詩 それじゃーまたね、元気でね。(2007年)

眠れる神の、窓のむこうの雲の住まいは紫色に光り輝いている。
ところどころから金色の滝が舌を出して、
透き通ったまま気絶している。
地に落ちていく、とろけるように紅く燃える鉱物でできた肉体を、希薄な空気たちは楽しそうに味わっている。
これからひとつ思い付きの通り名的即興詩を考えてみようか。
これからひとつお仕置きつきの自罰的言葉ゲームをかんがえてみようか。
幕切れになった感情のもつれ的関係のドラマに対して。
時間のナイフで捌かれた、一番身近な恒星の切り身が象徴している
もつれてしまった感情ゲームの幕切れ的関係のドラマに対して。

ある日ぼくは死ぬ用意もなく、階段から滑り落ちてわき腹を打った。
空はすべすべした皮膚を持つ、棘のついた魚たちの群がる雲のヴェールをまとっていた。
「あいつらはみんな色落ちしたシャツを着ている孤児たちさ」
耳もとでは砂造りのように脆く化石した心臓を持つ小鳥たちがささやいていた。
「あいつらはみんな遠くの街なかで飢えかけている奇妙な棘魚たちだよ」
記憶の体は羽根をつけた重力たちについばまれて変形していった。
たちどころに指先から蟹クリーム色のへんな泡たちがじくじくと溢れでていった。
そうして意識が遠のいていった・・・。

凹凸のある畦道をはるか彼方までぐっすりと覆い尽くしているのは
横向きになった青いカワウソたちのしなやかですべすべとした肉体だ。
身につまされる愛によって真っ赤になった女たちは雲の上で手品を交わしている。
タロットカードの位置によって、
斜線になって降ってくる流星ミゾレたちの周期が変わる。
星たちはさかさまになった首吊るされ男の
さかさまになった地面に向かって垂れ落ちている、
青い青いとても青い水の滴るようにとても青い、青い髪の毛のミゾから
きらさらきらさら、きらさらきらさら、
こぼれるようにこぼれるようなゆるぎない勢いで
こぼれるように流されおちていく。とてもとてもつづけざまな様子で。
彼らの彼らのかじかむようなまばゆさをとじこめて
一定の硬度を保っている液体は
上半身と下半身のたいていどっちかを
完全にへんな釘に変えられてしまったツバメ氏やツグミ氏やカササギ氏の
嘴の廻りで幾重にも輪を描いている。

三枚だけ濡れのこったマリンブルーけやきの
マリンブルー落ち葉の肢体と黒々とした
ふか地面との間には
見るからに薄っぺらいミズ火食い鳥たちがいこっている。
彼らはそこに糸硝子状の巣を作るんだ。
自慢じゃないけどそいつらはとっても素晴らしい窓口で、
彼らはとてもどんなところにまでも行くことができるんだ。
風とか浮力とかバランス関係の許す限りならどこまでも。
――自慢じゃないけどってことわったのも、無論はいくぶんそのせいさ。

体中に透き通った葉脈をさえざえと奔らせている色とりどりの恋人たちは
ときどきくるくると抜本的に笑いだすことがある。
とつぜん決まって出し抜けに。抜本的に。
説明を求められるとたぶん
気まぐれな風の吹き回しが起こったのだとしか彼女らは言わないだろう。
今は、さしあたっては今のところは、
「そいつはとっても要領をうまく把握した言い方ですねーマドモアゼル」
って決め付けたい気分だ。
絡み合い絡まれあい組んでほぐれて
むすんでひらいて手をうって
蝶むすびし合って今や非常にケンケンしている恋人たちが
反復させているのはつまり
待合室のベンチの上で差し向かいになってたちあがり、
踏み台昇降運動をしながらお互いの首をすげかえる遊戯に夢中になること。
――もっともここでぼくたちが注意しなければいけないのは
お互いの青白くない首をすげかえて遊ぶのではなくて
お互いの青白くない首じゃないほうをすげ替えて遊ぶということ。
彼女はスタイリッシュにへんな踊りを踊りながら身くばりだの耳くばりだの
それから少々些細すぎるへんな目くばりならぬ目くばせだので合図をする。
でもだからって決してこわがらないでねダーリンとか
でもだからって決してこわさないでねラミュールとか
だいたいそういう愛くるしくて息苦しいメッセージを。
多くの悩める恋人たちは自分の悩みを狂おしいイメージで
無理やり言いくるめようとするだろう。
だがそれは極めて悲観的でたよりない運命を、
ぼくたちの幾何学的にはだいぶねじくるっている曲線を描いている
非ユークリッド的未来予想図スクリーンのうちに
強迫観念的に投影しないではいられない。
――そいつはホントに辛いことだ。
色とりどりのへんな植物たちと一緒に時をすごすのは。
静かなため息の向こう側で危ないガスを大量に噴霧しながら狂乱する
やさしい色の車輪たちに無理矢理しゃにむに巻き込まれながら、
植物たちと、ともども悲鳴を、あげるというのは。

