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伊藤佑輔作品集2002~2018

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2002年から2018年にかけて書いた詩や小説やエッセーなどをまとめたものです。 ↓が序文です。参考にどうぞ。https://note.mu/keysanote/n/ne3560…
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#掌編小説

小説 失われたお菓子を求めて(2007年)

昼下がりだった。わたしは公園のベンチに腰掛けて、目の前のむき出しになった土色の地面を見るともなしに茫茫と見ていた。そこらかしこの隅々に、散乱したタバコの吸殻や、小さなビニール袋、中身の入っていたり入って居なかったりする、食べ残しのついた透明なプラスチックの容器などが転がっていた。乾涸びた百合の木の木の葉たちがところかまわず散らばっていた。オレンジ色の目をしている、鳩たちが、近くをぞろぞろ歩いていた。そのうちの二、三匹は、両翼を慌ただしくばたつかせていた。ふと気がつくと、二匹の

散文詩 こぎれいな小品たち(2007年)

1、レシートわたしは昔、テーブルの上に、放って置かれて、丸められているレシートの塊みたいに、ぽつんと一人で生きていられたら、どんなにいいかと思っていたっけ。でも、その思い出のイメージも、今はもう、短い言葉に纏められ、くしゃくしゃにされ、球体にさせられ、廊下の隅っこにある、プラスチックの水色の容器に、美しい放物線を空に描きながら、跳躍していき、飛び降りていって、水色の中から、水の中から、未来のわたしを、見ていたのだっけ。 2、蛇口ぴかぴかしている蛇口の取っ手をぎりりと捻ると、

小説 冬の公園(2007年)

――その池のほとりのソメイヨシノは、痩せた体を包んでいた、しなやかで壊れやすいたくさんの緋色の衣たちを、地面にほとんど脱ぎ落としていた。蟲に食われた跡で一杯の紅葉葉たちを、ぽつりぽつりと梢に遺して。――この紅玉髄の小人たちのようにも見える無表情な薄片たちは、湿度の少ない風たちに自分をしずかに揺さぶらせていた。――そうして静かな水面には、今見たすべての一部始終が、陰になり、かすかにひらひら見えるのだった。 わたしは橋をわたって、中洲にある四阿(あずまや)の手すりから、目の前を

散文詩 いらだち(2007年)

 ニュースペーパーの、乾いたパルプの屈折した襞が、ぱりぱりと屈折する。Sの両手の二の腕は、とてもほっそりしていて、身勝手だ。ふとした拍子に、両手は態度を表現させる。 ――食事の支度の時間がくる、Sの目の前にあるのは、煮込まれたルージュ色の綺麗なシチュー。鍋の中で、熱を帯びた無数の半球が生まれて消える。それは自分たちよりもずっと大きな透明な球体たちから逃げていくばかりの、みじめな灰汁たちの寄せ集めの群集をもぴたぴたと生産する。その先端をへっこりと屈折させている、長い柄をつけた

小説 プラル(2007年)

 わたしは自分が「プラル」だった頃のことを思い出している。体育の時間に「ヘレヘレ」を習った、きちんとできるまでに何年もかかった頃のことを。エメラルドの鉄棒に向かって、助走をつけて思い切りよく6本の後足を蹴って、勢い良く前足を巻き付かせる。その勢いでくるくると回転し、何回も廻った遠心力で、硬い甲羅で覆われている背中を反らして、向こうに向かってジャンプする。その時思い切り「べぎゃー!」と一声叫ばなければならない。その時のゼロコンマ秒の間で、如何に美しいフォームをつくって、飛ぶこと

小説 シャワー(2007年)

ほのじろい水のつぶてが、たわたわとうちつけてきて、気立てのよかった裸の気分を、すっかりこそぎ落としていく。かすかな衝撃の連続が、自我を繰り返して消滅させては再生させていく。向こうで開いた、脱衣所に通じるドアのむこうに、見覚えのある女の影がそっとたたずんでいる。なにもいわずに、見るともなしに、こっちを見ている。――だけれどわたしは、スポンジみたいに、カッテージチーズみたいに、体中に穴をあけられて崩れ落ちていく自分自身を省みている。なんの痛みも感じない。しだいしだいに輪郭をなくし

小説 迷惑な生き物(2007年)

 その青い木の葉の爽やかな裏地では、なにか極彩色の生き物が、全身を鋭く毛羽立たせていた。その先端は黒とオレンジのだんだら模様だったが、後ろに行くに従って、白くなり、うすうすしているローズピンクに変色していた。また後ろになっていくに従って半透明のゼリー状になっていた。まだるっこしそうな動きでもって、身体がうねうね這い回るたびに、柔らかく毒気地味た全身の表面が、弱々しい木漏れ日に反射して、くねくねくねくね生光りしていた。顔、というか、先端部分からは、とてもひょろひょろとした小さな

