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No.12 海外で働くのは、"克服"の一つ。

藤本 亜子(ふじもと あこ)
大学卒業後、大学で生物学実験の講師を5年勤めたのち、JICAの青年海外協力隊に応募しコスタリカで環境教育を担当。その後、一般社団法人パートナーシップ会議で4年勤めたのち、現在は、一般社団法人アース・カンパニーに勤務@バリ島。


______ 今現在、バリ島で働いていらっしゃいますが、”海外で働く”ということに対して不安はなかったのですか?


不安があったかなかったかでいうと、全然ないですね。私はまず大学で最初5年間、生物学実験を教えるということをやっていて、そのあと、JICAの青年海外協力隊の制度を使ってコスタリカにいきました。それが初めての海外生活だったんですよね。小さい頃から旅行はたくさん行っていただけど、ちゃんと暮らすという意味ではコスタリカが初めてでした。

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協力隊が終わって帰ってきて、やりたいことが決まっていたので、「これがやれることはどこだろう?」と探して就職をして、その組織に4年間いましたね。4年経った時に「やっぱり次も海外だな」と思いました。なので抵抗じゃなくてむしろ、海外で働けて、かつ自分がやってきたことを活かせる道を「働きながら調査する1年にしよう」と決めて、いろんなサイト見たり、いろんな人に話聞いたりしていましたね。
そこでアースカンパニーを見つけました。
ただ、アース・カンパニーに採用が決まったのは、2019年2月だけど、仕事をやめると決めたのはそれより1年前なんですよね。

______ 次の仕事が決まる前、しかも1年も前に決めていたのですね。

私が働いていたのが、一般企業ではなく、一般社団法人だったんですよね。
一般社団法人は、1年契約で更新制だったんですけど、5年以降は「無期契約」に変更になるんですよ。辞めることはできるけど、それ以降は契約更新するかしないかっていうのは聞かれなくなるんですよね。「無期契約」は雇用の形態が変わるので、「無期契約」に移りたい人は1年前に申告して、書類を揃えていくっていうプロセスに入らなきゃいけなかったんですよ。
なので、1年前に辞めるという決断したんです。
次働くところは決まっていないけど、1年後には契約が切れることは決まっていて。次のステップとして海外で働くというストーリーだけは自分の中で立てていたという感じですね。
でも、実際にアース・カンパニーを見つけたのって、2019年の1月くらいなんですよ。もう少しで仕事の契約も終わっちゃうのに、「就職決まってないな〜」って思ってました。決まらなかったり、見つけられなかったら、それはそれでいいかなとも思っていましたね。
実は企業の面接も1社受けていて、「あなたのキャリア的に、うちに就職するの勿体無さすぎませんか?あなたのキャリアを僕たちが潰してしまう気がする」って言われたんです。それで、もう一回考えて直して、そこに就職するのは辞めました。自分の信念を少し曲げそうになった瞬間だったんですよね。
考え直して、決まらなくても、それはそれで充電期間として、海外いってもいいし、なんとでもなるなと思っていました。そんな時にパッと、アースカンパニーの募集に出会って、ドンピシャでしたね。2時間以内に、自分の履歴書とかパッションとか経験とかをgoogleformで送って、2日後くらいに人事から連絡があって、決まったって感じです。

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______ 次の職場を選ぶときの軸はなんだったのですか?

刺激が足りなかったんですよね、日本にいると。自分が常にトライしたり、これはできない、難しい...!というものが目の前にないと、生きている実感が湧かないんです。
仕事も4年も勤めると慣れてくるし、日本にいれば言葉も通じて不自由しないし、困難っていうものがあんまりなくなってくるんですよね。
将来的に英語圏で働きたかったこともあって、でも英語圏で働いたことがなかったので(コスタリカはスペイン語圏)、これからいろんなことを経験していきたいし、そう考えた時に英語を話す地域で訓練したいなっていう気持ちがありました。