ある朝、ある特殊なトルコ石が組み合わされて
敷き詰められたことで出来上がった
どことなくはんなりとした感触の石畳の上を僕は歩いていた。
とても寂しくてすがすがしい気分になって。
T字路に近づいていくと猫たちが追いかけっこによく似たゲームをして
急いでヒャーンとエスメラルド青緑色にダッシュしすぎて
去っていくのがうっすらと見えた。
彼らはみんな横向きで、それはなんだかとってもさみしい感じがした。
――さみしい感じに撃たれた!
いやーでももうその手の急性叙情的マゾヒズムからは
手を引いた方がいいんじゃないのセニョール。
とかなんとかきみは思うのかもしれない。
でもね、すれ違いざまに白い白いとても白い白い歯を
きれいにむき出しにしてニャーニャーと笑うんだ。
だからもうそこまでさみしくはない。
燕尾服や口をツグミ服やかさかさギーマイナスか服を着た
鳥ウジたちも退場した猫たちの替わりに
いっせいにつまらないあくびをしていたよ。
とてもきれいな毛並みだったよ。
ふかふかと変質した大地の上で、
たがいによく似た裸の可愛い女たちはキスをする。
ピンク色と白と灰色の
きらびやかで不明瞭なワンピースをゆっくりと身につけながら。
それからへだたった場所に生きているゾンビ系生き物は
烏賊墨色のイブニングドレスを身に着けていて、
とても堕落した様子で、
バルビツールやパルピナール系の錠剤をミズやミミプラス
スの濁音といっしょに飲み込んでいたよ。
飲みこまれた錠剤たちは無益っぽい抗議の声を発しながら
唐草模様の水煙を部分的に透明な白っぽい触手みたいに吐き出して戯れるんだろう。
そしてあの無の海のなかに自分をあずけて、
あずけたまんまでとろけていくんだ。
あの恐ろしくもなおかつ奇妙に美しい女主人の神経や胃袋やその他もろもろの
細胞や無神経細胞との間で冗談を不断に言い交わすのを
心待ちにして。

そう日没だ!
とても険しく切り立った山峡が広がる。
麓に広がるしろっぽい廃墟から見ていたんだ。
あの雲の中で笑うようにむせび泣きするのが誰なのかは僕はしらない。
女たちだろうか?
いやいや、そんな、少なくともあの女たちでないことだけは確かだ。
彼女たちが生きるためにするするしくしく泣き始めると
臆病な男たちはおそれをなして
ぴゃーんと逃げるよりもほかにやり手をなくしてしまう。
「こんな時は、こんな時くらいはそばにいてよ!」
なんて言ったところで、
そんな時はもはやだれの手を借りることもできはしない。
急性臆病がワンパターンに慢性化してきて、
自分の臆病さにそろそろ退屈してきた男たちにとっては。
悲しみの効果があまりにもワンパターンに慢性化してきて、
悲しみの演技の出来映えのあまりに
泣き出すことをそろそろ諦めてしまった、女たちにとっては。

