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伊藤佑輔作品集2002~2018

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2002年から2018年にかけて書いた詩や小説やエッセーなどをまとめたものです。 ↓が序文です。参考にどうぞ。https://note.mu/keysanote/n/ne3560…
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#幻想的

小説 蛇をテーマにした3つの短編 (2003年)

1 喫茶店の蛇 僕はペン先を休める。疲労のあまり僕はペン先を休める。するとその青い万年筆は揺らぎだし、子供のころに町はずれの道路で見た百足のように蠕動をはじめて、ついにはペン先は毒針を秘めた蠍の尻尾になって注射針のように僕の手首の青黒い静脈を突き刺した。すると僕の静脈は山脈のように、地殻変動による造山運動のように隆起し、蛇のように乱暴にのた打ち回ったと思うや、一瞬にして僕の腕全体に広がった。するとそのまま僕の右腕はうろこ状に真っ黒になって勝手に動き始め、体全体が一匹の黒い蛇に

散文詩 工場の壊滅について(2004年)

地球上を何千キロメートルにもわたって建設されている工場の中で彼は働いていた。あまりの抑圧に彼は昏倒し、疲労が脳味噌を混濁させる。彼は働いている群集の中で発狂する。 退屈、退屈、命令、服従。 工場は不眠症に罹った滝のようだ。 工場はどろどろの規則のようだ。 工場は錆びたブロンズ色のタイムカードみたいだ。 工場は茶色い機械油の焦げていく臭いだ。 工場は切断されていく神経の手首だ。 交代制で侵入してくる無神経と薄紫に固まっていくセメントの想像だ。 工場はセメント作りのパン生地。

詩 雨(2004年)

降っている雨が窓辺をぬらす夜には 人工のひなたで影絵遊びを繰り返している やってくる水の群集は地面を激しく叩きつけている そういう風に雨は地上と会話する お互いに自分たちの歌を歌い上げると そこから新しい音楽が生まれでていく きみにはそれが聴こえないから 一秒ごとに感じ続けていることができる 影の国からの歪んだ幻のアラベスクが 白い空想の表面に刺繍されていく 音のない歌が口をついては飛んでいく どんな色をも反射することができる透明でできた生き物が 複雑に織られた街角の上で曲

詩 境界線で(2004年)

その中心に穴を開けられたまま きみは橋の上にたたずんでいる 欄干に手をかけたままむこうを視ている 音も立てずにゆっくりと その手を少しだけ伸ばすと 雲の上には幾千ものひびがはしる その夜の中には無数の雪が舞っていてこちらを見ている 黒い神経繊維の渦に 深くかたどられた夢のなか 分解された物音の幻が移動する きみのなかにあるたった一つの命令 多分ぼくたちと同じように きみはそれに従い続ける そうすれば白く降っているものと一つになれる もう輪郭に脅かされることもなく 同じ名詞の

詩 時間の硝子(2004年)

夜の老廃物である ひとつの人工世界樹のふもとで  鈍い音を立てて沈みこんでいく青空の下を 遠のいていくきみの背後で 名も知れぬ土地からの  揺れ動く黒い 光沢をもった翼の 尖った空飛ぶ生き物の群れが 次から次へと溶け始めていく 言語地層の丘陵地帯を 啄ばんでいく  マグネシウムの 瞬きでできた 微かにまぶしい火花を散らして それらすべてを映し出す 固体でも流体でもない 交合されるもの 少しずつ違う音色の悲鳴をあげてこの耳まで届く 塊になって 時間の脆い硝子の中で少しずつ

散文詩 12月(2004年)

 あまりにも用意に彼は非充足を手に入れる、彼女のおかげで。硬く嵌め込まれている流線型の窓を通して彼女の沈黙が、いくつもの空に似たものを見ているとき、まなざしの軌道をこの手のそばにまで逸らそうとした彼の声が、声のなかの瞳が、白く溶けていく指が、指の中にある爪が、肌理の細かい光の粒になって、彼女の肌を透過していくのを見ていた。それが数え切れないほど壁という壁に反射してこの部屋を満たしていた。彼はただ感じていた。欲望でも愛でもないものを。憐れみでも喜びでも怒りでもなく、本当に眼を逸

詩 (無題)(2004年)

唇のなかに 互いのてのひらに 滲んだままで記される 内側に触れていく 凍りついた夜のためいき 白く、白く かすれていく二つの口 昨日に消えた黄昏の中で その黒髪に光が当たって 新しい薔薇色が生まれる 黄金や紺碧や翡翠の粒がきらめいている 透明な針金で編んだ二人の周りで まばたきのように 呼吸のように 夜明けのなかで見えない跳躍を繰り返しているものを見ていた 地球の表面をめぐるあらゆる潮の満ち引きの つぎつぎに色と形を変えて代謝されていく血流の ありえない、ありえたかもしれな