あとは、ずっと教育っていうところに携わってきたところも軸になっています。大学で生物を教えて、そのあとはコスタリカで「環境教育」の仕事に携わって、日本に戻ってからは、持続可能な開発のたの為の教育(ESD)に関わる仕事をしてたんですよね。具体的には、環境省のESDに関する全国事業を国内に展開していくためのスキームを提案したり、各地で実施していただいた事業の成果をとりまとめる事務局の仕事を4年間していました。

例えば、コンポストみたいに家庭ごみを堆肥化したり、缶は缶でリサイクルする取り組みがあるじゃないですか。でも結局、何のためにゴミを分別しなきゃいけないのかとか、何のためにコンポストをしないと行けないかが理解できていないと、楽しくなくなった時に辞めてしまうんですよね。そうなった時に、ただただ「方法」とか「コンテンツ」を与えることって意味がないと思ったんですよね。その先の、継続するためのコミュニティづくりや"why"の部分を伝える工夫が必要だとなと思ったんですよね。それって環境教育とかそういう狭い範囲じゃないなと思ったんですよね。もっと広く、「自分の地域を守っていきたい」とか「自分を育ててくれている自然環境とかを汚したくない」とかいうような、内から出てくるものを育てていくためにはどうしたらいいのかなっていうことにすごく興味があって、それを「持続可能な開発のための教育」という概念が日本にあると、私が思っていることはEducation Sustainable Development(ESD)っていう概念と一致することをコスタリカで知って、じゃあ、ESDをやっている組織はどこだろうと探したら、この前まで働いていたところに一致したんですよね。それで就職しました。

______ いつから、そのような活動に、興味を持っていたのですか?青年海外協力隊に行ってからでしょうか?

大学時代は、畜産とか、野生動物の保全とか管理とかを学んでたんですよね。なぜその大学に入ったかというと、「動物が大好きだから」なんです。中学生の時に、アフリカゾウが出てくるドキュメンタリーをみて、象牙の密輸のために、どんどん象が殺されているという映像をみた時に、幼心で「私は野生のアフリカ象を守るんだ!!」と思ったんですよね。
本当に感動したんですよ。ただ生きているだけではなくて、自然があるから彼らが生きていて、彼らがいるから自然が生きている、という循環にすごく感動したんですよ。それを人間のエゴで、象牙をピアノの鍵盤にしたいとか、印鑑のボディにしたいとかで密輸している国に対して、すごく腹が立って。

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だから、最初は象を守りたいと思ったことがきっかけで畜産学部に入りました。授業も卒業研究もさぼって海外旅行行ったり、遊びりまくっていたので、研究室の教授にも仲間にも心配されながらも大学院に進み、系統進化学に関する研究をしました。その後、初めての就職は大学での教育職でした。日々、タンパク質とか細胞とか見ていると、私がやりたかったことはこれではなくて、最終的には動物や環境を守っていく仕事にいつかシフトしていきたいと、ずっと思っていたんです。方向展開へのきっかけが、青年海外協力隊への参加でしたね。

大学の仕事自体はすごい楽しかったんですけど、顕微鏡みすぎて目は悪くなるし(笑)、野生動物や環境を守る仕事がしたいしで、次のステップに進むタイミングだと思って、JICAの募集を検索したら、その年に限って念願のアフリカ派遣の募集がなかったんです。これはどうしようかなと思ったんですけど、”今”海外へ飛び出して方向展開したいと思った気持ちは止められなくて、JICAの公募に対して第3志望の案件まで記入して、第3志望にしていたコスタリカに決まりました。

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______ お話を聞いている中で、亜子さんはの考え方は常に「〇〇をするためには、どうやったらできるんだろう」とまっすぐ進んでいるというか、まっすぐ考えるのが印象的です。

