カレンダーストーリーズ_表紙

『カレンダーストーリーズ』オモテ12月「ニコライ」(3)         【短編小説】作:丘本さちを

 山の空気はどんどん冷え込んでいきました。父が忽然と姿を消した後、私は誰も居ない別荘で雪が溶けるのを待っていました。麓の町までは車でもかなりの時間がかかります。この気温と積雪の中、子供の私が歩いて辿り着ける場所ではありません。幸いにして缶詰と燃料はまだあります。せめて状況がもう少し好転するまではここで待とうと決めていました。

 しかしそれは甘い考えでした。日が暮れて電灯を付けようとスイッチを入れた時に自分の失敗に気がついたのです。私は納屋の発電機を停止させることを忘れていました。動き続けていた発電機はとっくに燃料切れを起こしていたのです。

 私は石油ストーブの炎を頼りに夜を過ごしました。小さく揺れる火を眺めながら缶詰の中身を口に運び、なんとか空腹を満たしました。どうして僕はこんなところに独りでいるのだろう? 改めて私は自分の追いやられている不条理な状況を思い知らされました。父や母の顔が胸に浮かび、独りきりの心細さが膨らんでいきます。私は耐えきれず声をあげて泣きました。しかし慰めてくれる人はいません。四角い部屋の内側に、悲しみだけが木霊のように返り続けています。追い打ちをかけるようにストーブの炎は萎み始め、やがて消えてしまいました。ポリタンクはもうすでに空っぽです。私は闇の中を手探りでベッドに向かいました。何枚もの毛布に包まっているというのに震えが止まりません。目を瞑ったまま、いたずらに時間は過ぎていきます。北風が窓ガラスを叩きます。夜を切るような風の音が壁の向こうで躍っています。そのうねりの中、微かにひそひそと人の声が響いたような気がしましたが、私はふいに訪れた眠気に抗うことができず、滑り落ちるように意識を失っていきました。

 翌日、山の冷え込みはさらに厳しくなっていました。まったく尋常ではない寒さです。積もった雪は凍り付き、まったく溶ける様子がありませんでした。部屋の中でさえ深々と寒さがつのり、壁も床も窓も霜のような冷たさに変わっていました。まるでこの別荘ごと氷漬けになっているようでした。冬の朝独特の潔癖とも言えるほどの静寂が、部屋にも廊下にもぴんと張り詰めていました。ふいに玄関のノブが回り、蝶番の軋む音がしました。その音は不可思議な程によく聞こえました。まるで耳の内側でドアが開いたように。父が帰ってきた。そう思った私はベッドから跳び上がり、玄関目がけて一目散に駆けていきました。しかしそこに立っていたのは父ではなく、雪のように白い肌をした外国の少女でした。

「あなた、私が見える?」

 少女は私に向かって唐突に語りかけました。外見からは想像できないくらいのとても自然な日本語に聞こえましたが、つららを叩いて割った音のような、キンとしたどこか神経に刺さる声でした。外国人の少女を目のあたりにするのは初めての経験でした。年の頃は十二、三のように見えました。暖かそうな白い毛皮の帽子とコートを纏っています。大きく三つ編みにされた髪の毛が馬の尾のように背中に流れています。その髪もプラチナに近いブロンドだったので、少女は頭の先からつま先まで白一色でした。グレーに輝く一対の瞳とピンク色の唇だけが、キャンバスに間違って塗られた絵の具のように鮮やかに色づいていました。私は予想もしていなかった光景に言葉を失いました。実は近くに外国人の所有する別荘があって、そこの娘がここまで歩いて来たのでしょうか? 

「ねえ、私の声は聞こえてる?」

 むっとした顔の少女に再びそう問われ、私は慌てて頷きました。少女は満足そうな笑顔を浮かべました。絵画から盗み出してきたような完璧な笑顔でした。今度は私が問い掛ける番でした。

「誰?」

 少女は氷のように簡潔に答えました。

「スネグーラチカ」

(4)に続く https://note.mu/kesyuhamonium/n/nb8af9ec96071


オモテ12月「ニコライ」(3)/文・丘本さちを

cover design・仲井希代子(ケシュ ハモニウム × ケシュ#203)

*『カレンダーストーリーズ』とは…"丘本さちを"と"毎月のゲスト"が文章やイラスト、音楽などで月々のストーリーを綴っていく連載企画です。第一月曜日は「オモテ○月」として丘本の短編小説が、第三月曜日は「ウラ○月」としてゲストの物語が更新されます。

※2016年 10月の更新をもって『カレンダーストーリーズ』の連載は終了しました。お読みいただいた皆様ありがとうございました。

丘本さちを(おかもと さちを)…映像プロデューサー、週末小説家(2015年12月現在)。大手CMプロダクション、出版社勤務を経て現在フリーランス。映像制作業に勤しみつつ、精力的に小説や歌詞などの執筆活動を行う。第5回新脈文芸賞受賞。既刊本に『往復書簡 傑作選』『続・往復書簡 傑作選』(共に仲井陽との共著、ケー出版)がある。謎の集団ケシュ ハモニウム創設メンバー。愛称は”さちを”。物静かだがフレンドリーな対応に定評あり。

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