詩 知らない言葉で(2005年)

透明を 予感している卵の 半透明の白いから 一つの亀裂 自己という事故 良いきみだって 何かが喋っている 古ることを知らない雨の中で 一つを忘れた 目己たちは踊る 繰り返されていく近親相姦 白子の赤い 眼球絨毯の上で 連続性の畸形字が時を指さし 視えないものを数えている 淡い匂いのやわらかい肌理に 血の涙を流す海月たちが沈んでいくのを ずっと高みにある向こう側の窓に手をかけたまま きみは見ていた 消えたものが棲む子宮を孕ませたまま 濁ったものを澄まわせた耳 ほとんど蒸留さ

短歌 (2005年)

まざりゆくミルクと珈琲遊歩道くずれた砂糖が降りてくる 置き去りの氷のなかに浮き上がる神経繊維の城砦細工 ゆびさきで優しくちぎって薄くした積乱雲をこっそり見上げる 瞬きの鋭い切り口きみの顔瞼の白みが生き埋めになる 声の端に薄く引きづりひたされた光に滴る汚濁の血痕 口をつき喉もとをすぎほつれを梳かす風に消えゆくきみの声 沈黙をやさしくつぶすその睫毛魅せられている甘い戸惑い 蜘蛛の巣に監禁された未来はいつも血と銀色の身をこぼす 打ち寄せて消える飛沫の裂け目から流れ出

小説 隅田川で(2006年)

 東京の、清澄白河のあたりに運送業者の会社があって、23才のセイジはその場所で働いていた。その日、仕事の帰りに隅田川を通った。そうしてあたりを散歩していたのだが、少し休もうと思って、川沿いのテラスに近寄ってみた。 ――その日はたしか7月ごろだったと思う。汚れたテラスの、白くて丸い、テーブルの上では、黒鉄色の働き蟻の群れが、うめうめうめうめ、散らばって動いていた。――少し朽ちかけて、ところどころで白い塗装の剥げている柱が、黒々としたテラスの屋根を支えていた。その屋根も、十四五本

散文詩 水彩画(2006年)

 その美術室の片隅では、憂鬱な淡い色彩を描かれている、水彩画のカンバスが、微睡むように壁にもたれていて、その乾ききらない地肌の畔では、アメンボのような、飛蚊症のような、なにかギザギザしている、ノイズのような輪郭が、ひょいひょいひょいひょい跳躍している。  その絵の中では、雑草ばかりの野原の中心の、大きく開けた何もない空間に、すっかりしおれたリンドウが、茎のあたりを踏みにじられて、草地でしっとり仰臥しているのが、印象派風の、淡い筆致で描かれている。  そしてその紅い蕾の、こ

詩 それじゃーまたね、元気でね。(2007年)

眠れる神の、窓のむこうの雲の住まいは紫色に光り輝いている。 ところどころから金色の滝が舌を出して、 透き通ったまま気絶している。 地に落ちていく、とろけるように紅く燃える鉱物でできた肉体を、希薄な空気たちは楽しそうに味わっている。 これからひとつ思い付きの通り名的即興詩を考えてみようか。 これからひとつお仕置きつきの自罰的言葉ゲームをかんがえてみようか。 幕切れになった感情のもつれ的関係のドラマに対して。 時間のナイフで捌かれた、一番身近な恒星の切り身が象徴している もつれて

散文詩 死んだように笑う女(2007年)

リンドウの花の中で眠っていた。煤黒く濁った蜜がとろりと落ちてきて体中にかかってきた。沢山の微かな泡がたちどころに湧いてきた。 蜜のかかったところから、来ていたワイシャツもろとも全身がただれた。5ミリ四方くらいの泡の塊になって溶けていった。 痛みは特になかった。ただぷすぷすぷすぷすと音がした。 これは硫酸なのだ。 夏になったので虫たちが笛を吹いていた。 雨はばら色になり三四匹の岩魚がぴちぴちと路面で跳ねていた。 背後でぞぞっと音がした。 振り向いた。 とても美しいかんばせをし

散文詩 野菊(2007年)

野菊の花が咲いていた。一輪手折って、白いペンキの、バケツに浸した。濡れたネズミに変身させて、ドライヤーで乾かした。そうして、わたしは濡れネズミに変身させられて乾かされた、この哀れな多年草を右手にもって、部屋に戻った。 ――真っ赤なベルベットの絨毯の上で、肘掛け椅子に、黒いジャケットが、主人をなくしてくずおれていた。黙って凝視していると、仲良く並んで微笑しているボタンの穴が目についた。そこでボタン穴に乾いたネズミをそおっと活けてみた。すると、白子にされて、ネズミにされた、野菊