間たちの群れの中に戻っていく。

 その町には同じ形をしたーしかし縮尺はばらばらした高層ビルが立ち並んでいる。遠目からはそれはまるで墓標の群れのように見える。それは現在も建設の途上にあり、脆弱な木製の足場の上で、都市生活者たちが建設作業に従事している。

 天空の海蛇の襲撃を受けると、道路という道路には亀裂が走る。その度に何百という都市生活者たちが断層の中に飲み込まれる。その地割れの深い暗闇のなかにはもっと古い時代の、少し違った形をした高層ビルの群生が、いつもきまって発見される。屋上には犠牲者たちの墜落死体がちらほらと発見される。それらはまだ新しく、緑色の血液が白いコンクリートでできたビルの屋上をささやかにぬらしている。無残な都市生活者たちの死体は仲間たちによって捕食され、清掃される。すぐに地表と新しく発見されたビル群を橋渡しする足場が築かれ、地割れによって発生した断層の黒い奈落を埋めていく。こうして大都市の建設作業は遅滞なく進行していく。

 この街に伝わる古い伝説によれば、立ち入った形跡のない古いビルのなかに、何か新しい発見をあてにした考古学者、冒険家、芸術家、失踪志望者、命知らずの賞金稼ぎたちが、建築計画を推進するための調査隊を組織して探検に出発したことがあるのだという。だが、その後彼らの姿を見かけたものはどこにもいない。ただ足場を組み立てるための鑿や金槌の音に混じって、失われた彼らの名誉を伝える歌が響き渡り、こうして現代にも伝えられている。

(2003年~2004年)

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