これ以上自分をなんとなく自分でいさせるためにはどうすればいい?
これ以上自分たちの首をすげ替えた後でも生きていくためにはどうしたらいい?
いったいどこでどう生きていけばいいんだろう?
コイ猫たちがミャーミャーと鳴く。
時の果てに広がる白い草原の中心で。
少し緊張して逆立てた毛並みは
どことなく気品を感じさせる美しさだ。
――休日になったらその中に仰向けになって、
こてっと寝転んでかすみたなびく雲を見るんだ。
色とりどりのへんなネコたちのひらべったくてふかふかした毛皮にくるまって。
流れる雲の色はもう決して真っ白ではいられないけれど。
・・・いつのまにやら猫の手までも、借りてしまってるわけだけど。

草原の広がりは向こうのほうで出し抜けに断崖絶壁によってはばめられている。
とても厳しいさみしい凍てつきだ。
でも横たえられた無数のマリンブルーカワウソたちは燃えているよ今だって。
炎色反応で紫色に光ってるんだよ。
じわじわと熟した水蜜桃のほのかな匂いがするんだって。
致命的な酸性カリウムを中心に組成された肉体。
とてもとてもとても。
いつまでも終わらない会話。
青い光の帯のように空を流れるわにたちの群れ。
精確にはとりとわにとの中間に広がる
分類学的には未踏の地平でつまりはいい加減に曖昧で、
分類学的にもどことなく半明透な生きものさんたちの群れ。
メーテルリンク的なエーテル大気につつまれて。
翻訳すると19世紀ヨーロッパ的なロマン主義的世界観と幸福のイメージにつつまれて。
手の届かない青酸カリ的な愛の理想に苦しめられて、
さみしさのあまりに身投げをするんだ。
――そういう夢をみたこともあったさ。

ぼくの無は死の雲のむこうでむせび泣いている。
ある種の特別な女たちは無の雲のむこうですすり泣いている。
たとえば男たちはみんな間抜けで、
女たちはみんな独り善がりだとしたらどうだろうと
考えたりしたこともあったんだけど
とどのつまりは男も女もガン首をすげかえられて
夕焼け空をフワフワフワフワ行っちゃったんだよ。
「でも、それってタンポポの羽毛みたいでステキだと思うよ」
今はそういう言い方をする人のほうがきっとステキな気がするよ、
内容のほうはともかく、
とは思ったけどさすがに口に出しては直接いえなかったよ。
「そういうところが、自意識過剰な間抜けちゃんインテリの、泣き所なのかもしれないね。」
何度も何度も経験したけど大抵言えなかった。
誰だって時にはこれ見よがしな(現実に適用されると間抜けに聞こえる)
科白を使ってみたくなることがあるんだろうと思う。
そのことに自覚的でなさ過ぎたことは時々お互いに問題だったんだろうと今は思うよ。
「でもそういうことを現実に言ったらきっと」
それから電話口で異口同音に同じことを言って
分かり合ったことを確認して笑ってそうして黙ったことも、そういやあったさ。

それでもだけども聴いてくれ。
間抜けでも腑抜けでも腰抜けでもこじつけでも何でもいいから
きみに言わなきゃいけないことがある。
どうしても言いたいことがある。
だからねえお願いだから聞いておくれ。要するに
お別れカップルの誕生日にはスミレのお花を飾ってください。
ついでにキクの花も供えてやって。
そこらじゅうでヒガン花の咲いているお墓参りのあとで
家にもどったら秋の七草でお粥をつくって食べてください。
記憶の裂け目はカコウガンで真っ黒ですよ。
御影石のやつもあるけどこっちはいくぶん高級品だよ。
だんだん表現が和風になってきたけど
本当は性別なんかよりも
もっとずっと大切なものが世の中にはゴマンとあるように
何々風とか何々流とかいうのよりももっと
窓を開けて風とおしのいい部屋をつくったり
きれいな意識の流れをつくったりすることのほうがずっと
――まあちょっとそのへんをうまく言葉にするのは難しいかな。
「でもそういうことを現実に言ったらきっと」
電話口で異口同音に同じことを言って分かり合ったことを独りよがりに確認して
――そっと笑いくばせし合って黙り込むことになるってわけさ。
ほんとーに?
いやあ、
だけれど、
でもまあ、
そうね。
とどのつまりは。

そーいうことで――

「それじゃーまたね、元気でね。」

(執筆:おそらく2007年頃 2008年完成)

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