あ、そうですかね。思い出しました、私、ずっと大切にしている言葉があるんです。『できない理由はいくらでもある』っていうのを紙に書いて、10年くらい持ち歩いているんです。私自身は昔は子どもの頃は臆病者で、人見知りで、できないことがたくさんあったんですよね。
例えば、バリ島で働こうと思った時に、「食事が合わないかもしれないし」「日本語通じなくてしんどいし」「日本に帰るのに時間もお金もかかるし」とかいくらでも、ネガティブな理由って簡単にあげられるんですよね。
だから”あえて”ネガティブな理由を探さないっていうのは大切にしています。それはいつでも、仕事するときでも、意識しています。

______ それを決めて、やり抜いているのすごいですね。その他何か意識している考え方・マインドはありますか。

結果できなくてもいいと思うんですよね。やってもできなかったということは、人間だからあるでしょ、って思っています。やる前に、やらない理由をいっぱい作って、やらない、というのが後々後悔するのかどうかもわからないんだけれども、だけど、直感的に「大変だろうな、でもやってみよう」と思うのがほとんどですね。
私の周りは温かい人が多いから、失敗しても大丈夫というか、それを笑う人もいるかもしれないけど、結局は自分の人生だからあまりそういうのは気にならないかもしれないですね。

______ 自分で選んで、人生を作っていく生き方をされていますね。

そうですね、基本的に誰にも相談しないです。
例えば、大学に就職するときも、コスタリカにいくときも受かってから親に言ったし、バリに行くって言ったのも決まってからですね。
基本的に誰にも相談しないですね、友達にも、親にも相談しないです。昔からそうですね。
みんな相談するんですかね。相談したとしても、自分の中である程度決まっていて「あと、ちょっと押して」ってくらいだと思うんですよね。私は、その「ちょっとを押して」をしてもらわないだけです。後悔なんて一回もしたことないですね、今考えたら。もちろん、難しいとは思ったことはありますよ。
あとは、元来あまり組織愛はないですね。
自分の目指す方向に今やっていることが糧にになっているかとどうかが自分にとって大事なんですよね。困難にあたった時に、誰かのために乗り越えるというよりは「ここから私が学び取れることはこれだった」と思う機会でしかないというか。それが誰かの為になっていたら、もちろん嬉しいですけどね。

ただ「だれと働くか」はとても重要です。
今の組織は、チームプレイを大切にする組織です。そして、目に見える形で、いろんな方の思いににサポートされている、とても愛される組織だなあと思います。これまでの私は、組織の所属していても、チームから学びながらも、個人プレーもそこそこ多かったので、ワンチームで同じ目標に向かって動くという働き方をあまり経験したことがなくて。なので、そこは新しいステップかもしれないです。
なによりアースカンパニーはメンバーがすごくて。人間として尊敬できる人たちと一緒に働けていることがとても幸せです。

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______ 話が戻りますが、いずれ”海外で働く”って思っていたのはなんでだったんですか?

困難があるところにいきたかったからですね。
自分が慣れないところとか、文化違うとか、何かしら苦労するじゃないですか。それにチャレンジするっていうことが好きなんだと思います。
一箇所にいると、日本の文化、考え方が当たり前になってくると思うんですけど、当たり前になると見えなくなってしまうことってあるはずで、見えなくなっているものにはそこにいる限り気づかないですけど、自分がいろんなところに旅行に行ったりしてたっていうのもあるんだけど、旅行に行くと、「あ、私はここが見えてなかったんだな」とか「こういうこと忘れてたな」みたいなことを思い出したりするじゃないですか。そういう意味では海外じゃなくてもいいのかもしれないけど、自分が慣れない場所に行ったり慣れていないことをしている時の気づきとか思い出すことや、新しい発見じゃなくても子供の時に思っていたことを急に思い出したりすることとかを、何年か置きにやりたくなるんだと思います。