小説 採血管と泡の幻覚(2003年)

 採血管は、血小板や白血球や赤血球を抜き取っていった。意識も知覚も抜き取っていった。するとどこかの中庭で、仲良く並んで咲いている百合の花やアネモネの花、スミレ色をしているアヤメの花々の光景が、自分と他人の境界も、遠近法もまとまりの良さも、なくしてしまった格好で、陽炎みたいに、もやっもやっと淡くなったり、そうかと思えばさあっさあっと、鮮明になったり、ゼリーみたいにぶよぶよしていた。両手はたちまち針の跡で一杯になり、ある種の病人にしばしば見られる不健康な快活さのように、紫色のほの

小説 フランシスベーコン(2006年)

トライアングルの音を永久に引き伸ばしたような、ぴーんという微音が、さっきから鳴っていた。――すぐ脇の肩先を見下ろすと、だいたい九十センチメートル四方の薄い油紙が、塗り立てたばかりのペンキみたいにとても生生しい色使いのネイビーブルーの壁にぴったりとくっついている。その左の角が少し剥がれかけて、折からの風に弄ばれて機械のように手を振っている。と思うや、黒っぽい生き物がすうーとスライドしてこちらに近づいてくる。それは正面から間近にみると、全体的に暴力的な風貌だった。具体的に言えば、

小説 クラムチャウダー(2007年)

 新発見のアメーバみたいにひらべったい油の膜が浮き上がって、ぶよぶよに固まってしまった表面を震わせている、クラムチャウダーの水面に、焦げ茶色の枯葉が浮いている幻覚をみた途端、彼女の朝の食事は台無しになった。不愉快になった彼女の内面はタールのように真っ黒に変色して液状化してしまうのだった。そして何分経っても、何十分経っても、何時間経っても、液状化の勢いは止まなかったので、彼女はすっかりタールのような液体になって部屋を浸食してしまった。それは拡大し部屋中を自分で浸した。そればかり

小説 虹(2004年)

 ああ、わたしたちの意識の奥底には、黒い無意識の宇宙が広がっています。そしてその宇宙の片隅にある銀河の何処かには、地球の青くて美しい飴玉が転がっているのです。この蒼と白の鮮やかなまだら模様のついている球体の表面を、上空からよく見ると、ところどころで微小な虹たちが、まるで鮮やかな玉虫色をした蛇のようになって、縦横無尽に這い回っています。  その下界では、まるで新種の地衣類みたいな白い街が、大地を覆って広がっています。そこでは砂粒みたいな、大人や子供が、若者たちや婦人たちが、ビ

小説 球体関節の幻視(2007年)

力もなしに、ぐったりとした様子で、コンクリートの壁にもたれかかって、鋼鉄のようにひきしまっている、皮膚の表面に、紫朝顔の蔓草を、びっしりと纏わりはびこらせている、まだうら若い、黒い肌をした女の剥き出しの裸体は、強引無残に、その中心部を切り開かれて、サフラン色や桃色の腸を朝のひなたに肌理鮮やかに見せびらかしていた。――蔓草の繊毛のところどころから、色のない粘液が、てらてらと流れて、光沢していた。――女は生きてはいないようだったが、それにしたって、血は一条も、見当たりはしなかった

小説 ステーション(2007年)

 真昼だった。風は道行く人たちの全身に思い切り体を衝突させて、そのシャツやワンピースやスカートやらの襞という襞を、ぱたぱたと急かしていた。湿気を知らない空の波たちが次から次に寄せては返して、おもむろにめぐってくる初夏のおとずれを、自由気ままに告げていた。その鉄道駅はアール・デコ調のデザインで建築されていた。花崗岩のブロックで敷き詰められた広場の中心には、大きな欅の木が植えられていた。風に吹かれて、ぐらぐらと揺れだしたわむ様子は、まるで着飾った若い女が――その虚無的でがらんどう

小説 調布市の野川のスケッチ(2006年)

 昼下がりは、真鍮のような静寂を、空の青みと水音のせせらぎにそえあわせながら、自分ではどんどん希薄になって、遠のいていくようだった。気持ちだけ少し伸び過ぎた、目の前の前髪は、陽光のせいで軽やかに化学変化して、きらきらきらきら、光耀していた。まるでのどやかな温度がやわらかいうすものに変化して、あたりをつつみこんでくれているようだった。そうして、仕事の疲労に困憊しきっている、ほこりまみれのわたしの体は、ひとりでにうるおいを取り戻していき、しなやかな湿り気を、そこらじゅうから摂取し