______ 海外が選びにくい理由って、食とか言語とか、みんながブロックとして捉えているところを、逆に亜子さんはその要素があるから、選んでいるっていうのが面白いですね。

昔、言って笑われたことがあるのが、「私の趣味が克服なの」。できないことができるようになるっていうのが、私の趣味なんですよね。

______ ”克服”って取り組むのに心理的なハードルが大きいはずなのに、”趣味”と思えるのはなぜですか?「できなかったらどうしよう」とか、「できない自分って恥ずかしいな」とかは思わないのですか?

基本的に恥ずかしかった記憶は私にもあります。人前で話せるようになったのも、実はそれまでに卒論、修論の発表会があって、うまく話せなくて恥ずかしい思いをしたんですよ。だから経験はしているんですよね。できなくて恥ずかしかったっていう経験は記憶としてちゃんと残っているんですけど、でも「だからやりたくない」じゃなくて「いつかできるようになりたい」と思うんです。
”その瞬間できないこと”ってどうでもいいんですよね。例えば、今も全然英語で仕事できるわけじゃなくて、言ってることがわからなかったり、自分の言ってることが伝わらなかったりして、恥ずかしいなと思うことって、本当に毎日毎日あるんだけど、でも、克服することが、「今、克服しなきゃいけない」っていう風には考えてなくて、「あの時、これがうまくできなかったな。でもそれができるようになったら嬉しいな」が自分の中にどんどん蓄積されていっていて、それと、タイミングってあると思うんですよね。経験とか、時間が経つことによってできるようになることってあると思っていて、あの時も今もできないけど、もしかしたら10年後これは克服できるようになるかもしれないっていう風に、自分の中の引き出しにはいっていくんです。だから、恥ずかしい思いはいっぱいしてるんです、「思い出したくもない」っていう記憶はいっぱいあるんだけど、その記憶を忘れてはないです。死ぬまでに克服できると、すごいハッピーだなと思っています。

______ それくらい長いスパンでみてるんですね。恥ずかしい思いが心に残っているのも、人によってはきついと思いますが、持ち続けられるのはすごいですね。

それはもう、成功体験ですね。一回できなくて、恥ずかしかった体験が「あの時できなかったのに、全然余裕だったわ」みたいなことがありますよね。その記憶は、恥ずかしかった記憶よりも、大きく残っていますね。だから、全然平気です。今でももちろん、恥ずかしいこといっぱいあるんですけど。

______ 親に事後報告する、っていうのも印象的です。ご両親とはどのような関係なのですか?

あんまり人の目を気にしないっていうのは、うちの親が本当に同じようなスタイルで、自分が信念を持ったことは、逆境にあったとしても、私はこう思うということを貫いて、周りは「それは無理だよ」というのに、それをどんどん変えていくっていうのを子どもの頃から見ていたっていうのもあります。

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あと、子どもの頃から、海外に旅行に連れていってもらったことで日本と海外の”当たり前”の違いを実感していましたね。
いい意味だけではなくて、アメリカに行った時に、人種差別を受けたり、エジプトに行った時に、女性って地位がないから差別を経験したりとか。女性であることとかアジア人であることがネガティブに働くことを子どもの頃から経験していることは、すごくベースを強くしてくれていると思いますね。差別されても、ショックはショックだけど、あんまり響かないです。考え方も違うし、文化も違うし、そんなこともあるよね、って思うから、人を嫌いになることが基本的にないですね。

そういう意味では、親には感謝してますね。
「人のことなんて気にしないで、好きなことしなさい」っていう感じなので。

【編集後記】
「”その瞬間できないこと”ってどうでもいい」という言葉が印象的でした。何かしたい、けど足踏みしてしまう、というときは、少し先の自分を信じて、今結果を出そうと焦らないと決めることもで踏み出せる一歩もあると気づかせてもらいました。
また、連続して組織で働き続けるのもいいですが、情報収集、息抜きを1年間はさめるような心の余裕や社会の仕組みもしっかりと育てていきたいです。

【ライター】
篠原 七子(しのはら ななこ)
神戸市出身、福岡市在住の26歳(2021年時点)。自然と調和した暮らしづくりを目指し、コンポストの研究製造販売をする会社でCS/広報として働く。本メディア発起人(経緯はこちら)。
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